バルト三国の旅4・カウナスと十字架の丘 旅行関係
バルト三国の旅、3日目は、
ヴィリニウスからカウナスを通り、
ラトビアに入ります。

カウナスでは、まず、
杉原千畝(ちうね)記念館へ。

元の日本領事館。

えっ、こんなところに、
と思うほどの住宅街にあります。

中には杉原さんゆかりの文物が展示されています。




ここでは、杉原さんの功績をたどる
15分ほどの映画を見せられます。


第2次世界大戦時、
ナチスの迫害を逃れて
通過ビザを求めて来たユダヤ人たちが
日本領事館前にあふれます。
当時の領事代理の杉原さんは
本国にビザ発給の許可を求める電報を何度も打ちますが、
本国外務省の答はいつも「否」。
ドイツと同盟を結んでいたからです。
悩んだ末、杉原さんは、
独断でビザを発行する決意をし、
昼といわず夜といわず、
腕が動かなくなるまで
ビザを書き続けました。
当時、リトアニアにもソ連兵が入城しており、
日本領事も一刻も早い出国が迫られていました。
リトアニアを出発する列車の中でも、
ビザを書き続け、
「許して下さい。
渡しにはもう書けません。
みなさんのご無事を祈っています」
と最後のビザを渡した杉原さんを
ユダヤ人たちは
「私たちはあなたを忘れません。
もう一度あなたにお会いします」
と汽車と共に走って見送ってくれました。
発行されたビザは1600を越え、
日本経由で第三国に渡ることの出来たユダヤ人は
6000人に及んだと言われています。
しかし、本国の命令に従わなかったことで、
帰国後の杉原さんには処分が待っていました。
このことについて、杉原さんは、
「私のしたことは外交官としては間違っていたかもしれない。
しかし、
私には頼ってきた何千もの人を見殺しにすることはできなかった」
と語っています。
戦後、ユダヤ人は恩人を探しましたが、
ユダヤ人が発音しやすいように
「センポ・スギハラ」
と教えていたために、
「該当者なし」とされ、
それでも杉原さんの所在を突き止めた時、
ユダヤの新聞は
「スギハラが見つかった」
と報道したそうです。
その後、杉原さんの名誉回復が行われ、
「日本のシンドラー」と呼ばれるようになりました。
シンドラーとは、
強制収容所に行くユダヤ人たちを
自分の工場に入れて、
その命を守った
オスカー・シンドラーのことで、
スピルバーグが「シンドラーのリスト」として映画化しました。
という、「正義の人」の映像を観て、
いたく感動しました。
以前、港区の小劇団が舞台化したのを観たことがあります。
杉原千畝さんについては、↓をクリック。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%8D%83%E7%95%9D

リトアニアの観光コースにもなっており、
日本中から訪れた都市が
日本地図にピンで留められていました。

奥様の幸子夫人。

話はヴィリニウスに戻りますが、
ホテルの近くに
奥様が桜の記念植樹をした公園があり、一人で訪れました。

記念碑が建っており、

杉原さんが発行したビザが刻まれています。

リトアニアと日本を結ぶ絆とも言えます。

記念館のある住宅街からは

きれいな黄葉が見られ、

日本人を乗せた観光バスが来るのは場違いな感じ。

その後、カウナスの町を一望出来る展望台へ。

リトアニア第2の都市の眺望が開けます。

その後、旧市街を散策。
↓カウナス城。

これもトラカイ城同様、
13世紀にドイツ騎士団の侵略を防ぐために造られた城。
ドイツとロシアに挟まれた地理的な難しさです。
↓すれ違いになった幼稚園の園児たち。
外国の子供は本当に可愛い。

