ヨルダン旅行記・6 ペトラ遺跡・その2  旅行関係

ペトラは、
古代ナバタイ人の都市です。
ナバタイ人は、
アラビア半島からやってきた遊牧民で、
交易の中継都市として栄えました。
最も繁栄したのは、
紀元前1世紀から紀元1世紀の間だと言われています。

↓のように広大な土地に遺跡があり、
エル・ハズネはその入口です。

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エル・ハズネのある場所を
振り返りつつ進むと、

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このような岩山の間に

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古い墓が並ぶ場所があり、

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ハザード通りと呼ばれています。

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注目は建物の上部に彫られた階段状の模様。
ナバタイ人は、
死者の魂がこの階段を伝って天国に昇って行くと信じていました。

ここには土産物屋が並び、

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砂絵の店があります。

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何度見ても不思議な細工で、

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行く時に名前や日付の記入を依頼すると、

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帰り道にはもう出来上がっています。

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観光客を運ぶラクダや

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ロバがつながれています。

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この子はもういっぱしの御者。

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こうして父や兄を見習って、
遺跡の中で一生を終えるのかと思うと、
ちょっと複雑。
でも、それはそれで幸福なのかもしれません。

↓は、ローマ式の劇場

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2〜3世紀のもので、
3500人は収容出来るといいます。

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それだけ文化的行事も盛んだったのでしょう。

墓の中には、
高位の方の墓と思われる大型のものもあります。

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ここは、「王家の墓」と言われる一角。

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その一つ、「アーンの墓」と言われる墓に登ってみました。

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↓が、それ。

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内部。

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ナバタイ人は、死者の名誉のために
墓をよく手入れし、
美しい彫刻で飾りました。
それにもかかわらず、
これらの建造物が誰のためのものなのか、
死者の名前をあらわすものは
全く発見されていません。

天井は彩色したわけではなく、
自然の岩石の色です。

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そこからの眺め。

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降りる途中、不思議な植物が。

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球根のような根がついています。

先程の墓の内部にあったような、
自然に彩色された岩。

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土産物屋に並んで、小さな喫茶店のようなものも。

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この石畳は、

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柱廊通り。幅6mあります。

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元はこのようなものでしたが、

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今は、ご覧のとおり。

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この通りをはさむように遺跡が沢山残されていましたが、
551年の大地震でほとんどが崩壊してしまいました。

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凱旋門が残っています。

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その脇では

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ちょっとした余興が行われています。

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遺跡の発掘はまだ1%ほどで、
山の上には、
まだ未知の遺跡が残っています。

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水を運ぶロバ。

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なんだか可哀相。

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大寺院の跡に行きました。

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ローマ帝国のポンペイウスは
紀元前63年にシリアとパレスチナを征服。
ペトラまで兵を派遣しましたが、
財政豊かなナバタイ人は金を払って
ローマ軍を懐柔し、和平を結びました。

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その後、ユダヤの王ヘロデに攻撃を受け、
2度目の攻撃の紀元前31年には、
広範囲の領土を失いました。

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ナバタイ王室の伝統も、
106年にペトラが
ローマ帝国に併合されたことによって終わりを告げ、
浴場や劇場、列柱通りの建設など、
ローマ風に町が造り変えられました。

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2世紀半のローマ支配の後、
363年に大地震がペトラを襲い、
多くの建物が崩壊。

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それ以来栄光を取り戻すことはなく、
6世紀にはほとんど人が住まなくなりました。

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その後、
7世紀にイスラム軍が到来し、
12世紀に十字軍が砦を造った以外、
ペトラは人々に忘れられた廃墟になりました。

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そして、
「その1」で書いたように、

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1812年、
スイス人探検家ヨハン・ルートヴィッヒ・ブルクハルトが、
遺跡を確認し、世界にその存在を伝えるまで、
ペトラは眠り続けたのです。

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今、ペトラ遺跡は、
ヨルダン最大の観光資源
そんな日が来ることをナバタイ人たちは
考えてもみなかったでしょう。

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さあ、いよいよ、
ペトラの奥の院、
エド・ディルに向かいます。





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