王羲之展  耳より情報

今日は夕方から上野の山に出かけました。
夜の上野公園。
デジカメが補正して、このように撮れます。

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目的地は一番奥の東京国立博物館

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書聖 王羲之 特別展

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通常は5時閉館ですが、
今日は新聞社の特別招待で
6時から8時まで開館です。

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館内は写真撮影禁止。

王羲之(おう ぎし、303〜361年)は、
中国東晋の政治家・書家。
書の芸術性を確固たらしめた普遍的存在として、
「書聖」と称されました。
その書は日本においても奈良時代から手本とされており、
現在もその余波をとどめています。

しかし、
真跡は1点も現存しません
王羲之の没後、
その書は歴代の皇帝に愛好され、宮中に集められました。
唐の太宗皇帝は、
宮中に専門の職人を雇い、
王羲之の模本を作らせました。
模本とは、
原本に紙をかぶせ、
丁寧に字形をなぞったもので、
国家的な規模で行われただけに、
墨のにじみや筆のかすれ、
虫食いの箇所まで忠実に再現された、
極めて精巧な出来ばえでした。

この特別展では、
第一章 王羲之の書の実像
第二章 さまざまな蘭亭序
第三章 王羲之書法の受容と展開

の3部に分かれ、
驚くほどの充実ぶり。
プリンストン大学付属美術館や台東区立書道博物館や
個人所蔵のものまで集められています。

特に第二章では、
蘭亭序に関わる各方面の拓本などが集められていて、壮観。

蘭亭序(らんていじょ)は、
王羲之が書いた書道史上最も有名な書作品。
353年(永和9年)3月3日に、
名士41人を別荘に招いて、
蘭亭に会して曲水の宴が開かれました。
参加者が曲水の畔に陣取り、
上流から杯が流れ着くと、
その酒を飲み、
詩を譜します。
しかし、詩が出来上がらなければ、
罰として大きな杯の酒を飲まなければならないという
粋な集まり。
この詩会でなった詩集の序文
王羲之が揮毫し、
これが世に名高い「蘭亭序」と言われているものです。


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〔現代語訳〕

永和九年(三五三)癸努丑の歳、三月初めに、
会稽山のかたわらにある「蘭亭」で筆会をひらきました。
心身を清めるのが目的の催しです。

大勢の知識人、
それも年配者から若い人までみんな来てくれました。
さて、ここは神秘的な山、
峻険な嶺に囲まれているところで、
生い茂った林、
そして見事にのびた竹があります。

また、激しい水しぶきをあげている渓川の景観があって、
左右に映えています。
その水を引いて觴を流すための「曲水」をつくり
一同まわりに座りました。

楽団が控えていて音楽を奏でるような華やかさこそありませんが、
觴がめぐってくる間に詩を詠ずるというこの催しには、
心の奥を述べあうに足るだけの素晴らしさがあります。

この日、
空は晴れわたり空気は澄み、
春風がのびやかに流れていました。

我々は、
宇宙の大きさを仰ぎみるとともに、
地上すべてのものの生命のすばらしさを思いやりました。

なぜ我々が、目の保養をはかるのか、
また、心を開いてのべ合おうとするのか、
そのわけは其処あるのであって、
見聞の楽しみの究極といえます。
本当に楽しいことです。

そもそも人間が、同じこの世で生きるうえにおいて、
ある人は心中の見識こそいちばん大切だとして、
部屋の内にこもり、
うちとけて、人々と相対して語り合おうとし、
ある人は、言外の意こそすべての因だとして、
肉体の外面を重んじ、自由に生きようとします。

どれを取りどれを捨てるかといっても、
みな違いますし、
有様も同じではありませんが、
それぞれ合致すればよろこび合いますし、
わずかの間でも、
自分自身に納得するところがあると、
こころよく満ち足りてしまい
年をとるのも忘れてしまうものです。

自分の進んでいた道が、
もはやあきてしまったようなときには、
感情はことごとく変わりますし、
胸のうちも左右されてしまいます。

以前あれほど喜んでいたことでも、
しばらくたつともはや過去の事跡となることもあります。
だからこそ面白いと思わないわけにはいかないのです。

まして、
ものごとの長所・短所は変化するものであって
やがては終わりになってしまうのはどうしようもありません。

昔の人も死生こそ大きな問題だといっています。
これほど痛ましいことはありません。
昔の人は、いつも何に感激していたか、
その様を見ていると、
割り符を合わせるように決まっていました。

いまだかって、
文を作るとき、
なげき悲しまないでできたためしはなく、
それを心に言いきかせるすべはありませんでした。
実際に死生は一つだなどというのはでたらめです。

長命も短命も同じなどというのは無知そのものです。
後世の人が今日をどうみるか、
きっと今の人が昔を見るようなものでしょう。

悲しいではありませんか。
こんなわけで今日参会した方々の名を並記し、
それぞれ述べたところを記録したわけです。

世の中が変わり、
事物が異なったとしても、
心に深く感ずるということの根拠は、
たいてい一つにつながることです。

後々の世にこれを手にとって見てくれる人は、
きっとこの文章に何かを感じてくれるにちがいないと信ずる次第です。


王羲之はこれを書いたときに酔っていたと言われ、
後に何度も清書をしようと試みましたが、
草稿以上の出来栄えにならなかったと言い伝えられています。

私は字がヘタで、
書については苦手ですが、
美しい漢字の書に次々と触れて、
心が洗われるような気持ちになりました。
漢字は素晴らしい
韓国の歴史において、
最大の失敗は
漢字を駆逐してしまったことですが、
日本は漢字に加えてひらがなを作り、
表現の幅を広げたことは素晴らしいことです。


相変わらず上野の山は文化の香りが豊かで、
国立博物館では円空展

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東京都美術館では、
エル・グレコ展が開かれています。

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3月から国立西洋美術館では
ラファエロ展が開催されます。

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渋谷の文化村では、
ルーベンス展も開かれます。

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