↓修道院。

↓旧市庁舎。
「白鳥」にたとえられる美しいバロック様式の建物です。

旧市庁舎前の広場。

↓ペルクーナスの家。

この場所には雷神ペルクーナスを祀る神殿があったそうです。

大聖堂。

修復中でしたが、

その祭壇は、すごく美しい。


カウナスの町。

石畳が美しい。

このレンガ2階建ての建物が
伝統的な商家の建物です。

バスは国境を目指します。

途中トイレ休憩で寄ったレストラン。

キリスト教が来る以前の

土俗的宗教の神の像があります。

芝生からはキノコが生えています。

途中訪れたここは・・・

近づくと・・・

無数の十字架が。

「十字架の丘」と呼ばれる場所で、

数万本の十字架が立っています。

5万、と言っていましたが、

それより多い感じです。

大きいの、小さいの

古いの、新しいの

最初の十字架は、
1831年、
ロシアへの蜂起で処刑・流刑にされた人のために建てられたそうです。

驚くのは、

倒れている十字架が皆無なこと。

誰が管理運営しているのでしょうか。

雨や雪や風の日はないのでしょうか。

ローマ法皇が来て、
説教した場所。

丘への入り口では、十字架が販売されていました。

何だか不思議な景色、
胸に残る景色でした。

夕方、いよいよ、
2カ国目、
ラトビアに入国しました。
ヴィリニウスからカウナスを通り、
ラトビアに入ります。

カウナスでは、まず、
杉原千畝(ちうね)記念館へ。

元の日本領事館。

えっ、こんなところに、
と思うほどの住宅街にあります。

中には杉原さんゆかりの文物が展示されています。




ここでは、杉原さんの功績をたどる
15分ほどの映画を見せられます。


第2次世界大戦時、
ナチスの迫害を逃れて
通過ビザを求めて来たユダヤ人たちが
日本領事館前にあふれます。
当時の領事代理の杉原さんは
本国にビザ発給の許可を求める電報を何度も打ちますが、
本国外務省の答はいつも「否」。
ドイツと同盟を結んでいたからです。
悩んだ末、杉原さんは、
独断でビザを発行する決意をし、
昼といわず夜といわず、
腕が動かなくなるまで
ビザを書き続けました。
当時、リトアニアにもソ連兵が入城しており、
日本領事も一刻も早い出国が迫られていました。
リトアニアを出発する列車の中でも、
ビザを書き続け、
「許して下さい。
渡しにはもう書けません。
みなさんのご無事を祈っています」
と最後のビザを渡した杉原さんを
ユダヤ人たちは
「私たちはあなたを忘れません。
もう一度あなたにお会いします」
と汽車と共に走って見送ってくれました。
発行されたビザは1600を越え、
日本経由で第三国に渡ることの出来たユダヤ人は
6000人に及んだと言われています。
しかし、本国の命令に従わなかったことで、
帰国後の杉原さんには処分が待っていました。
このことについて、杉原さんは、
「私のしたことは外交官としては間違っていたかもしれない。
しかし、
私には頼ってきた何千もの人を見殺しにすることはできなかった」
と語っています。
戦後、ユダヤ人は恩人を探しましたが、
ユダヤ人が発音しやすいように
「センポ・スギハラ」
と教えていたために、
「該当者なし」とされ、
それでも杉原さんの所在を突き止めた時、
ユダヤの新聞は
「スギハラが見つかった」
と報道したそうです。
その後、杉原さんの名誉回復が行われ、
「日本のシンドラー」と呼ばれるようになりました。
シンドラーとは、
強制収容所に行くユダヤ人たちを
自分の工場に入れて、
その命を守った
オスカー・シンドラーのことで、
スピルバーグが「シンドラーのリスト」として映画化しました。
という、「正義の人」の映像を観て、
いたく感動しました。
以前、港区の小劇団が舞台化したのを観たことがあります。
杉原千畝さんについては、↓をクリック。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%8D%83%E7%95%9D

リトアニアの観光コースにもなっており、
日本中から訪れた都市が
日本地図にピンで留められていました。

奥様の幸子夫人。

話はヴィリニウスに戻りますが、
ホテルの近くに
奥様が桜の記念植樹をした公園があり、一人で訪れました。

記念碑が建っており、

杉原さんが発行したビザが刻まれています。

リトアニアと日本を結ぶ絆とも言えます。

記念館のある住宅街からは

きれいな黄葉が見られ、

日本人を乗せた観光バスが来るのは場違いな感じ。

その後、カウナスの町を一望出来る展望台へ。

リトアニア第2の都市の眺望が開けます。

その後、旧市街を散策。
↓カウナス城。

これもトラカイ城同様、
13世紀にドイツ騎士団の侵略を防ぐために造られた城。
ドイツとロシアに挟まれた地理的な難しさです。
↓すれ違いになった幼稚園の園児たち。
外国の子供は本当に可愛い。

