METのオペラ  オペラ関係

今日は、久々の何もない休日。
睡眠不足の分を取り戻す日でした。


そこで、先日のニューヨークの話を。


今回の訪米は前回(5月)と同じく
オペラとミュージカルを観る旅。
前回は娘が一緒でしたが、
今回は一人旅で、気楽です。

メトロポリタン・オペラ・ハウス(以下、MET)
でワーグナーの「ニーベルングの指輪」の新演出が始まり
しかも、演出はラスベガスの最高峰のショー「KA」を作った
ロベール・ルパージュで、
「KA」並のハイテク舞台が出現する、
と聞いた途端に「行きたい!」となり、
そうなると、持ち前の行動力を発揮して、既に2回。
「ラインの黄金」「ワルキューレ」に続き、
「ジークフリート」を今回観に来ました。
必ずしも新演出に賛同するわけではありませんが、
オペラの上演方法の最先端を見極めるつもりで
4作全部観るつもりです。

前2作の演出に対しては事務局長はかなり批判的で、
装置(マシーンと呼ぶらしい)が自己主張していて、
音楽の邪魔をしている、というのが否定の理由。

ドイツ系の演出にあるような
「読み替え」で演出者の意図を押しつけてくる手のものは
大嫌いな事務局長ですが、
このルパージュ演出は、
強引な解釈を観客に押しつけるわけではなく、
特別なハイテク装置を使って、
「リング」の世界を
どれだけ視覚的に具現化するか、

ということのようです。
その志は買えます。
ただ、前2作では、
必ずしもうまくいっておらず、
「ワルキューレの騎行」のシーンのように、
装置が自己主張して音楽をぶち壊したりしているわけです。

それに比べ、
この「ジークフリート」、
3作目にして、
ようやく装置と演出意図が一致した
ようです。
装置が大がかりに動くのは、場面転換にとどめ、
物語の進行、歌手の歌唱の間は動かず、
人が出現したり、大蛇が登場したりの

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必要な部分で最小限に装置が動く。
そして、装置に投影する映像、
しかも3D映像が効果的。
偏光メガネをかけずに観客には立体的に見える仕掛けで、
それが森の木々の一本一本を表現する。
そして、川が流れたり、鳥が飛んだり、

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湖にさざ波が起こり、それが次第に凍りついていく、
などという表現をしています。

特に第2幕の森のシーンは、夜の森が
ほとんど気づかないほどの変化で
朝から昼に変わっていく過程は美しく、
書き割りでは表現できない時間の経過を表しています。

第3幕の岩山は、マシーンの造形が岩をよく表現し、
ジークフリートがブリュンヒルデの元に向かうシーンの
燃える火の表現も動く映像を使って効果的。

「ワルキューレ」の最後に逆さ吊りになった
ブリュンヒルデは、
ぐるりと回って岩山の向こうから現れて来ます。
(初めボディ・ダブルかと思いましたがデボラ・ヴォイト本人で、
ということは、しばらくの間、彼女はマシーンの後ろで
岩に縛りつけられてさかさまになっていたことになります)

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最後の炎に包まれながら愛し合う
ジークフリートとブリュンヒルデが結ばれる最後は
舞台全体が輝いて美しい。

今回は装置が邪魔にならず、
視覚的効果が出ており、
初めてこの演出と物語と音楽が一致したものとして、堪能しました。


演出面のことだけ書きましたが、
元々音楽については素人なので、大したことは書けません。
ただ、ドクター・ストップのかかったレヴァインさん
(ついに「神々の黄昏」も振れないらしい)に代わり
首席指揮者のファビオ・ルイージの指揮は、
何だかワーグナーを聴いている感じがしません。
出演者も
当初ジークフリートにキャスティングされていたベン・ヘップナーが同役卒業宣言をして、
ギャリー・レーマンに交代し、
そのレーマンがリハーサル途中で降板。
(病気ということですが、別の噂もあります)
正味3時間半の間、ほぼ出ずっぱりで
歌い続けなければならないこの大役をつとめられる実力の持ち主など
そのへんにあいているわけがなく、
結局MET自前のアンダースタディーの
ジェイ・ハンター・モリスを起用。

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モリスと聞くと、
かつてヴォータンを持ち役としていた
ジェームズ・モリス大老を想起しますが、
関係ないようです。
サンフランシスコでの第3幕と、
今回のMETの第1幕の
公式映像が彼のブログで観ることが出来ますので、
興味のある方は、↓をクリック。

http://www.jayhuntermorris.com/

トップページから
Vidz → Opera と入って下さい。

いわば、代役の代役ですが、
さすがMETのアンダースタディ。
ちゃんとこなしていましたが、
舞台に現れるオーラの無さと
力強さの欠如は如何ともしがたく、
その連動でか、他の歌手もテンションが下がり、
最後まで音楽的感動は起こりませんでした。
それが残念。

