ベルギー・オランダ旅行記・4 アントワープ  旅行関係

旅行3日目は、アントワープへ。

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15世紀から商業・金融の中心都市として栄えました。
1920年にはオリッピックも開催されています。

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川沿にあるステーン城は、
10世紀から16世紀まで使われていた要塞の一部。

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平坦なアントワープで、
唯一の坂道。
それでも坂道には見えません。

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マルクト広場

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ブラボー噴水
英雄ブラボーが巨人アンチゴンの手を投げています。
町の名前の由来は、アント(手)ワルペン(投げる)から。

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噴水の前には市庁舎があり、

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周辺を様々なギルトハウスが囲んでいます。

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町の中心は聖母大聖堂

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これも世界遺産・ベルギーとフランスの鐘楼群の一つ。
今回、この鐘楼群で3つの世界遺産を見ましたが、
一つと数えます。

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内部には、

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絵画や

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ステンドグラスや

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彫刻がありますが、

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なんと言っても素晴らしいのは、
内陣にある4枚の絵画。
まず、内陣左側にあるルーベンスの「十字架昇架」(十字架にかけられるキリスト)。

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正面にあるのは、

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ルーベンス「聖母被昇天」

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ドーム部分には、

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コルネリス・スフットの「聖母被昇天」

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そして、内陣右側にあるのが、

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ルーベンスの「十字架降架」(十字架からおろされるキリスト)。

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この2枚の絵の前に立った時、

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泣きそうになりました。

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この教会は「フランダースの犬」にも出て来て、
教会の前には記念碑(2003年建造)が作られています。

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なんとも不思議な日本語です。

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ルーベンスの「十字架昇架」と「十字架降架」の絵は、
昔は拝観料を払わなければ見せてもらえず、
貧しいネロ少年にはかなわないことでした。

しかし、クリスマスの夜、
教会に忍び込んだネロ少年は、
初めてその絵を見ることが出来ました。
その時のことを、
↓の本は、このように記しています。

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とつぜんやみをぬって、
力強い白い光が、
広いむきの廊下へさしこんできました。
高くのぼった月が、
雲の切れ目にあらわれたのです。
雪はやみ、
つもった雪の照りかえしを受けた月の光は、
夜明けの光と同じぐらい
澄んで明るいものでした。
アーチ形の窓から入る光は、
うえのほうに飾ってある
二枚の絵のすみずみまで照らしました。
入ってきたとき、
ネロがその絵の白い布をはずしておいたのです。
「十字架にかけられるキリスト」と
「十字架からおろされるキリスト」の絵が、
ほんの一瞬、見えました。
ネロは立ちあがり、
絵のほうへ両うでをさしだしました。
激しい感動の涙が、
青ざめた顔に光りました。
「とうとう見たんだ!」
と、ネロは大声でさけびました。
「ああ、神様、これで充分です!」
ネロはよろめき、
ひざをついてすわりましたが、
あこがれの傑作をずっと見つめていました。
ほんの数分のあいだ、
月の光が、
これまでずっと見ることのできなかった
神々しい絵を照らしたのでした。
まるで天の玉座から流れだしたような、
澄みきっておだやかな、
強い光でした。
そのあと光は急に消え、
深い暗やみが、
キリストの顔をつつみこみました。
ネロのうでが、犬の体を、もう一度かたく抱きしめました。
「ぼくたちは、
あの方のお顔を天国で見るんだ。
そのとき、あの方は、
ぼくたちをひきはなしたりしないよ」


そして、次の朝、
アントワープの人々は、
大聖堂の内陣の前で、
冷たくなったネロとパトリッシュを発見するのです。

英国の作家ウィーダ(マリー=ルイーズ・ド・ラ・ラメー)が書いた
「フランダースの犬」は、
1872年にロンドンで出版され、
1909年に日本でも出版されました。
しかし、ベルギーでこの本のことを知る人はおらず、
アントワープを訪れた日本の観光客が、
「ネロ少年が暮らした村は、どこ?」
と、あまりに聞くので、
この本の存在を知りました。

その後、
ネロ少年の村は、
アントワープの南西にあるホーボーケンだと分かり、
ホーボーケン情報センターの前に、
ネロとパトラッシュの像も置かれました。↓

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しかし、この物語は、
地元での受けはイマイチで、
それは話がアンハッピーエンドであることに起因するようです。

↓は通りの名前に名残を残すミルク・マーケット。

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ウィーダは1871年、アントワープを訪れた際、
犬が牛乳桶を引いている姿に衝撃を受け、
この物語を作ったと言われています。
英国では、
犬に労働させることは禁じられていたからです。


その後、ルーベンスの家↓を訪れました。

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ルーベンスが1610年から5年間かけて建てた
住居兼アトリエ。

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数少ない自画像の一つがダイニングに飾られています。

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ルーベンスが暮らした調度品や

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ベッドも公開。

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ルーベンスはその生涯に油彩画だけで
2000点を超える作品を制作したと言われています。

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それは、弟子たちの手を借りて作られた

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「ルーベンス工房」の作品であるため。
中世以来のギルドの伝統です。

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芸術創造が個人的作業である、
という認識が定まるのは
19世紀のことであると認識すれば、

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当時、様々な注文を工房で対応していたことが理解できます。

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弟子たちに書かせ、
最後の仕上げをルーベンスがしたもの、
徹頭徹尾ルーベンスが作成したものなど様々。

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大きな絵を高いところから確認するために、
アトリエには2階が作られています。

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町を散策。
農協ビルは、
一時期世界で最高に高いビルでした。

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ブラボーによって投げられた手は、ここに着地?

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町の一角に立つ、ルーベンスの像。

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町の主な交通手段は路面電車ですが、

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地下鉄もあります。

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アンワープ観光もあっという間に終わり、

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次はベルギーの首都、ブリュッセルへ。





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