1111号と『ポリティコン』  

↓は、組合のFAX通信

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今日で1111号を迎えました。
しかも、1月11日に

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まるで計画したかのように。
昨年(2011年)だったら、
もっとよかったのに。


〔書籍紹介〕

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ポリティコンとは、
アリストテレスの「ゾーン・ポリティコン」=ポリス的動物
から取っており、
人間がポリス(社会、国家)を作って政治を営む動物のこと。
社会的動物とも訳される。

小説の中で
題名「ポリティコン」の意味は明らかにされない。
実は雑誌連載中の題名は「アポカルプシス」だった。
この言葉は、
「暴露すること、露見、おおいを取り除ける」
という意味のギリシャ語。
黙示、黙示録を意味する「アポカリプス」はそこから来た。

「理想郷」作り、
というのは人類の夢のようで、
武者小路実篤の「新しき村」が有名だが、
この小説は東北の寒村に作られた「唯腕(イワン)村」が舞台。
文学者と彫刻家が共同で
農業を中心に共有財産で生活する理想郷を夢見て作った。

それから二代が経過して、
創立者の末裔である青年・東一(といち)が
理事長を継ごうという頃には、
村は高齢化と過疎化の波にさらされていた。
二代目、三代目は次々と村を出て行き、
残っているのは老人ばかり。
農業にも否応なく効率化の必要性が迫られており、
東一は、村の逼迫した状況を何とかしようとしながらも、
古いままで留まろうとする村人の前になすすべもなかった。・・・・

一方、父親に棄てられ、
脱北ビジネスに関与した母親が行方不明になった高校生の真矢は、
母の愛人だったホームレスと
脱北者らしい女とその息子との
疑似家庭を作って村に移り住んで来る。
東一は一目で真矢に心奪われるが、
真矢が心を開くことはない・・・

第一部は東一の視点で描かれ、
プロローグと第二部は真矢の視点で描かれる。
上下2巻の大作。

特殊な社会(疑似国家)の中での人間集団群像に、
大変興味深く読んだ。
というのも事務局長自身も若い頃、
「理想郷」にあこがれた時期があったからで、
そういうものが出来ればどんなにいいだろうか、
と今でも夢想している。

しかし、そんなものは
人間性の現実を見れば、
そう簡単に出来るものではなく、
この小説の舞台となった唯腕村も、
創立世代はともかく、
時間が経過し、人が変わり、社会が変化するに伴い、
次第に元の理念は風化して、
単なる老人の共同生活体に成り下がってしまう。
と同時に経済が疲弊すれば、
そこにはむき出しのエゴが表れ始める。

三代目として理事長になる宿命を追わされ、
一度行ってみた東京にも跳ね返され、
その村でしか生きていくことの出来ない東一の悪戦苦闘は少々哀しい。
また、子供の時から異常な人間関係の中で育ち、
母親に放り出された真矢の「欠落」を抱えた人生も哀しい。

登場人物は全員卑小で行動も稚拙、
共感出来る人間は一人もいないが、
社会的動物である人間の根源的な姿を見せられた気がする。

本の腰巻に
「過疎、高齢化、農業破綻、食品偽装、外国人妻、脱北者、国境・・・
東アジアをこの十数年間襲った波は
否応なく日本の片隅の村を呑み込んでいった。
ユートピアはいつしかディストピア(絶望郷)へ」

とあり、
物語は複合的な社会的構造を内包して進むが、
後半の真矢の物語と終息はやや腰砕けで、
桐野夏生といえども、
最初に提示した問題はついに料理仕切れなかったようだ。

ただ、女性とは思えない桐野夏生の冷徹な視点は、
時々ぞっとさせられることがあった。
 
ユートピア(理想郷)の反対語が
ディストピア(絶望郷)
というのは始めて知った。
世の中には、そんな言葉があるんだな。

なお、小説を読む時、
知っている人間が最初イメージされてしまって、
それが助けになることも、
邪魔になることもあるが、
事務局長は、東一には組合の元青年部長を、
真矢には黒木メイサをイメージしてしまって、
その中から抜け出せなかった。
                                       




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