新聞完成と『友よ 弔辞という詩』  

夕方5時、
時報が鳴る直前に、
『東京食肉新報』最新号が事務所に到着。
組合員のみなさんには、
早ければ13日(土)、
遅いと発行日どおりの15日(月)に届くことになります。

一時は盆休み明けになるかと危ぶみもしましたが、
ちゃんと出来てしまうんですな。
                                       
セシウム問題はどこに行ってしまったのかと
いぶかるほどに新聞報道はぱたりと止まってしまいました。
嵐の前の静けさなのか。
それとも健康に害のない食品に対して
騒ぎすぎて風評被害を生んでいることに
ようやくマスコミが気づいたのか。

判然としませんが、
食肉市場は明日からお盆休みに入ります。
実質は明日1日(金曜日)ですが。
市場と連動している組合も明日は臨時のお休みです。


〔書籍紹介〕

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世界の著名人に捧げられた弔辞を集めた本。

ハンフリー・ボガート、ジェームズ・ディーンなどの映画スター、
ダリル・ザナック、デイヴィッド・O・セルズニックなどの映画製作者、
スタンリー・キューブリック、ビリー・ワイルダーなどの映画監督、
マーク・トウェイン、ヴァージニア・ウルフなどの作家、
心理学者カール・ユング
発明家トマス・エジソン
革命家チェ・ゲバラ
など、多岐に渡る。
ダシール・ハメットの弔辞は妻・リリアン・ヘルマンで、
続けてリリアン・ヘルマンに友人が捧げた弔辞、
などという粋な編集もある。

どの弔辞も
失った人への愛惜の思いにあふれている。
一人一人の人間は
誰一人として同じ人はいない個性の塊で、
その唯一貴重な個性が失われる、
ということは世界が滅びるような出来事だということがよく分かる。

ハンフリー・ボガートに対するジョン・ヒューストン(監督)の弔辞の一部

昔、一度、ボギー(ハンフリー・ボガートのこと)と私と他の二人の四人で、
少しほろ酔い加減のときに、
人生の意味について語り合ったことがあって、
そのときに、
もう一度生き直したいと思う時があるかどうかという話になりました。
我々はみな、ボギーがまた皮肉なことを言うだろうと思っていました。
そこにいた一人は「そんなことは神様が許さない」と言いました。
もう一人は、二、三、帳消しにしたいと時がある、と話しました。
ところがボギーはそのあとでこう言ったのです。
「俺にはあるな。
俺にはもう一度生きたい時がある。
ベティ(ローレン・バコールのこと)と過ごした歳月を、
俺はもう一度生きたい」


カール・ユングに対するローレンス・ヴァン・デル・ポストの弔辞の一部

原始時代に、
最初の人間たちが
死んだ人間の遺体を火で燃やしたのは、
魂を解放するためでありました。
死滅するものから死滅しないものを解き放つためでした。
彼らは、高価で豪華なあらゆるものも片っ端から火のまわりに積み上げました。
馬をはじめ、故人が大切にしていたあらゆるものです。
それらをすべて火にくべ、
燃やしてしまうのです。
それはすべてを無に帰するためだけでなく、
そうすることによって、
死滅する運命にあるものを
すべて取り去り、死滅しないものがみな、
死滅しない魂についていけるようにするためでした。
稲妻に打たれた木もまた、
ユング先生に同行すべく
遣わされたように
私には思えるのです。
アフリカで知り合った原始部族の人間が私に言ったことがあります。
「木は燃え尽きるが、火は永遠に消えることがない」
私たちの目の前にはいま、
この地上で二度と消えることのない火を
我々にもたらした人物がいるのであります。


ダシール・ハメットに対する妻・リリアン・ヘルマンの弔辞の一部

何週間か前のある晩、苦しんでいた彼に、
「あなたには勇気があるのね」
と私は声をかけました。
そんなことを私が言ったのはその時がはじめてでした。
そうしたら、
病気のほんとに悪い人が
うつらうつらしているときの様な状態だった彼が、
突然、にっこりと微笑んで、こう言ったんです。
「そういうセリフは最期にとっておいたほうがいい」と。
その最期がとうとう来てしまいました。

詩、小説、科学、哲学など、
ありとあらゆる本が届きました。
彼は知識や知性による救済を信じていて、
それを実践しようとしていたのです。

彼は多くを学び、学んだことを実践しました。
人が尊厳を持つ権利を信じていました。
他人の人生を生きることはけっしてなく、
常に自分の人生を生きていました。
「勝つためなら何でもするのか」                  
それが、他人の人生を生きている人を冷笑するときの彼のセリフでした。


いいねえ。
「勝つためなら何でもするのか」
今なら、
「儲けるためなら何でもするのか」ですかね。


弔辞のようなことを書いたことはあります。
前にブログにも書いた
学生の頃のアメリカ横断旅行。
サンフランシスコからニューヨークまで
車を運転してくれた人が
帰路、急ぎすぎたのか事故でなくなったのです。
サンフランシスコに飛んで戻った我々は、
葬儀に出席し、
あいている時間に、
みんなで奥さんに宛てて手紙を書きました。
しばらくして、奥さんが現れ
「この手紙は、誰が書いたんですか」
と持っていたのは事務局長の書いたもので、
奥さんは「ありがとう」と涙と共に言ってくれました。
つたない英語で書いた手紙に感動してくれて、
嬉しかったですね。

高校時代のクラスメートで
一番早く死んでしまったN君。
事情があって葬儀に出席できなかった事務局長は、
やはり手紙を送りました。
後で聞いたら、
その手紙は葬儀の場で朗読されたとか。
遺族の皆さんの慰めになったなら、嬉しい。

組合に勤めていたSさんが急に亡くなった時、
事務局長は上司だったから、
と弔辞を頼まれました。
悲しくて悲しくてならなかったので、
人前で泣くわけにはいかないので、
と断りました。
結局、弔辞の代わりに、
お孫さんたちが声を揃えて、
「おばあちゃん、ありがとう」と言って送りました。
それを聞いた時、
自分が弔辞などしなくてよかった、
と思いました。
事務局長の弔辞よりも、
孫たちの感謝の言葉に送られる方が
何倍も喜んでいたに違いありませんから。

その事務局長、
正真正銘、弔辞を読んだことがあります

教会の若い神学生が亡くなってしまった時。

事務局長は本当は牧師になりたかったのです。
しかし、牧師になるには決定的な欠陥のあることを知っていた事務局長は、
その道をあきらめました。
その代わり、
その神学生に夢を託して見守っていました。
若くして献身という道を選んだ彼は、自分にはまぶしい存在でした。

しかし、若すぎる死。
牧師はなぜか事務局長に弔辞を依頼しました。
原稿を書きながら、
驚くほど泣きました。
人の死に対して流す涙を
まだこんなに持っていたのかといぶかるほど、
書いては泣き、読んでは泣き、
思い出しては泣きました。

練習の成果か、
当日、人前で泣くことなく弔辞を終えました。

その翌日、礼拝の前、一人のご婦人が事務局長の前にやってました。
「私、本当は今日、用事があったの。
でも、あなたに一言言いたくて来たわ。
昨日の葬儀の時、
あなたは私たちみんなの気持ちを代弁してくれた。
ありがとう。
それが言いたくて、
私は、今日、ここにやって来たのよ」






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