この作品、長いのに、
登場人物は極端に少なく、8人しか出てこない
うち一人は小鳥の声で、カーテンコールにしか出てこない。
合唱もなく、重唱もない
それだけに、
一人一人の持っているパワーが生身で客席に伝わらねばならず、
現場で観た限りでは、そのパワーは少なかったと感じました。

ところで、
この日はテレビの中継日に当たり、
日本でのMETライブビューイングの上映は、
11月26日(土)〜12月2日(金)。
案内役はいつものルネ・フレミングで、
2階の客席から。
↓は、そのリハーサル風景です。

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中継日は舞台裏でのインタビューなどあるので、
開始は何分が遅れます。
事務局長は気になって、
何度も2階を振り返りましたので、
きっと真後ろの方は、
「この日本人は何で後ろを気にしているのか」
と思ったことでしょう。
やがて場内が暗くなる中に、
カメラに向かって話すルネおばさんのナマ声が後ろから聞こえ、
指揮者が登場。
現場でしか味わえない気分です。


事務局長の席は前から7列目の
センターの左通路から2番目。
さて、今度は映るでしょうか。


「ジークフリート」は長い(「神々の黄昏」は、もっと長い)ので、
昼12時から開始。
6時までかかって、
買い求めた冊子を置いて
夕食を取るためにホテルに帰り、
暗くなってから再び劇場に戻って、
今度はヴェルディの「ナブッコ」。

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ここのところ、METに来るたびに
いつもワーグナーとヴェルディの組み合わせです。

「ジークフリート」の最新演出を観たせいか、
古色蒼然とした印象。
いつの演出かと思って
「PLAYBILL」を読むと、
「ナブッコ」は2つのプロダクションしかなくて、
これは2001年のもの。
意外と最近。
旧約聖書の話ですから、
こういうやり方しかないのでしょう。
生火を盛大に使うやり方が、当時としては斬新だったのかもしれません。

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題材は、イスラエル民族のバビロン捕囚の話。
「ほしゅう」と入力しても「捕囚」と変換しないくらい古い言葉で、
日本人にはなじみがありません。

今で言うユダヤ人は
3回、異郷での生活を味わっており、
1度はヤコブの家族のエジプト移住の時代。
エジプトからカナンへの復帰の話は
映画「十戒」に描かれていますが、
この時、彼らは選民としてのアイデンティティーを確立します。

2度目がこの「バビロン捕囚」で、
北イスラエルと南ユダに分裂したイスラエルが
まず北王国が滅び、続いて南王国が
新バビロニア王国の侵攻で滅ぼされ、
紀元前597年から586年にかけて、
強制的にバビロンに連れ去られる。
その地から故郷への帰還を祈り続けた時期がバビロン捕囚。

3度目は、
紀元後の世界への離散(ディアスポラ)です。

このバビロン捕囚、
民族存亡の時であり、
この時期、彼らは堅固な宗教思想を確立します。
その力になったのが文学で、
バビロン捕囚がなければ、
旧約聖書の詩篇のうるわしい詩のいくつかは生まれていません。
(たとえば
「われらは
バビロンの川のほとりにすわり、
シオンを思い出して涙を流した」

に始まる詩篇第137篇など)
イザヤ書をはじめとする予言文学も出現せず、
まさに民族存亡の危機の時、
香り高い文化が花開く典型です。

話は戻って、
この作品は、
この史実を扱って作った創作。
エルサレムに侵攻したネブカドネザル王は「ナブッコ」となり、
その娘同士の確執があり、
ナブッコの狂乱があり、
正気に戻って、ユダヤ教に回心し、
イスラエル民族を解放する、
という後半は史実とは違う展開で、
女同士の争いなど、やや通俗的。
まあ、オペラですからね。

