『何者』  

〔書籍紹介〕

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先の直木賞受賞作

就活(就職活動)に励む
大学3〜5年生の群像を描く。

二宮拓人は劇団をやめ、
鬱々たる就活に励んでいる。
同居人の光太郎は、
ライブ活動をしていて、
人気を集めているが、
そろそろやめ時。
田名部瑞月は、
その光太郎と付き合っていて、別れたが、
まだ想いは残っている。
その瑞月を拓人は密かに想っている。
小早川理香は、
拓人たちのアパートの上階の住人で、
瑞月とは友人、
同居人に宮本隆良がいる。
隆良は休学中で他人のホームページでコラムを担当している。
烏丸ギンジは、
演劇集団の座長として、月1回の公演に勤しんでいる。

全員がツイッターをやり、
この本の中に
そのツイッターがしばしば登場する。

これが現代の学生気質か、
というような、
とりとめのない毎日が
とりとめなく過ぎる様を描写する。
エントリー・シートや面接やの日常で
お互いの就活状況を延べあう状況の中で、
題名にある「何者」かであろうとする
呻吟を描こうとするのだが・・・

就職サイトがオープンする十二月一日が近づいてくると、
就職活動を個人の意志のない
世間の流れだと言い始める人が出てくる。
自分は就職サイトに登録しなかった、
というさりでない一言を利用して、
自分は就職活動に興味がない
ちょっと変わった人間です、
というアピールをしてくる人が出てくる。
まるで、興味、関心がないことが
優位であるというような話ぶりで、
「企業に入るのではなく、
何者かである
個人として生きていく決断をした」
という主張をし始める人が出てくる。
「就活就活って人を見てると、
なんか想像力がないんじゃないのかなって思う。
それ以外にも生きていく道はいっぱいあるのに
それを想像することを放棄してるのかな、って」


こういう意見は、
実は「負け犬」の論理であるということを、
大人は知っているのだ。

「だって会社って、
考え方が合うわけでもない人たちと
同じ方を向いて仕事しなくちゃいけないんだろ?
その方向っていうのも、
会社が決めた大きな大きな目標なわけで、
納得せずに、
自分を殺して、
毎日毎日朝から晩まで働くって、
そんなの難の意味があるんだよって俺は思う。
自己実現が人間にとって一番大切だって、
どこかの哲学者も言ってただろ」


まあ、そんなたわごとは、
就職経験してから言ってくれ。

「いい加減気づこうよ。
私たちは、何者かになんてなれない。
自分は自分にしかなれない。
痛くてカッコ悪い今の自分を、
理想の自分に近づけることしかできない。
みんなそれをわかってるから、
痛くてカッコ悪くたってがんばるんだよ。
カッコ悪い姿のままあがくんだよ」


こうした観念的な議論が延々と続く。
そして、その論理の欺瞞を
瑞月が隆良を責め、
理香が拓人を追及する。

結局、
就職前の半端な学生たちの
半端な議論だけ。
未熟な人間
生煮えな考えの披瀝。
それを彩るツイッターの記述。

自分の学生時代を思い浮かべて
赤面してしまった。

直木賞の選考委員の選評も、
どこか腰が引けている。
阿刀田高の
「一般論として言うのだが、
昨今の若い作家の作品には
自分を中心にして千メートル以内の世界を描いたようなものが多く、
もっと想像力の豊かな小説を待望しているので、
『何者』にもそんな傾向を見てしまったのである。
だが他の委員より
就活に悩む学生たちがさまざまな情報や評価に踊らされ、
自分が何者なのか、
周囲は何者なのか、
喪失感に陥り、
それが今日的な大きな問題であることを指摘され、
この作品の評価が変わった。」

というのが、選考会の雰囲気を伝えて興味深い。

「何かここには新しいものがあるのではないか」という
目新しいものに触れた時の選考委員の
戸惑いと劣等感と恐怖心が感じられる。

これにくらべて
もう一つの受賞作「等伯」は堂々たる内容。
2作同時受賞は「等伯」に対して失礼というものだ。


テルチとチェスキー•クルムロフ  

今日は、チェコ内を移動、
テルチとチェスキー•クルムロフという
二つの町を訪れました。
どちらも16世紀の街並みが保存された
世界遺産です。
テルチは本当に小さな町で、
1530年、火事で全焼したのを、
当時の領主がお金をだして、
全てルネサンスかバロック様式で
建て直させた町。
チェスキー•クルムロフは、
大きく湾曲して流れるヴルタヴァ川に
抱かれるように作られた町で、
領主の移転で廃墟になっていたのを、
せっかく美しい街並みが残っているのだからと
復活させた。
共産主義政権も粋なことをしたものです。
どちらの町も古いものを
保存し伝達する気持ちがあふれています。
夜は、プラハへ。




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