もうすぐ10周年と『コクリコ坂から』  

今、セシウム問題で業界は苦しんでいますが、
あと半月もすると、
BSE10周年になります。
『東京食肉新報』では、
その10年をたどる特集をしようと思っています。

今日からその準備を始め、
理事と支部長に意見を求めるFAXを送りました。
既に何枚か回答が来ていますが、
これからどんな回答が集まるか楽しみです。


〔映画紹介〕

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昔、新聞の投書欄で、
「モスラ」の不細工なリメイク(1996)に対して
「モスラ、感動をありがとう」という賛辞を読んだ。
また、山田洋次の押しつけがましい駄作「虹をつかむ男」(1996)
のラストシーンを観るたびに、
毎回泣いてしまう、
という人の話を聞いた。

それ以来、
映画についてはあまりけなさないようにしている。
人の受け取り方は様々だから、
好きな映画をけなされれば、嬉しくないだろうから。

この紹介欄でも、
お勧めの映画は紹介しても、
駄目な作品は紹介しないようにしている。
映画を愛する者として、
わざわざ観客を減らすようなことをしても仕方ない
と思うからだ。

だから、この欄でけなす映画は、
よほど腹に据えかねた時だ。

その据えかねた一作がこれ。

もともと「ゲド戦記」がひどかったので、
この監督(宮崎吾朗)の作品を観る気はなかった。
だが、先日の映画鑑賞サークルで、
事務局長の世代が観たらいい映画、
と勧められたので、観てみた。

1963年の横浜が舞台。
その頃事務局長は高校生だったから、
まさに主人公の男女と同じ世代だ。

懐かしい風景や小道具や音楽は随所に現れる。
だが、乗れない。
話がつまらない。
同じ高校に通う先輩と後輩の恋。
出生の秘密。
高校のサークル室となっている古い建物の
取り壊し騒動。
全くどうでもいい話だ。

しかし、どんなつまらない話でも
描き方で映画は輝く。
しかし、そうはならない。

一番の欠点は、
アニメは絵が命なのに、
その絵に魅力がない
背景画はいいが、
人物の表情、動きが全く駄目だ。
みんな同じ顔に見える。
精彩がない。
絵に驚きもない。

映画は監督のセンス、というのが事務局長の持論だが、
早い話が、センスがない
「ゲド戦記よりはまし」
と言われるが、
本質的な部分は何も変わっていない。

音楽も押しつけがましい。
「上を向いて歩こう」がテレビの中から流れるのはいいが、
背景音楽として使われるとなると、その音楽的センスを疑う。
「さよならの夏」は森山良子の歌は透明感があって、
ロマンを感ずるが、
手嶌葵の歌声は、これに及ばない。

「白い花の咲く頃」などという古い歌(昭和25年)を
男子高校生が肩を組んで
体を揺らしながら合唱する文化なんて、
本当にあったんだろうか。

物語作りとしては、不親切なところが多すぎて、
たとえば女の子が毎日掲げる信号旗の意味が
「安全な航行を祈る」だとは、
専門家にしか分からないだろう。
この信号旗が、
沈没して死んだ船員の父に対する思いになっているのだから、
その意味が分からないと、伝わらない。

主人公の女の子の名前は「海」といい(妹は「空」)、
友達はみんな「メル」と呼ぶ。
フランス語の「海=ラ・メール」から来るのだが、
二つの呼び方で
観客は混乱するだろう。

父たちの世代の三人の親友たちが出て来るが、
主人公・俊の父親がその一人だと
間違わせるような作りになっている。

そして何よりも犯罪的なのは、予告編
主人公の男女の間にある秘密を
予告編であらかじめバラすとは、何事か。
ドラマの中核ではないか。
おかげで、心が惹かれ合っている男女が
次に何を悩むかが分かっていて、
興をそぐことはなはだしい。
こんな予告編を作ること自体がセンスがない。

宮崎駿の脚本のしたいことは痛いほど分かる。
しかし、映像がついてこなければ、
良い映画にはならない。

前の「ゲド戦記」の評でも書いたが、
監督の世襲制などあり得ない。
ジブリは「宮崎商店」ではないのだ。
これほど信用が付き、
ジブリというだけで観客を呼べるのだから、
そこには社会的責任が生じている。
ならば、息子になど
監督をさせてはいけない。
それでも、その息子が素晴らしい作品を作れば、
「さすが、蛙の子は蛙」になるのだが、
残念ながらそうではなかった。

息子に監督をさせることによって、
技術も才能も志もある若者の
活躍の場を奪ってはいないか

宮崎駿というより、
鈴木プロデューサーは反省すべきだ。

5段階評価の「2.5」

「ゲド戦記」の感想は、↓。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20060816/archive





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