↓修道院。

↓旧市庁舎。
「白鳥」にたとえられる美しいバロック様式の建物です。

旧市庁舎前の広場。

↓ペルクーナスの家。

この場所には雷神ペルクーナスを祀る神殿があったそうです。

大聖堂。

修復中でしたが、

その祭壇は、すごく美しい。


カウナスの町。

石畳が美しい。

このレンガ2階建ての建物が
伝統的な商家の建物です。

バスは国境を目指します。

途中トイレ休憩で寄ったレストラン。

キリスト教が来る以前の

土俗的宗教の神の像があります。

芝生からはキノコが生えています。

途中訪れたここは・・・

近づくと・・・

無数の十字架が。

「十字架の丘」と呼ばれる場所で、

数万本の十字架が立っています。

5万、と言っていましたが、

それより多い感じです。

大きいの、小さいの

古いの、新しいの

最初の十字架は、
1831年、
ロシアへの蜂起で処刑・流刑にされた人のために建てられたそうです。

驚くのは、

倒れている十字架が皆無なこと。

誰が管理運営しているのでしょうか。

雨や雪や風の日はないのでしょうか。

ローマ法皇が来て、
説教した場所。

丘への入り口では、十字架が販売されていました。

何だか不思議な景色、
胸に残る景色でした。

夕方、いよいよ、
2カ国目、
ラトビアに入国しました。
韓国ミュージカル大賞 旅行関係
韓国・ソウルへ行ってまいりました。
(今年5回目)
今回の航空会社は、アシアナ航空。