この作品は、ヴェルディの最初の成功作で、
それまでの2本のオペラの失敗で自信喪失したヴェルディは、
家庭問題も抱え、絶望のあまり筆を折ろうとまで考えていました。
そこへスカラ座の支配人が
他の作曲家が「作曲に値しない」と突っ返して来た台本を持って来ます。
ヴェルディはこの台本に霊感を感じて作曲。
しかし、無名の新人作曲家の新作はなかなか上演されず、
ようやく練習が始まると、オーケストラ奏者、道具方、歌手たちの態度が一変しました。
今まで見たことのない新しいオペラの世界を感じ、興味は驚嘆に変わります。
人の心を強く掴んで話さない何かがあります。
登場人物は生身の感情を持っており、
こんなに感情をむき出しにして歌うオペラの登場人物は存在しなかったのです。
ヴェルディの人生観が反映されており、
情感に訴える合唱は、胸を打ちました。

特に、
第3幕で捕囚となったイスラエル民族が川辺で歌う
「行け、わが想いよ、金色の翼に乗って」
当時オーストリアの支配を受けていた
イタリア人は自らの運命に重ね合わせて魂に響きました。

1842年3月9日の初演。
ヴェルディは一夜にしてドニゼッティなどと並ぶオペラの大作曲家となり、
スカラ座はシーズン終了までに7回の再演をし、
その夏には臨時のシーズンで「ナブコドノゾール」(その頃の題名)は
57回という記録破りの再演がされ、
またたく間にイタリー全土とヨーロッパの歌劇場で上演されるようになりました。

というわけで、
「ナブッコ」がなかったら、
大作曲家ヴェルディはおらず、
「リゴレット」も「アイーダ」も「オテロ」も「椿姫」もなく、
(きりがないので、以下、略)
オペラの歴史は変わってしまいます。

1901年、ヴェルディが87歳で亡くなった時、
故人の遺志により葬儀では一切の音楽演奏が禁じられましたが、
それでも棺が運ばれる早朝、
ミラノの沿道に参集した群衆は、
自然とこの「行け、わが想いよ〜」を歌ったといいます。

その1カ月後、
音楽家のための養老院にヴェルディと妻の遺骸が改葬される際には、
30万人の群衆が集まって、
偉大な作曲家夫妻を偲んだといいます。
この時、改めて「行け、わが想いよ〜」が歌われ、
指揮を取ったのは若き日のトスカニーニで、
800人の合唱隊に一般群衆の3万人が唱和した、
と、ものの本には書いてありますが、
その後に、
「イタリアにおけるこの種の伝説は
常に割り引いて考える必要がある」

とも書いてあります。

この歌は、
イタリア人は「第2の国歌」と呼ばれるほど愛しています。

話は戻って、METの「ナブッコ」。
第3幕で舞台が回って、川辺に座る奴隷たちが現れて、

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前奏に続き、
「行け、わが想いよ、金色の翼に乗って
行け、山に丘に憩い
そこでは、暖かく柔らかい
祖国の甘いそよ風が薫っている」

と歌い始めた時には、
事務局長、どっと涙があふれてしまいました。
美しいもの、崇高なものに触れた時の感動の発露は瞬時です。
音があって、空気があって、
振動が伝わって、耳があって、
その音楽の響きが脳に伝わって、感動を生む。
何と素晴らしいことか。
この時ほど、
音楽に対する感性を親が与えてくれたことに感謝したことはありません。
合唱が終わった時には大喝采の中で頬を濡らし、
ああ、これ一つ聴けたことで、
今回来た甲斐があった、
とつくづく思いました。


記事終了と飛行機の話  

新聞の原稿は、午後には全部書き上げ、
夕刻、編集の方も大体片がつきました。
ここから後は、
中間試験が終わったような
ほっとした感じになります。

高校生の頃、試験の終わった日は、たいてい映画でしたが、
今日など映画に行ったら、
いつもの「暗くなると眠くなる」の持病が出るのでやめておきました。


今週は、若干疲れました。
時差ボケではなく、
単なる睡眠不足。
夜中にごそごそといろんなことをしていましたので。


そうそう、コメントに
ニューヨークまで行きは12時間、
帰りは13時間半、
行きと帰りの時間の違いはどうしてなのか、 
という質問がありましたので、
ここで答えておきましょう。

原因は偏西風です。
ジェット機が飛ぶ高度の中緯度のあたりには、
常時西からジェット風が吹いています。
偏西風が吹くのは、
南北の温度差と
地球の自転が原因ですが、
説明が難しいので、
知りたい方は、↓をクリック。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%8F%E8%A5%BF%E9%A2%A8

この偏西風が飛行時間に影響し、
行きは風に押されて飛びますので、早く着き、
帰りは風に逆らって飛ぶので、行きより遅くなります。

今、行きと書きましたが、正確には「東に飛ぶ時」。
帰りは「西に飛ぶ時」。

たとえばロンドンに飛ぶ時は風に逆らうので12時間、
帰りは風に追われて10時間30分。

つまり、
東方向の国へは、行きより帰りが遅くなり
西方向の国へは、行きより帰りが早い

たとえば、
ロサンゼルスへは、行き9時間30分、帰り11時間15分。
ハワイへは、行き6時間30分、帰り8時間。

フランクフルトまでは、行き11時間40分、帰り11時間。
バリ島へは行き8時間、帰り7時間10分。
上海でも行き2時間50分、帰り2時間30分。

南に行く時は、偏西風の往復の違いはありませんので
シドニーまで行きも帰りも同じ9時間40分。

納得していただけましたか?


