休日出勤と『別離』  

今日も休日出勤
引き継ぎ関係の書類を作成。
今日は役員選挙に関係する部分をやりましたが、
この問題一つについても、
膨大な作成資料があり、
手順があります。
一年置きに慣れた調子でしていたことも、
改めて体系立てて見ると複雑。
まあ、物事、何であれ、そうなのでしょうが。


「辞めた時、淋しくなかったですか?」
と近藤前々理事長に訊いたことがありますが、
「辞めた後は、さっぱりして淋しくはなかった。
むしろ辞める前、
いろいろ整理していた時、
淋しくなったことがあった」
という答えでした。

なるほど、そういうものか。
でも、事務局長、まだまだ何も淋しくありません。

ただ、休日出勤している時、
誰もいない事務所で、
普通の動作、
たとえば、書類を探したり、
鍵をかけたり、
ごみを捨てたりしているとき、
ああ、こういう動作も
これからはすることがないんだ、
と、わずかながら
淋しさを感ずることがたまにあります。
こういう時期、
早く過ぎてほしいものです。


前にも書きましたが、
事務局長の好きな芝居に
「わが町」という作品があります。
「グローバーズ・コーナーズ」という、
アメリカの片田舎の架空の町の
隣り合った2軒の家の家族の話。
町で起こる、
何でもない日常が淡々と描かれ、
最後に主人公の女性・エミリーは死んでしまうのですが、
過去の一日に一度だけ戻ることが許される
という決まりにより、
自分の青春時代のある日の朝に戻る。
しかし、そこでは、日常生活が
ただゆるゆると過ぎ去っていて、
その一瞬一瞬がどんなに美しく輝いているかを誰も気づかない。
たまらなくなったエミリーは
途中でやめてしまうのですが、
何でもない日常が
どれほど輝くような大切な時間であるか
という
人生の普遍的な真実を描く奥深い作品でした。

そういうことを、お葬式で味わうことがありますね。
亡くなってしまった方を前に、
ああ、どうして、この人との時間をもっと大切にしなかったのか、
どうしてもっと交わっておかなかったのか、と。
それと同じなのかもしれません。

残されたわずかな時間を大切に生きていきます。


〔映画紹介〕

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テヘランに住む
中産階級の家庭での話。
今、夫婦は離婚の危機にある。
妻は夫と娘と共に国を出たいのだが、
夫は認知症を患う父親のために
国に留まりたいと考えている。

冒頭、家庭裁判所で主張しあう二人の姿を
正面から固定カメラのワンカットで描いて
この家庭の状況を全て分からせてしまう手際の良さ。

離婚が認められなかったため、
妻はいったん夫の許を離れ実家に帰る。
そのため夫は
父の介護人として、敬虔で貧しい女性を雇う。
夫が失業したために
子ども連れで仕事に来ていた彼女は、
わけがあって、
(後で分かる)
認知症の老人をベッドに縛りつけて出かけてしまう。
無人の家でベッドから落ちた父を発見した夫は
怒って彼女をアパートの玄関から無理に押し出し、
階段に倒れ込んだ彼女は胎児を流産してしまう。

事件は裁判にまで発展し・・・

というわけで、
世界中のどこででも起きている
ささやかないさかいの中での人間模様。
これが素晴らしい人間ドラマとして展開する。

謎をからませ、事件の真相を少しずつ見せていく脚本の巧みさ。
それぞれの人物を生き生きと描く演出の素晴らしさ。
そして、生身の人間を演ずる役者のうまさ。

大事件も起こらず、
国家も揺るがないが、
それでも見えて来る
イランの抱える社会問題
人間の業の深さ。
そして根底を貫く、
誰も悪くないのに
みんなが不幸になってしまう
人間同志の交わりの哀しみ

暗くなると眠気に襲われるという、
映画好きには困った「持病」を持つ事務局長だが、
この映画は一瞬も眠くなることなく、
最後まで引きつけられた。

そして、あのラスト。
ああ、こういう終わり方しかないよなあ、
と思わせる、
深みのあるエンド。

監督は、「彼女が消えた浜辺」のアスガー・ファルハディ
イラン映画は「運動靴と赤い金魚」や「太陽は、ぼくの瞳」など、
秀作があるが、
この映画は、
イラン映画初のアカデミー賞外国語映画賞受賞作
「瞳の奥の秘密」「未来を生きる君たちへ」と続く
外国語映画賞のハズレのなさ。
前にも書いたが、
アカデミー会員の目は確かだ。

5段階評価の「5」

最近知ったが、
外国語映画賞というのは、
候補作5作品を全部観ていないと投票できないのだという。
本当か?
どうやって確認するのか。
他の部門はどうなのか。







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