実は、今度の旅行は貯まったマイルを使っての特典旅行。
おそらく夫婦揃って娘に会いにソウルに行くのもこれが最後と、
ビジネスクラスをおごりました。

実際はマイルが使える枠のため、
エコノミーで希望の時間の便が取れなかったからですが。
機内食は韓食を選択し、ビビンバ。
右側の御飯を左側の野菜のどんぶりに入れ、

かきまぜて、こんなにして食べます。

テレビの画面も大きいですが、
わずか2時間弱の時間では1本を観ることはできません。

当日、韓国語の公式テストだった娘を待つ間は、
いつもの明洞(ミョンドン)で過ごし、

夜、合流して、
プルコギの夕食。

今、ソウルは黄葉の時期で、

町中できれいな黄葉を見ることができます。



ジュンスのお母さんが経営する化粧品のお店を訪問し、
噂のネコ部屋を拝見しました。

ジュンスが愛する3匹の猫。

ジュンスは時々来て、

遊んでいくそうです。

その時の写真が掲示されていました。

さて、今回の旅行の目的は、
そのジュンスの出演する、
「韓国ミュージカル大賞」の授賞式を観るため。

今回で18回を数える、伝統ある賞です。
オリッピック公園にある会場で行われます。

こんな立派なプログラムも販売されています。

生放送のはずが
野球の中継の日程がずれこんで、
本日収録、明日放送、
と日本では考えられない番組編成。

放送局は韓国の三大ネットワークの一つ、SBS。

男女二人の司会者が進行。

ジュンスは冒頭の新人賞のプレゼンターとして登場。

トニー賞同様、
候補作のさわりを上演します。
↓は、「二都物語」。

↓「アイーダ」。

↓「シカゴ」。

↓「ラ・マンチャの男」。

その合間に、ジュンスは
「人気スター賞」を3年連続で受賞。
これは、ファンの投票で選ばれる賞です。

ハイライトは主演男優賞で、
5人の候補者の出演シーンを次々と上映。

6月の別のミュージカル・アワードで、
「ドクトル・ジバゴ」で主演男優賞を取った
韓国ミュージカル界の第一人者チョ・スンウも候補者の一人。

プレゼンターが読み上げたのは、
「エリザベートのキム・ジュンス!」
会場がどよめきと歓声で割れんばかり。
↓は、その瞬間のジュンスの後姿。

「モーツァルト!」でミュージカルデビューして3年目。
本人も取れるとは思わなかったようで、
驚きと感涙にむせびました。

スピーチでは、
これまで関わった全てのスタッフ・キャストに感謝を捧げる
いかにもジュンスらしいものでした。

人気ばかりでなく、
実力もついたことを認めてもらえたわけで、
これからの励みになるでしょう。
しかし、それほど「エリザベート」のトート役は工夫がこらされ、
ジュンス独特のトートになっていました。
結局、作品賞は「ラ・カージ」
主演男優賞はキム・ジュンス(エリザベート)
主演女優賞はオク・ジュヒョン(エリザベート)
助演男優賞はキム・ホヨン(ラ・カージ)
助演女優賞はオ・ソヨン(ネクスト・トゥ・ノーマル)
最後に「創作ミュージカル賞」というのがあって、
翻訳ミュージカルではなく、
韓国製のミュージカルの中から作品賞が選ばます。
創作ミュージカルへの期待がかけられたもので、
韓国ミュージカル界の意欲を感じました。

次々と新作が上演され、
それが授賞式というイベントに結実し、
それをテレビで中継する。
再演ものばかりの日本のミュージカル界では考えられないほど
韓国のミュージカル事情は充実しています。
翌日のスポーツ新聞のトップに
ジュンスの受賞が報じられていました。

会場にお見えになっていた
ジュンスの両親にも
夫婦揃って挨拶することが出来、
充実と驚きのソウル訪問となりました。
娘とは42時間ほど共にし、
久しぶりの親子団欒を過ごしました。
(今年5回目)
今回の航空会社は、アシアナ航空。