飛行機の話になりましたので、
先日のニューヨーク便の話。

帰りの便は、
3人席の真ん中があいていました。
↓の図で言うと、事務局長の席はKで、Jの席に乗客が来なかった。

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(HからJに飛ぶのは、Iは1と間違えやすいために使わない)

隣に人がいるといないでは、
ゆったり度が違います。
これはラッキーと、
Hの席の人と、
「では真ん中は共有で使いましょう」と、
本など置いていました。

たまに3人分に1人などという僥倖に恵まれることがあります。
この場合、アームレストを上げて、横になることが出来ます。
昔、ガラガラの時は、
真ん中の4人席に横たわることも出来ました。
夜の便だと、横になると疲れ方が違います。
最近は、乗客数が適切で、
いろいろな航空会社で提携して機材を共有しますので、
盛大に空席のある便は珍しい。
先日大阪に行った時の帰りの便は、
乗客が2割程度でしたが、
1時間のフライトでは価値が発揮されません。

話を戻すと、
30分ほどで、キャビン・アテンダントが来て、
「後方の席で、揺れるのが怖いので、
前方の席への移動を希望している方がいるのですが、
この席(真ん中の空いている席)に来てもよろしいでしょうか」
と言って来ました。
「何っ、飛行機に乗って、揺れるのが怖いだとっ」
と内心思いましたが、
Hの席のご婦人と相談して、OKを出しました。
日本人ですから、
困っている人がいるのに、
助けないわけにはいきません。
なにしろ、武士道にある
「窮鳥懐に入れば、猟師もこれを撃たず」の国民性ですから。

窮鳥懐に入れば猟師も殺さず・・・
追われて逃げ場を失った鳥が懐に飛び込んでくると、
猟師でさえその鳥を殺さない、
という意味から、
困り果てて助けを求めてくる人があれば、
どんな事情があろうともこれを助けるのが
人としての道である。


するとやって来たのが、大柄なイタリア系女性。
ああ、そうか、と思ったのは、
普通日本人は、揺れるのが怖いから移りたい、などとは言わない。
与えられた席で仕方ないと、受け入れる。
まして、賢いから、飛行機が揺れるのは当たり前、と納得する。
外人はそうではなく、
自己主張する。
というより、わがままを言う。
移ったら、そこの人に迷惑なのでは、
などと日本的な思考はしない。

受け入れ側が外人だったら、きっと断るでしょうね。
事実、昔、席が家族バラバラになってしまい、
家族一緒に座りたいので、代わってもらえないかと言って、
断られたことがあります。

まあ、移って来た人が日本人で、
大変恐縮していたり、
気配りがあったりしたら話は別で、
それなら、我慢も出来るし、
人助けの喜びもある。

ところが、この外人、感謝の言葉もない。
気配りもない。
全然トイレにも立たない。
行こうとすると、
露骨にいやな顔をする。
事務局長だったら、
窓側の人がトイレに行きたいのに我慢しているのではないかと思って、
わざと席を立ってあげたりしますが、
外人はそうではない。

というわけで、せっかくのラッキーを放棄しての13時間でした。


後で事情通に聞いたら、
こういう時は、拒んでいいのだそうです。
相手の要望も要望だが、
受け止める方の要望も要望。
受け入れ側の要望優先で、
そちらが断れば、
先方には「席がない」旨言うようにマニュアルにはなっているそうです。
だったら、キャビン・アテンダントも
「おいやでしたら、お断りになることが出来ます」
くらい言えばいいのに。

これも又、一種の文化論で、勉強になったと思いましょう。

従って、次からは、このように言うことにしました。
「お受けしたいのはやまやまですが、
以前同じことがあり、
移って来た人が図々しい人で、
大変不愉快な思いをいたしましたので、
申し訳ありませんが、
今回はお受け出来ません」
と。
事情通は「それで結構」と言っていました。


