事務局長、最後の月  

連休の狭間の2日間の出勤。
さすがに朝の電車も空いています。

5月。
事務局長にとって食肉組合最後の月となりました。
組合職員の定年退職日は、
65歳の誕生月の月末、という決まりですので、
5月26日が誕生日の事務局長は、
5月末日をもって、食肉組合を去ることになります。

組合に就職したのが、
昭和58年の9月1日ですから、
28年と9カ月
随分長くいたものです。

引き算をすればお分かりのように、
36歳の中途採用。
学生運動や思想運動が吹き荒れた時代に
大学にいた関係で、
普通の就職は無理になり、
映画や演劇の仕事にたずさわりたいとして、
シナリオや戯曲の勉強をしていましたが、
さすがに子どもが生まれて育ってくれば、
いつまでも夢を追っているわけにもいかず、
30代後半での方向転換。
3年が節目かと思っていましたが、
それを越えて
こんなに長くいたのは、
水が合っていたからでしょうか。

前にも書きましたが、
コンピューターによる性格判断によれば、
「組織に全く向かない人」なのだそうで、
(娘も全く同じ判断が出ました)
そういう、組織に不向きな人間が
こんなに長くいられたのは、
東京組合の持っている
懐の深さだと思っています。
その証拠に、
全国団体とはとても肌に合わず、
2度にわたる大喧嘩をしています。

「大きな会社に入っていれば・・・」
と言ってくれる人もいますが、
おそらく
愚かな上司とぶつかって
飛び出していたでしょうから、同じです。

組合にいて、
やめようか、と思ったのはたったの1回。
全国食肉公正取引協議会の専務をしていた時に
二重価格表示で大手量販店が
公正取引委員会の警告を受け、(平成11年)
その後処理と
新たな規約設定の作業の中で、
お役人のあまりに卑怯な対応に、
「こんな奴らと関わって人生を無駄にすることはない」
と決意したことがあります。

いろいろな事情があって撤回せざるを得なかったのですが、
29年近くいて
やめようと思ったのが1回だけ、
というのは、案外安定していたのかもしれません。

事務局長に就任(平成13年)してからは11年。
4人の理事長にお仕えし、
企画立案、組織運営、参謀役としては
役目を果たせたのではないかと自負しています。

事務局長に就任した直後、ある人から
組合十年の計を立てて下さい」
と言われ、
そんなこと、出来るわけないだろう、
と思いましたが、
その後、
仕組債の導入による8年ぶりの赤字からの脱却
全肉連から脱退(平成16年)して戻って来た持分を生かしての
組合内助成事業の創設(平成17年)、
定款を変更して(平成21年)
特別積立金を組合内助成事業に振り向けることが出来るようにして
決算に関係なく安定的に組合員への事業が出来る体制を整え、
組合内助成事業はもう8年目に入り、
今後も継続していくとすれば、
「十年の計」は成し遂げたのかもしれません。

あと、平成19年の
組合50周年記念事業をさせていただいたのは
ありがたいことで、
それまでの自分の経験を生かして、
多彩で面白く躍動的な行事をすることが出来たのは、良い思い出です。
あの時は、
「後々まで語り種になるようなことをしよう
と始めて、
実際、いまだに語り種になっているのですから、
目的は達成。
あの節目に近藤前々理事長がいて、
事務局長のようなタイプの人間がいて、
その上、組合史上最高の2億円の利息が取れた、
というのは、巡り合わせだとしか言いようがありません。

もうやり残したことはありません。
このまま続けても惰性になるだけです。
そういう時に定年がやって来た。
いいタイミングです。

「残るんでしょう?」
と言って下さるありがたい人もいますが、
全くその気はありません。
というより、
組合は終業規則を改正して
職員の定年を60歳から65歳に引き上げた時、
再雇用の制度も撤廃しましたので、
いわゆる「嘱託」というものはないのです。
仮にあったとしても残ることはありません。