実は、今度の旅行は貯まったマイルを使っての特典旅行。
おそらく夫婦揃って娘に会いにソウルに行くのもこれが最後と、
ビジネスクラスをおごりました。

実際はマイルが使える枠のため、
エコノミーで希望の時間の便が取れなかったからですが。
機内食は韓食を選択し、ビビンバ。
右側の御飯を左側の野菜のどんぶりに入れ、

かきまぜて、こんなにして食べます。

テレビの画面も大きいですが、
わずか2時間弱の時間では1本を観ることはできません。

当日、韓国語の公式テストだった娘を待つ間は、
いつもの明洞(ミョンドン)で過ごし、

夜、合流して、
プルコギの夕食。

今、ソウルは黄葉の時期で、

町中できれいな黄葉を見ることができます。



ジュンスのお母さんが経営する化粧品のお店を訪問し、
噂のネコ部屋を拝見しました。

ジュンスが愛する3匹の猫。

ジュンスは時々来て、

遊んでいくそうです。

その時の写真が掲示されていました。

さて、今回の旅行の目的は、
そのジュンスの出演する、
「韓国ミュージカル大賞」の授賞式を観るため。

今回で18回を数える、伝統ある賞です。
オリッピック公園にある会場で行われます。

こんな立派なプログラムも販売されています。

生放送のはずが
野球の中継の日程がずれこんで、
本日収録、明日放送、
と日本では考えられない番組編成。

放送局は韓国の三大ネットワークの一つ、SBS。

男女二人の司会者が進行。

ジュンスは冒頭の新人賞のプレゼンターとして登場。

トニー賞同様、
候補作のさわりを上演します。
↓は、「二都物語」。

↓「アイーダ」。

↓「シカゴ」。

↓「ラ・マンチャの男」。

その合間に、ジュンスは
「人気スター賞」を3年連続で受賞。
これは、ファンの投票で選ばれる賞です。

ハイライトは主演男優賞で、
5人の候補者の出演シーンを次々と上映。

6月の別のミュージカル・アワードで、
「ドクトル・ジバゴ」で主演男優賞を取った
韓国ミュージカル界の第一人者チョ・スンウも候補者の一人。

プレゼンターが読み上げたのは、
「エリザベートのキム・ジュンス!」
会場がどよめきと歓声で割れんばかり。
↓は、その瞬間のジュンスの後姿。

「モーツァルト!」でミュージカルデビューして3年目。
本人も取れるとは思わなかったようで、
驚きと感涙にむせびました。

スピーチでは、
これまで関わった全てのスタッフ・キャストに感謝を捧げる
いかにもジュンスらしいものでした。

人気ばかりでなく、
実力もついたことを認めてもらえたわけで、
これからの励みになるでしょう。
しかし、それほど「エリザベート」のトート役は工夫がこらされ、
ジュンス独特のトートになっていました。
結局、作品賞は「ラ・カージ」
主演男優賞はキム・ジュンス(エリザベート)
主演女優賞はオク・ジュヒョン(エリザベート)
助演男優賞はキム・ホヨン(ラ・カージ)
助演女優賞はオ・ソヨン(ネクスト・トゥ・ノーマル)
最後に「創作ミュージカル賞」というのがあって、
翻訳ミュージカルではなく、
韓国製のミュージカルの中から作品賞が選ばます。
創作ミュージカルへの期待がかけられたもので、
韓国ミュージカル界の意欲を感じました。

次々と新作が上演され、
それが授賞式というイベントに結実し、
それをテレビで中継する。
再演ものばかりの日本のミュージカル界では考えられないほど
韓国のミュージカル事情は充実しています。
翌日のスポーツ新聞のトップに
ジュンスの受賞が報じられていました。

会場にお見えになっていた
ジュンスの両親にも
夫婦揃って挨拶することが出来、
充実と驚きのソウル訪問となりました。
娘とは42時間ほど共にし、
久しぶりの親子団欒を過ごしました。
ソウルへ行きます 旅行関係
24日にバルト三国から帰ったばかりですが、
ちょっと再び「飛んで」まいります。
今度はソウル。
「ミュージカル大賞」の授賞式を観て来ます。
それと、
引っ越した娘の下宿(寮)も視察。
2泊3日と短いので、
カミさん同伴。
久しぶりの家族団欒をしてまいります。
ちょっと再び「飛んで」まいります。
今度はソウル。
「ミュージカル大賞」の授賞式を観て来ます。
それと、
引っ越した娘の下宿(寮)も視察。
2泊3日と短いので、
カミさん同伴。
久しぶりの家族団欒をしてまいります。
バルト三国の旅3・トラカイ城とケルナヴェ 旅行関係
第2日目の午後は、
ケルナヴェへ。