新聞と『アンナ・ボレーナ』  

常務会が終わった後の数日は、
新聞の制作に入り、
ブログ的には、少々単調な日々となりますが、
ご容赦下さい。

今日、証券会社の人が来たので話したのですが、
2週間位前に、
パナソニックがテレビ事業から撤退、
ソニーもテレビ部門で大赤字、
という記事を読んで、
少なからぬショックを感じました。
そういえば、先日のニューヨークのホテルの部屋にあったテレビは
LGでした。
空港にあったテレビも同じでした。

韓国のサムソンやLGの進出で
低価格競争に敗れ、
パナソニック、ソニーといえども
ブランド力が失せたといいます。

日本のテレビと言えば
高品質で世界を引っぱったはず。
パナソニック、ソニーの大きなメーカーが
テレビで稼げなくなったとは・・・

最近ある方とこんな話をしました。
「もう長生きしない方がいいですよ。
これからどんどん日本がダメになるのを見なければなりませんから」

要するに、日本には国家戦略がない。
TPP一つにしても賛成も反対も
せいぜい自分たちの利害や1、2年先のことで議論しています。
政治は5年先、10年先を見て判断しなければならないのに、
それをしない。
だから、全てが後手後手に回る。

日本の農業が駄目になる、とは言っても、
では農業を良くするためにはどうしたらいいか、は議論しない。
相変わらずの「保護」をこの先何年続ける気なのでしょうか。

韓国が一時期経済破綻した時、
国家的に産業の再編をしましたからね。
日本では、そういう観点がなく、
票を欲しいがために、
ポーズやアリバイ作りばかり。

従って、日本の将来には暗雲がたちこめます。
これを打開するのは、
政治の役割ですが、
このていたらく。

そこで、
「長生きしない方がいい」
という極論も飛び出します。


暗い話になったので、話題を変えて、
今日は夕方から築地の東劇へ。
METライブビューイングの今シーズンが開幕しましたので。

最初を飾るのは
ドニゼッティ「アンナ・ボレーナ」

↓は今年の公式プログラム。

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↓のようにMETのショップで買ったシーズン・ブックもパンフレットも

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ことごとくこの写真ですので、
アンナ・ネトレプコは、
すっかりMETの女王になったようです。

「アンナ・ボレーナ」は
「ロベルト・デヴェリュー」「マリア・ストゥアルダ」と並んで、
ドニゼッティの「女王三部作」と呼ばれている作品の一つ。
9月にバイエルン国立歌劇場公演で「ロベルト・デヴェリュー」をやったばかり
というのも、何かの流れか。

バイエルンの感想は、↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20110927/archive

1830年、ドニゼッティ33歳の時書いた最初の成功作
作曲家の死後、忘れられた作品になっていたが、
マリア・カラスが復活させた。
METでは、今回が初演
上演の機会が少なかったのは、
主役のアンナ役のソプラノに相当な技量が要求されるからで、
ウィーンで歌って成功したネトレプコが
今期METのオープニング作品のタイトル・ロールを演じた。

題材は16世紀イギリスのヘンリー8世(オペラではエンリーコ)の
2番目の王妃であったアン・ブーリン(オペラではアンナ・ボレーナ)の話。

映画では「1000日のアン」(1969)、
「ブーリン家の姉妹」(2008)、
アンが主役ではないが、「わが命つきるとも」(1966)も有名。

「わが命〜」は、
第39回アカデミー賞の作品賞・監督賞(フレッド・ジンネマン)・主演男優賞(ポール・スコフィールド)・脚色賞(元は戯曲)・撮影賞・衣裳デザイン賞の6部門を獲得。
ヘンリー8世とアンの結婚に反対したトマス・モアが
死刑にされるまでの話で、
まだ学生だった事務局長には歯のたたない映画だった。

というのは、イギリスの歴史をあまり知らなかったからで、
このヘンリー8世というのはとんでもない人物で、
最初の妻・キャサリンの侍女・アンに手を付けて
キャサリンを離婚しようとした。
ローマ・カソリックは離婚を禁じていたので、
ならばいいよ、と英国国教会を作ってしまった。
で、アンを2番目の妃にしたのだが、
その侍女のジェーン・シーモア(オペラではジョヴァンナ・セイモー)を愛人にして、
アンに不倫の嫌疑をかけて死刑にしてしまう。
ヘンリー8世は、その後も離婚を続け、
最終的には6人の妃を持った。

などという歴史的事実に基づき、
アンナ王妃とエンリーコ王、
ジョヴァンナ、アンナの元恋人ペルシ卿、
音楽師スメトン、アンナの兄ロシュホール卿が絡み合い、展開していく。

