生まれ故郷  旅行関係

三島から伊豆箱根鉄道に乗り換え。

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昔は「駿豆線」(すんずせん)といいました。
駿河の駿に、伊豆の豆。

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駅の数13は昔から変わりません。
井上靖「しろばんば」を読むと、
大正時代は「軽便鉄道」と呼ばれ、
大仁までしか行っていなかったようです。

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駅の呼び方も一風変わっていて、
「大場」は「おおば」ではなく「だいば」、
「伊豆仁田」は「いずじんた」ではなく「いずにった」、
「原木」は「はらき」ではなく「ばらき」、
「田京」は「でんきょう」ではなく「たきょう」、
「大仁」は「だいじん」ではなく「おおひと」、
「牧之郷」は「まきのきょう」ではなく「まきのごう」。

今の車体はこれですが、

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以前は東京の西武線の古い列車が走っていました。
東北の方に行くと山手線の古い車体が走っていたりします。
アルゼンチンのブエノスエイレスでは、
東京の地下鉄の車体が走っていて、
日本語表記がそのまま残っているそうです。
どうやって運んだのでしょうか。
(船に決まっていますが)

中の様子。

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単線です。

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すれ違うために、駅で別れた線が再び元に戻る。

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子どもの頃は、これが不思議でなりませんでした。

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すれ違ったのは、急行「踊り子号」。

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東京まで行きます。
駅のアナウンスで停車駅が
「品川、新橋、東京」と紹介されており、
東京の地名を知りました。
その頃には、
まさか品川に勤めることになるとは知りませんでした。

小学校5年生になる時、
私は東京に引っ越したのですが、
その時乗ったのが、この電車。
その頃は「準急」でした。

電車は、ずっとこういう景色の中を走ります。

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農村だったんだ、と今更分かります。

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そういえば、田植えの時期になると
「農休み」で、学校が休みになりました。

韮山は隣の駅。

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「伊豆長岡」駅で下車。

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この駅では、
テレビドラマ「世界の中心で、愛を叫ぶ」
のロケが行われました。

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伊豆長岡駅。もちろん昔は木造でした。

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駅の向かい側。
真ん中の建物あたりが、私の生まれた場所です。
正真正銘の「生まれ故郷」。

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すぐ脇の店。

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小学校低学年の頃、
寝ぼけ癖のあった私は
夢に追われて、
家を飛び出し、
このお店に何度も飛び込んだそうです。
何か強烈な罪悪感が充満した夢で、
一度分析してみたいものです。

今は町村合併で、こんなしゃれた名前がついていますが、

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昔は「静岡県田方郡韮山村南條」というのがこのあたりの地名。
本当は「伊豆市」にしたかったのですが、
一足先にどこかに取られて、
「伊豆の国市」となりました。

↓のようなポスターを見ると、
東京から遠く離れたんだな、と分かります。

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今回の目的は墓参なので、
ご先祖様のお墓のある長源寺へ。

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山を登ることになるので、
行きはいつもタクシーです。

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墓石の脇の記録を見て、
ああ、おじいちゃんは79歳で死んだのか、
おばあちゃんは85歳まで生きたんだ、
伯母ちゃんは90歳か、
女の人は長生きだな、
と思います。

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自分がいて、父母がいて、
その上の祖父祖母がいて・・・
その一人が欠けても今の自分はいないし、
娘もいない。
生命とDNAと家系の不思議を知る。
墓参りは大切ですね。

帰り道はだらだらと坂を下がる。
途中、反射炉が見えます。

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反射炉を世界遺産にしようとする動きがあるとか。

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そりゃ、世界遺産のインフレ化でしょう、
と言ったら、きっと地元の人に叱られるでしょう。

途中、私が通った小学校が。

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小学校1年から3年までここに通いました。
当時は「共和分校」といい、
4年生からは、一駅先の「本校」に通いました。
今は「韮山南小学校」と称し、6年生まであるようです。

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通学路は全く変わっていましたが、
この踏み切りは変わりません。

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地元に残っているクラスメートを訪ねましたが、
残念、二人とも留守でした。

↓は、狩野川台風の時も流されなかったという土蔵。

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友達によると、
川の様子を見に行った祖父が
家族をこの土蔵に避難させて、
助かったそうです。

下田街道。

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駅前からこの四つ角までが
子どもの頃の私の「世界」でした。
今見れば狭さに驚きます。
左側の店のテレビで
千代の山の全勝優勝を見たのを覚えています。

↓交番の位置が全く変わっていないのは、すごい。

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その裏手のここに「集会所」というのがあり、

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ここで旅の一座のする時代劇を見たのが、
私の初の演劇体験
小学校の学芸会、
地方劇団「ひまわり」の学校公演、
高校学園祭で「リア王」(目茶苦茶の翻案台本)、
東京で渋谷の東横劇場で劇団「仲間」の「森は生きている」を観、
帝劇や東宝劇場に行くようになり、
俳優座や民芸、文学座や青年座の芝居を観、
自分でもやるようになって、
やがてロンドンやニューヨークでミュージカルを観るようになる、
その全ての原点が、
この「集会所」。
不思議ですね。


さて、今回は一泊する予定だったので、
千歳橋で

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狩野川を渡り、

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伊豆長岡温泉へ。

千歳橋、昔は赤い色だったはず。
その前は木造で、
橋下生活者(今で言うホームレス)が火元で燃えたのを
目撃しました。
鉄筋で再建なった時は提灯行列をやりました。

続きは、今度。





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