途中、トラカイ城に寄りました。

ガルヴェ湖の島にある城は、
東ヨーロッパ唯一の水上城です。

橋を渡ってまいります。

かつては4つの塔がありましたが、

今は二つを残すのみ。

中は、左の大公住居と右の城の二つの建築によって構成されています。

城は、今は博物館。

本来は堀に隔てられ、
吊り橋と二つの扉と落とし格子によって入り口がふさがれていました。

中は三階建てで、

各部屋に展示物があります。

この方が、当時最も力のあった王様。

この城は、13世紀に
ドイツ騎士団の侵略を防ぐために造られたものです。

何度もここが戦場になり、
騎士団に占領されて破壊されたこともあります。

騎士団との戦いに勝利した後は、
城としての重要性を失い、

外賓の接客用に使われたとか。

ここでどんなもてなしが行われたのでしょうか。

大公の館は、今では美術館。

このような

展示がされています。



城の裏側を回ってみました。

堀の跡。

水に囲まれた城は、確かに風情があります。

本丸は5階建て。

とても美しい城を後にしました。

さて、ケルナヴェですが、

確かに世界遺産の標識はありますが、

ただの丘にしか見えません。

リトアニアの最も初期の要塞都市の遺跡だそうです。

城が築かれた5つの丘陵と
河岸の集落跡があるといいますが、

丘に登っても、
それらしきものは見えません。

まあ、観た世界遺産が一つ増えた、
ということで満足しましょうか。
遺跡の側にあった教会。

石像は、モーセの像です。

ヴィリニウスに戻った頃、
空に見えた不思議なもの。

こういう宣伝物も珍しい。

空に飛行機雲がさかんに現れます。

この日の夕食。

デザートも出ました。

ホテルの側で杉原千畝の記念植樹の公園を見たのですが、
それは、
翌日のカウナス観光で触れることにします。
ケルナヴェへ。

途中、トラカイ城に寄りました。

ガルヴェ湖の島にある城は、
東ヨーロッパ唯一の水上城です。

橋を渡ってまいります。

かつては4つの塔がありましたが、

今は二つを残すのみ。

中は、左の大公住居と右の城の二つの建築によって構成されています。

城は、今は博物館。

本来は堀に隔てられ、
吊り橋と二つの扉と落とし格子によって入り口がふさがれていました。

中は三階建てで、

各部屋に展示物があります。

この方が、当時最も力のあった王様。

この城は、13世紀に
ドイツ騎士団の侵略を防ぐために造られたものです。

何度もここが戦場になり、
騎士団に占領されて破壊されたこともあります。

騎士団との戦いに勝利した後は、
城としての重要性を失い、

外賓の接客用に使われたとか。

ここでどんなもてなしが行われたのでしょうか。

大公の館は、今では美術館。

このような

展示がされています。



城の裏側を回ってみました。

堀の跡。

水に囲まれた城は、確かに風情があります。

本丸は5階建て。

とても美しい城を後にしました。

さて、ケルナヴェですが、

確かに世界遺産の標識はありますが、

ただの丘にしか見えません。

リトアニアの最も初期の要塞都市の遺跡だそうです。

城が築かれた5つの丘陵と
河岸の集落跡があるといいますが、

丘に登っても、
それらしきものは見えません。

まあ、観た世界遺産が一つ増えた、
ということで満足しましょうか。
遺跡の側にあった教会。

石像は、モーセの像です。

ヴィリニウスに戻った頃、
空に見えた不思議なもの。

こういう宣伝物も珍しい。

空に飛行機雲がさかんに現れます。

この日の夕食。

デザートも出ました。

ホテルの側で杉原千畝の記念植樹の公園を見たのですが、
それは、
翌日のカウナス観光で触れることにします。
バルト三国の旅2・ヴィリニウス 旅行関係
ビリニウスの朝は、霧となりました。

北部のためか、
サマータイム(10月最終日曜まで続きます)のせいか、
明るくなるのが遅いようです。
出発時間が朝9時と遅いので、
ホテルの近所を散歩してみました。

人が住んでいるのでしょうか?

この町での一番の交通手段は、トロリーバスです。

さて、世界遺産・ビリニウス歴史地区の観光で、
最初に訪れたのは、
聖ペテロ・パウロ教会。

この教会は内部が真っ白で、

2000以上の漆喰彫刻があります。

建築そのものは
1668年から7年間で造られましたが、

内装にその後30年もかけられたといいます。

2000の彫刻は、どれ一つ同じものがないとか。

ドームから吊り下がっているのは、ノアの方舟。

真っ白な彫刻群に
色彩を伴った像があると、

どこか生々しく感じます。

続いて行ったのは、夜明けの門。

城には元々9つの門がありましたが、
現在はただ一つ、この夜明けの門だけが残っています。
上の方に見えるのが、リトアニアの紋章。
ソ連時代には、ここでしか見られないものだったそうです。

城門の内側から見たところ。
ガラス窓の部分に祈祷所があります。

祈祷所への階段。

祈祷所の内部。
沢山の人が祈っています。

祈りが蓄積した場所というのは、
それだけで圧倒させられます。
たしかトルコのどこかで「マリアの家」を訪れた時も、
その祈りの膨大な蓄積を感じて、
胸打たれたことがありましたが、
その時以来の感動でした。
↓は、祈りの対象となっていた、
マリアのイコンです。

次は、ゲディミナス塔の展望台へ。
ケーブルカーで上がります。

この塔は、かつての城壁にあった塔。

中は博物館になっており、


屋上は展望台になっています。

ここからは、ヴィリニウスの町が眼下に広がります。

リトアニアの面積は6万5300平方キロメートル。
北海道の約8割の大きさです。

人口は338万人。(2008年)
夫婦で子供一人が普通なので、
どんどん人口は減っており、
今では300万人という説もあります。

リトアニア人が84%、ポーランド人が6%、ロシア人が5%。

かつてはバルト海から黒海まで支配したこともありました。

ここは大聖堂。

その手前にある鐘楼。高さは53mあります。

礼拝堂内部。


聖ペテロ・パウロ教会と違い、
ここは絵画が中心。

でも、彫刻もあります。

脇にあるのが、
聖カジミエルの礼拝所。

リトアニアの宗教は、80%がカトリックです。

↓は、聖アンナ教会。

1812年、
ロシアへ攻め上がるナポレオンがヴィリニウスに入城した際、
この教会を見て、
「我が手に収めてフランスに持ち帰りたい」
と語ったといいます。
その前にあった木。服を着せられています。