実に面白くドラマチック
こんな作品がどうして埋もれていたのか不思議。
演出も装置もオーソドックスで人間の配置もいい。
しかし、何よりアンナ・ネトレプコが出色で、
この複雑で奥行きのある役を見事に歌いこなし、演技も見事。
天賦の才能が、この人にはある。

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最後の「狂乱の場」では、
崇高な聖女の趣さえ感じさせる。

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ラストで髪を束ねて左手で持ち、
首をさらけ出して断頭台に向かう演技は素晴らしい。
この人、ロシア女性のDNAの宿命で
どんどん太って来て、曲がり角だなあ、
と思っていたが、一皮むけましたね。

他の出演者もみんないいが、
エンリーコの↓イルダール・アブドラザコフは王の風格がある。

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ペルシの↓スティーヴン・コステロは、新人だが、伸びる気配。

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ジョヴァンナはガランチャで観たかったな。
合唱もいいから、盛り上がる。
今シーズン第1作目を飾る作品として、堪能した。


新シーズンのスケジュールは、下記のとおり。

11月5日(土)〜11日(金)
ドニゼッティ「アンナ・ボレーナ」MET初演新演出

11月19日(土)〜255 日(金)
モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」新演出

11月26日(土)〜12月2日(金)
ワーグナー〈ニーベルングの指環 第2夜〉「ジークフリート」新演出

12月10日(土)〜16日(金)
グラス「サティアグラハ」

1月7日(土)〜13日(金)
ヘンデル「ロデリンダ」

1月14日(土)〜20(金)
グノー「ファウスト」新演出

2月11日(土)〜17日(金)
ヘンデル、ヴィヴァルディ、ラモー他
「エンチャンテッド・アイランド 魔法の島」新作世界初演

3月3日(土)〜9日(金)
ワーグナー〈ニーベルングの指環 第3夜〉「神々の黄昏」新演出

3月17日(土)〜23日(金)
ヴェルディ「エルナーニ」

5月5日(土)〜11日(金)
マスネ「マノン」新演出

5月12日(土)〜18日(金)
ヴェルディ「椿姫」

1作品3500円。
3枚セット券↓は9000円(1本3000円)。

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「ジークフリート」「神々の黄昏」は特別料金で5000円。
長いからね。




常務会と経費削減  

今日は、おなじみの写真↓の

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常務会です。

例年11月の常務会は議題が少なく、
平成24年(来年)の食肉市場の休開市日、
惣菜・弁当講習会の進捗状況、
加入促進キャンペーンの進捗状況、
などに続いて、
実は重要な案件を審議しました。
経費削減の提案をしたのです。

というのは、
今の為替(米ドル77円、豪ドル80円前後)では、
仕組債による利息収入が見込みを下回り、
決算は薄氷を踏む思いをすること必至で、
今後も同様な状況が続くと思われます。

平成19年度までの潤沢な利息収入があった時代と違い、
20年秋のリーマンショック以来、
状況は一変していることを認識しなければなりません。
20年当時は、
「やがて元に戻るだろう」
が大方の見通しでしたが、
今度のギリシャを震源地とした
ユーロの問題は、
奥が深く、楽観的には見れません。
まして、日本政府の姿勢では
本質的解決は期待できないところから、
組合でも経費削減の努力をしてみよう、
ということになりました。

といっても、
組合員に対する事業の削減は避けなければなりません。
ならば、
「まず隗(かい)より始めよ」で、
本部の経費縮小をしよう、
というわけで、
この1カ月間、三役でもんで来た内容を常務会で提案。


内容は、

○三役の会議交通費を引き下げる
○会議を伴わない飲食のみの会合は、旅費は支給しない
○忘年会等役職員同志の飲食を伴う交流の費用は、質素に
○職員の早朝・夜間勤務、休日勤務手当を引き下げる
○役員に対する活動費の加算措置の厳密化
○常務会役員退職時の記念品代金の抑制


など、かなり役職員自身が「血を流す」もの。

「当然の内容」で、一も二もなく可決決定


わが組合の良い所は、
自らに不利益な事柄でも
「組合全体のためになるなら」と
受け入れていくところ。
しかも、外からの意見によるのではなく、
自分たちからそういう声を立ち上げて来るところです。

昔「7年の赤字」の時代にも同様なことがあり、
弁護士や税理士との顧問契約解消を始めとして、
地元の防犯協会の年会費1万円まで削減しました。
年度末賞与や職員旅行への補助も職員自ら辞退を申し出ました。

