禅宗の和讃  耳より情報

片づけ物をしていたら、
↓のようなものが出てきました。

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15年ほど前、
義母の葬儀の際、
お寺で読まされ、
あまりの深い内容に
いただいて帰って来たものです。

その中に和讃の数々があり、
大変感じ入るところ多かったので、
掲載してみます。


和讃=
仮名まじりの平易な言葉で、
仏・菩薩(ぼさつ)、経典、祖師などをたたえた歌。
七五調4句を1章とする今様(いまよう)風が鎌倉時代以後の主流となった。
平安末〜江戸期に盛行し、御詠歌としても歌われた。



まず、「座禅和讃」

衆生(しゅじょう)本来仏なり  水と氷の如くにて 
水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ
たとえば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり
長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は 己が愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏そえて いつか生死を離るべき

夫(そ)れ摩訶衍(まかえん)の禅定(ぜんじょう)は 称歎(しょうたん)するに余りあり
布施や持戒(じかい)の諸波羅蜜(しょはらみつ) 念仏懺悔修行等
その品多き諸善行(ぜんぎょう) 皆この中(うち)に帰するなり
一座の功をなす人も 積し無量の罪ほろぶ
悪趣何処(いづく)にありぬべき 浄土即ち遠からず
かたじけなくもこの法を 一たび耳にふるる時
讃歎随喜する人は 福を得る事限りなし

いわんや自ら回向(えこう)して 直に自性(じしょう)を証すれば
自性即ち無性(むしょう)にて 既に戯論(けろん)を離れたり
因果一如(いちにょ)の門ひらけ 無二無三の道直し
無相(むそう)の相を相として 行くも帰るも余所(よそ)ならず
無念の念を念として うたうも舞うも法(のり)の声
三昧無礙(ざんまいむげ)の空ひろく 四智円明(しちえんみょう)の月さえん
この時何をか求むべき 寂滅現前(じゃくめつげんぜん)するゆえに
当所即ち蓮華国(れんげこく) この身即ち仏なり



なんともいえず七五調が心地よい。
そして、内容が深い。
「衆生本来仏なり」に始まり、
「この身即ち仏なり」で結ぶ。
響くものがあります。
  

次は「観音和讃」

南無大悲観観世音 昔は正法(しょうほう)妙如来 
未来は光明功徳佛 十大願(じゅうだいがん)の海深く 
今比の娑婆に示現(じげん)して 生きとし生ける者のため
大慈大悲の手を垂れて 種々に済度(さいど)を成し給ふ 

たとへば万(よろず)の水澄みて 真如の月の映るごと 
感応(かんのう)霊験あらたなり 聞くに法華の普門品(ふもんぼん)
三十三に身を分けて 十九の説法有り難く 
七難三毒みな滅(めっ)し 二俱(にぐ)両願も成就せり
 
若し人現世は安穏(あんのん)に 後生善処と思ひなば
常常菩薩を念ずべし 念彼(ねんぴ)観音のその力 
いかなる障(さわり)も除こうに 無量の福徳集まりて 
春の晨(あした)に啼く鳥も 秋の夕べの虫の音も
畢竟(ひっきょう)梵音(ぼんのん)海潮音 聞声(もんしょう)悟道の法の声 
げにや仰ぐも愚かなり さて又行者の臨終は 
蓮の台(うてな)を捧げ来て 随願(ずいがん)往生遂げしめん
是れ此の菩薩を信ぜずば 渡りに船を忌むならん 
されば高きも卑しきも 童男童女に至るまで
念々疑う心なく 誠に頂礼(ちょうらい)いたすべし
南無大悲観世音 南無大悲観世音 
南無大慈大悲観世音菩薩



「春の晨(あした)に啼く鳥も 秋の夕べの虫の音も
畢竟(ひっきょう)梵音(ぼんのん)海潮音」
なんてところ、いいですね。


最後は、「無常御和讃」

静かに無常の有様を 思えば此世は仮の宿
生者(しょうしゃ)必滅会者(えしゃ)定離(じょうり) 老少不定(ふじょう)は世の習ひ
三世を悟る御仏も のがれ難きは浮世なり
身を萬代と祈るとも 命は冬の暮待たじ
心は千代を期すれども 姿は木槿(もくげ)の朝の露
春の桜に夏の蝉 秋鳴く鹿や冬の雪
今はこの世の人々よ 夕べの嵐に誘われて
今朝の煙はなり果つる 無常の風の時知らず
皆振り捨て死出(しで)の旅 先立つ者は是非もなし
追善供養ねんごろに 怠りなしに勤むべし



なんという無常観。
日本人の心に響きます。


ついでにネットでみつけた
やや教訓的な「懺悔(ざんげ)和讃」

つらつらわが身を観ずれば

腹立つ暇はあるけれど お慈悲をよろこぶ暇はなし
あだごと言える暇あれど 念仏となえる暇はなし

三度の食事は欠けねども 二度のお礼は忘れがち
短気をおこす暇あれど ご報謝つとむる暇はなし

孫や子どもの語らいに 流す涙は多けれど
尊きお慈悲を思いやり こぼす涙はさらになし

たまたまご縁に預からば 居眠りあくびで聞き流し

無常と聞けども上の空 地獄と聞けども驚かず
花の都のお浄土と 聞けども喜ぶ心なし

今日もせわしい 明日もまた

兼ねては障りなけれども
聴聞参りとなるときは 障りあるゆえ参られぬ

夏は暑いと小言つけ 冬は寒いと小言つけ 
雨や風にも障りつけ 
 
火の中分けても聞くべきに、なぜに信心いたさぬぞ
なぜに後生をねがわぬか



御詠歌なんて、
半世紀の間、
聞いたことがありません。
今でも歌われているようですね。
ネットに沢山出てきます。





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