琥珀博物館。

バルト海は琥珀の産地です。


虫を含んだ琥珀は価値が高いそうです。

「ジュラシック・パーク」は、
琥珀に閉じ込められた蚊が吸った
恐竜の血液からDNAを取り出して、
それから恐竜を再生させる話でした。
皇后様もお見えになったようです。

旧市街を散策。

石畳の町は何とも言えず風情があります。

道路には、絵を売る人や

様々なお店が。


ここはロシア人のお店。

マトリョーシカ人形です。

昼食は、豊富な野菜のサラダと

コルドゥーナイという、
リトアニア風水餃子。

午後はトラカイ城へ向かいますが、
今日は、ここまで。

北部のためか、
サマータイム(10月最終日曜まで続きます)のせいか、
明るくなるのが遅いようです。
出発時間が朝9時と遅いので、
ホテルの近所を散歩してみました。

人が住んでいるのでしょうか?

この町での一番の交通手段は、トロリーバスです。

さて、世界遺産・ビリニウス歴史地区の観光で、
最初に訪れたのは、
聖ペテロ・パウロ教会。

この教会は内部が真っ白で、

2000以上の漆喰彫刻があります。

建築そのものは
1668年から7年間で造られましたが、

内装にその後30年もかけられたといいます。

2000の彫刻は、どれ一つ同じものがないとか。

ドームから吊り下がっているのは、ノアの方舟。

真っ白な彫刻群に
色彩を伴った像があると、

どこか生々しく感じます。

続いて行ったのは、夜明けの門。

城には元々9つの門がありましたが、
現在はただ一つ、この夜明けの門だけが残っています。
上の方に見えるのが、リトアニアの紋章。
ソ連時代には、ここでしか見られないものだったそうです。

城門の内側から見たところ。
ガラス窓の部分に祈祷所があります。

祈祷所への階段。

祈祷所の内部。
沢山の人が祈っています。

祈りが蓄積した場所というのは、
それだけで圧倒させられます。
たしかトルコのどこかで「マリアの家」を訪れた時も、
その祈りの膨大な蓄積を感じて、
胸打たれたことがありましたが、
その時以来の感動でした。
↓は、祈りの対象となっていた、
マリアのイコンです。

次は、ゲディミナス塔の展望台へ。
ケーブルカーで上がります。

この塔は、かつての城壁にあった塔。

中は博物館になっており、


屋上は展望台になっています。

ここからは、ヴィリニウスの町が眼下に広がります。

リトアニアの面積は6万5300平方キロメートル。
北海道の約8割の大きさです。

人口は338万人。(2008年)
夫婦で子供一人が普通なので、
どんどん人口は減っており、
今では300万人という説もあります。

リトアニア人が84%、ポーランド人が6%、ロシア人が5%。

かつてはバルト海から黒海まで支配したこともありました。

ここは大聖堂。

その手前にある鐘楼。高さは53mあります。

礼拝堂内部。


聖ペテロ・パウロ教会と違い、
ここは絵画が中心。

でも、彫刻もあります。

脇にあるのが、
聖カジミエルの礼拝所。

リトアニアの宗教は、80%がカトリックです。

↓は、聖アンナ教会。

1812年、
ロシアへ攻め上がるナポレオンがヴィリニウスに入城した際、
この教会を見て、
「我が手に収めてフランスに持ち帰りたい」
と語ったといいます。
その前にあった木。服を着せられています。

琥珀博物館。

バルト海は琥珀の産地です。


虫を含んだ琥珀は価値が高いそうです。

「ジュラシック・パーク」は、
琥珀に閉じ込められた蚊が吸った
恐竜の血液からDNAを取り出して、
それから恐竜を再生させる話でした。
皇后様もお見えになったようです。

旧市街を散策。

石畳の町は何とも言えず風情があります。

道路には、絵を売る人や

様々なお店が。


ここはロシア人のお店。

マトリョーシカ人形です。

昼食は、豊富な野菜のサラダと

コルドゥーナイという、
リトアニア風水餃子。

午後はトラカイ城へ向かいますが、
今日は、ここまで。