「総論賛成、各論反対」で、
「いいことだけど、自分が損するのはいやだ」
というのが普通の中で、
この姿勢はほめられてしかるべきものでしょう。

消費税値上げも、
行政の無駄遣いを放置したままやるから
国民の反発を食らうわけで、
議員が率先して議員年金の是正をし、
歳費の削減を申し出れば、
国民は「そこまでやるなら」と支持します。
しかし、その気配がないから、
「本気じゃないんだ」と見くびられる。

「まず隗(かい)より始めよ」
は、人の心を動かす真理です。

〔参考〕

「まず隗(かい)より始めよ」 

意味:
@ことを始めるには、まず自分からやりださねばならない。
A大きなことをなすには、呼び水になる小さなことから始めるとよい。


由来:
中国、今の北京のあたりに「燕」(えん)という国があった。
燕は諸国の中では最も弱小で、南の大国、斉との争いに負けて滅亡寸前だった。
その燕に名君・昭王が登場した。
昭王は即位すると燕を建て直すべく学者の郭隗(かくかい)を自ら訪ねて、方法を質問した。
郭隗先生は例え話を引き合いにして、こう話した。

昔ある国王が、一日に千里を走る馬を求めていたが、何年間も買うことができずにいた。
すると一人の家臣が、『私が買ってくる』と名乗り出たので、金を渡して買いに行かせた。
その家臣はまもなく馬を見つけた。その馬はすでに死んでいたが、5百金で買ってきた。
当然王は、『死んだ馬に金を払う奴がいるか』と怒った。
その家臣は『死んだ馬でさえ、5百金もの金を払うのです。これが生きている馬なら、いったいいくら払うのか。世間の人は、きっとそう考え、王が名馬のためなら金に糸目はつけないことを知って、向こうから馬を連れて来るでしょう』と答えた。
その後、1年もたたないうちに千里を走る名馬が何頭も手に入った。

郭隗先生は、続いてこう言った。
「もし王が本心から有能の士を招きたいなら、
最初にこの私を抜擢してください(隗より始めよ)。
世間の有能の士は、
『あの郭隗程度の者でさえあれほどの抜擢を受けるのだ。
自分が行けばさらに優遇されるはずだ』
そう考えて、天下の士が千里の道も遠し、とせずに集まるでしょう」

昭王がそのとおりにすると、
噂を聞いた有能の士が働き場所を求めて続々とやって来て、燕は栄えた。



今回は、最後に、こんなことが。

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組合取扱の新商品を紹介し、

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試食していただきました。

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あらぎりわさび
焼肉などに付けて食べると美味です。




普通の生活と『上を向いて歩こう』  

普通の生活に戻りました。
来客で事情を知っている人が
「全然疲れた顔をしていませんね」
と言うのは、嬉しい。
好きなことをして来て、
疲れていてはいけません。


明日の常務会に向けての資料、
FAXした内容に
修正の要請があったのを直していきます。
夕方には完成させ、
明日を待つばかり。


帰国後食べたのは、
まぐろとかつおとイカの刺身。
しゃぶしゃぶ。
ラーメンはまだ。
日本の食事は世界一おいしい。
もっと日本人は幸福に感ずるべきです。


〔書籍紹介〕

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この本は面白かった。
世界で一番有名な日本の歌「上を向いて歩こう」がどのように出来たか。
どうやって全米ヒットチャートの1位になったか。
どうして「SUKIYAKI」と題名がついたのか。
中村八大とはどのような人物か。
永六輔とはどのような人物か。
坂本九とは・・・

こうしたことを当時の日本の音楽界を背景にしながら解き明かしていく。

当時、事務局長は中学生。
守屋浩や三橋美智也など日本の歌謡曲から
洋楽に移行する頃。
ラジオの音楽番組を懸命に聴き、
ドーナツ盤を借りて(買えないから)、
チャチな「蓄音機」で聴いていた時代。

テレビは「ヒットパレード」
洋楽のカバーを日本の歌手たちが歌っていた。

この少し後、高校生になると、
土曜の夜はNHKの「夢であいましょう」を見、
日曜の夕方は「てなもんや三度笠」
「シャボン玉ホリデー」を見て、
週明けの学校の話題はそれだった。