その理由は3つ

その1・定年という制度があるのだから、守るのは当然

いろいろな団体で、
問題解決能力をなくした人が
いつまでもしがみついている姿を見て、
「みっともないなあ」と思っていましたので、
そのみっともない姿はさらしたくありません。
定年という制度は、
組織の新陳代謝の仕組みですので、
それを破るのは組織の新生の妨げになります。
様々な団体で役員が高齢化し、
何十年もトップが変わらないところがあって、
いつのまにか「○○さんの団体」と言われたりしますが、
これは団体の私物化。
なぜそうなるかと言えば、
後継者をちゃんと育てていないからで、
「貴方しかなり手がいない」
などと言われるのは、
後継者を育てていなかったですよ、
と非難されているのと同じです。
一人の人間が創造性を発揮して組織を動かせるのは
4年から長くて6年と言われていますので、
それ以上やっているのは、惰性。
事務局長自身も11年は長かったかな、
と思っています。
何事も潮時というものがありますので、
それにうまく乗るべきです。

そういう意味で、
わが組合が
役員の定年制(75歳を越えたら新たに役員になれない)を導入したのは
賢い選択で、
組合が生き生きと動くようになったのは、
定年制を執行した平成16年、
三役8人(当時)のうち7人が引退した時なので、
証明されています。


その2・残れば、次の事務局長の活躍の時間が短くなる

組織における役職は、時期が来れば、退いて、
次の担い手にバトンタッチすべきで、
「あなたがいないと困る」などとおだてられて
居残って、次の新しい芽が伸びるのを阻害しているのは、
いくらでも例を見ることが出来ますが、みっともない。
「余人をもって変えがたい」
というのは、芸術家だけで、
組織における任務というのは、
継承されていくものなので、
誰がやっても持続される。
そうでなければ、
その組織は組織でなく、個人企業でしょう。

次の人を育てる最も効率の良い方法は、
上の人が身を引くことで、
いなくなれば、
次の人の自覚が高まり、成長していくものです。

そういう意味で、
事務局長職は次の事務局長に引き継がれていくべきで、
残れば、
結果として、
次の事務局長の活躍の時間を短くするだけです。
上に人がいれば、遠慮が先行して
自由に働けません。


その3・私にも人生の計画がある

65歳で退職して、
体が自由に動くのは、
せいぜい10年間。
その間に、自分が本当にやりたいことをしなければなりません。
どんどん体の機能が落ち、
感性も鈍くなる前に、
行ったことのないところに行き、
食べたことのないものを食べる。
そして、一応新人賞まで行った
創作の才能も再チャレンジする必要もあります。
最後はボランティアの生活。
ささやかでも、
人に喜ばれ、感謝されながら生きるのって
素敵じゃないですか。

10年なんかあっという間。
これからの1年1年は大変貴重です。
その貴重な時間を
有効に生かしたい、
と事務局長は思っていますので、
定年という「社会的責任からの解放」は
ありがたく受け止めて行きたいと思います。


いよいよ「あと1カ月」になりましたので、
今日は書かせていただきました。
しばらく黙っていたのは、
退職のことを言うと、いやがる人がおり、
また、ある人から
「あまり言わない方がいいよ」とアドバイスをいただいたからです。
というのは、
事務局長が辞める辞めるというのは、
「あれはSOSではないのか」
と受け止めた人がいたそうで、
つまり、
「辞めるから、どこかの団体で声をかけてくれないか」
という発信だというのです。
つまらない邪推をするものですが、
既に、事務局長の辞めることは十分行き渡っていますから、
もう、言うのはやめました。

ちなみに、
「あんた、辞めるんなら、
ウチに来ないかい」
というお話は、
ただの一件もありません。
きれいさっぱり、ゼロ。
よほど使いにくいと思われているのか、
それとも第2の人生の門出を祝ってくれているのか。


そういうわけで、
待ちに待っていた日は、
あと30日で巡ってきます。
その日の「未来日記」は既に執筆済み。


前にも書きましたが、
このブログは、個人のブログとして継続します。
組合のホームページの「今日の食肉組合」は、
その日の組合行事の報告となり、
ブログの形を取りません。

従って、組合ホームページからはアクセスできなくなりますが、
アドレスは引き継ぐので、
今、「お気に入り」に入れている方は、
そのままで使えます。
ただ、題名は変わります
何という題名になるか、
それは6月1日に発表。





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