昔の品川駅  

急遽、新年賀詞懇親会での山本一力氏の挨拶を
機関紙紙上に掲載することになり、
録音を聞きながら、まず素書き。

山本氏の話は
既に頭の中に出来ている文章を
口を介して出しているようなものなので、
実に文字にしやすい。
モーツァルトの楽譜は、
修正したり直したりの跡がなく、
最初から頭の中にある音楽が
そのまま楽譜になって出て来ている、
ということで、サリエリが衝撃を受けるのが、
映画「アマデウス」の一場面ですが、
まさにそれと同じ。
「えー」も「あー」も一つもない。
乱れが生じたのは一カ所だけ。

文章の達人、必ずしも話すのが上手ではなく、
話のうまい人が、必ずしも文章を書けるとは限りませんが、
両方備えた珍しい例だと言えるでしょう。

そういうわけで、
5時過ぎから作業を始めて、
録音を3回聞き、
原稿が出来上がるまで2時間弱。
新聞に掲載されますので、乞うご期待。


年末にインフルエンザの予防注射で訪れたクリニックに、
↓のような本が置いてありました。

クリックすると元のサイズで表示します

さっそくネットで調べて、注文。
2日後には手元に届きました。
ホント、便利な時代です。

品川については、17ページの特集。
その中に品川駅に関する部分があり、

クリックすると元のサイズで表示します

昔の品川駅の写真がありましたので、紹介します。

↓昭和5年頃の高輪口。

クリックすると元のサイズで表示します

↓昭和34年の高輪口。今の形が出来上がっています。

クリックすると元のサイズで表示します

↓現在の高輪口。

クリックすると元のサイズで表示します

反対側の東口(港南口)の変化は、もっとすごい。

↓昭和37年の港南口。この頃、事務局長はここに引っ越して来ました。

クリックすると元のサイズで表示します

毎朝、ここを走って通学。
カメラの背後あたりに沖電気の工場がありました。

当時、修学旅行列車というのがあって、
品川が始発。
帰りは夜行列車が朝、ここに着きました。
事務局長が人生の不条理に目覚めたのは、
昭和39年、この夜行列車の中でのことでした。
この時から突然、
事務局長は思索的になり、
人生の彷徨が始まります。

↓昭和56年の港南口。

クリックすると元のサイズで表示します

出てすぐにパチンコ屋、その上に喫茶店がありました。

↓現在。同じ駅とは全く思えません。

クリックすると元のサイズで表示します

地下道は一夜にしてふさがり、
今は痕跡を留めていません。
高輪口に行くのに顔パスを使った日々はもはや伝説、
自由通路が解放感を与えています。

おそらく都内の駅でも
最も変貌が激しい駅の一つ。
誰か写真集でも出さないか。





AutoPage最新お知らせ