「上を向いて歩こう」は、
「夢であいましょう」の「今月の歌」コーナーで歌われ、大ヒット。

この歌はそれ以前に、
1961年7月21日、
大手町の産経ホールで開かれた
「第三回中村八大リサイタル」のために作曲され、
その朝、出来たばかりの曲だった。
曲を取りに行った曲直瀬(まなせ)信子(マナセプロの社長の長女)が
八大のピアノで歌い方を確認。
譜面を読めない坂本九のために曲を覚えて、
リハーサルに向かう車の中で九にワンフレーズごとに
まさに口うつしで信子から九に歌が伝えられた。

リハーサルで「ウヘヲムフイテーアールコウォウォオオ」
と歌うのを聞いた永六輔は激怒したという。
しかし、中村八大は「あれでいいんだ」と認めた。

などという知らなかった話が山ほど出て来る。

アメリカのキャピトルレコードが発売に至った経緯は
わりとよく知られているが、
「SUKIYAKI」の由来は初めて知ることが書いてある。

東芝レコードは、
この曲をアメリカの前にヨーロッパで売ろうとしていた。
その結果、英国でディキシーランドのスタイルでカバーされ、
全英チャート10位になった。
その時の題名が「SUKIYAKI」。
「ウエヲムイテアルコウ」という、
外人がとても発音できない言葉に代わり、
この題名を付けたのは、
日本の東芝レコード本社だったというのも、
通説とは違う内容。

アメリカのキャピトルは、この題名を踏襲したわけだが、
当初のジャケットには「SUKIYAKA」と書かれていた。
後で修正されたが、
ただの間違いではなく、
SAKAMOTOとSUKIYAKAで、
「KA」の音で響きあうものとしたらしい。
(と書いてあるが、位置的には響かない)

という話も初めてだ。

更にビートルズは初めアメリカで受け入れられず、
レーベルを転々。
「シー・ラヴズ・ユー」など
フィラデルフィアのレーベルで発売されて、800枚しか売れなかった。
甘いアメリカンポップスに慣れた耳には斬新すぎたらしい。
アメリカで爆発的に売れたのは、
初期の頂点「抱きしめたい」からだ。

日本でもビートルズは「抱きしめたい」からだったのは、
そういうわけ。

というのも知らなかった。

「黒い花びら」のことも初めて知った。

当時のロカビリーの歌手たちを売り出そうという安直な企画で、
「檻の中の野郎たち」「青春を賭けろ」という2本の映画が作られた。
その頃、ようやく著作権問題に目覚めて来たため、
勝手に映画で外国の曲を使うことが出来なくなった。
そこで中村八大に作曲が依頼され、
わずか1日で8曲作らなければならなくなった。
その切羽詰まった状況の中で、
たまたま日劇前の路上で偶然出会った永六輔に作詞を依頼、
これが六・八コンビの誕生で、
その8曲の一つが「黒い花びら」。
映画の中では夏木陽介が歌う場面で、
水原弘がアテレコした。
それがレコード化されて大ヒット。
第1回レコード大賞を受賞する。

そう思って「黒い花びら」を聴くと、
確かに新しい音楽だった。
歌詞も、メロディーも。
中間、ワンコーラスまるごと松本英彦のサックスがメロディーを奏でるのもすごい。

こういう経過も知らなかった。

知らなかったことだらけ。
そういう意味でこの本は価値がある。

圧巻は、
「上を向いて歩こう」のオリジナル楽譜が掲載されており、
坂本九によって、
どのように工夫されたかのくだり。
音符一つ一つに当たりながら解きあかしていく。
坂本九の背景にプレスリーがあったとは知らなかった。

「上を向いて歩こう」が世界的にヒットしたのは、
曲が良かったのであって、
日本語歌詞の意味など分からないのだから、
歌手を誰でもよかったのだ、
という一部にある説も間違いだとよく分かった。
アメリカの若者たちは、
歌詞の意味は分からずとも、
坂本九の声質と歌い方の中に、
歌詞に含まれた哀愁とエレジーを感じたのだという。

確かにそのとおりで、
ポール・アンカやニール・セダカやコニー・フランシスの曲を聴く時、
当時意味など全く分からずとも惹かれたのは、
やはり彼・彼女たちの声質だったと思う。

事務局長は当時坂本九はあまり好きではなかった。
あの作り笑顔が不自然で、
ダサく感じたし、
歌っていた歌(「九ちゃんのズンタタッタ」や「幸せなら手を叩こう」など)が
なんだか安っぽく聞こえてならなかった。

でも、この本を読んで、
「上を向いて歩こう」という曲が世の中に出るために果たした
坂本九の貢献がよく分かる。

この本は、坂本九復権の本とも言える。


と、ちょっと書きすぎたが、
この本、当時リアルタイムに生きた方には、
絶対のおススメである。





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