組合保険と映画2本  

今日、組合の団体保険がらみで二つのことがありました。

一つは3月末で終わった組合年金の後処理で、
払い戻し額が確定。
加入が昭和40年代、50年代であった人は、
当時の高金利を反映して2倍近くになっています。
一方、平成10年代以降に入った方は、
金利が低かったために、
手数料などがかかって
支払った掛け金より戻る金額が少なくなっているという不条理

今の低金利の中では、
年金制度が成り立たず、
かえって損をかけてしまう、というのが
制度を終了させる理由なのですが、
制度終了にあたっては、
減少した額を組合が補てんして、
掛け金に戻してからお返しすることになっています。

何のために加入していたのか分からない話ですが、
世の中がそうなっていたのだから仕方ありません。

補てん額は220万円ほど。
制度終了を決定した平成19年当時の見込みは
500万円ほどでしたから、
その間の期間満了や脱退等で半分以下になりました。

その振込期日は7月13日。
その連絡や実際の振込等で、
保険の部署は忙しくなります。


もう一つは、全国でやっている保険で、
来週の総会で出て来る提案。
加入者にとんでもない不利を強いる内容が含まれています。
若い頃に加入して、この制度を支えてきた組合員に対する裏切りとも言えるもので、
とても容認出来るものではありません。

もちろん制度を維持するために長期にわたり検討してきたことは知っていますが、
それはごく少数で行われただけで、
理事会での議論は一切していない。
それが一番の問題です。
同じ結論に至るにしても、
議論して、
全員が、ああ仕方がない、と思って
到達する結論では、,全く質が違います。

わが組合の場合は、
最終的な提案は執行部がするものの、
それ以前に十分な議論を必ずする。

問題点の抽出

情報の共有化

議論

意見集約

改正案提示

決定


という当たり前の過程の
前半部分をやらない。
議論が好きでない。
色々な意見が出るの嫌う。
少人数で決めたがる。
という業界の癖があるようです。

業界というより、
国会を見ても、
日本人の特性のようです。

組織、団体というのは、
「知恵の集積」ですから、
沢山の人で議論させれば、
知恵が出て来る
少人数より良い意見が出る。
自分たちの限界を越えられる。
それをまとめる度量の広さ
執行部の懐の深さなのですが、
どうもそういうのがないようです。

事務局長自身は、
広く議論していただくことで
困難な問題の道筋を発見したことが沢山ありますので、
その大切さを思っています。


〔映画紹介〕  

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「さや侍」は、
ダウンタウンの松本人志の3本目の映画。
前2作は予告編を観ただけで、
観る気がなくなったが、
今度のはちょっと面白いかもしれないと思い観た。

(↑のチラシの右上の眼鏡の侍は、
似ているが、松本ではない。
本人は出演していない。)

以前彼の書いた本で、
昔の「シャボン玉ホリデー」や「ゲバゲバ60分」を
業界関係者が回顧し、
「いやー、今見ても面白いですね〜」
というコメントに松本が噛みついた。
「時代が変わり、笑いも変わっているのに、
今見て面白いはずがないじゃないか」

鋭いと思った。

映画も演劇も全てそうだが、
一番面白いのは、
「今」を反映させた最新作で、
時間の経過を越えた「古典」だけが生き残る。

懐古と古典を混同させた議論の間違いを
松本はよく捕らえていたと思った次第。

その才人の松本の笑いだが、
この10年あまり、あまり感心しない。
基本的に仲間内だけのいじくりに終始しているからだ。
思いつき、その場しのぎが多すぎる。
ああ、松本、あまり良いモノを食べていないな、と思った。
モノというのは、食べ物のこともそうだが、
古今東西の良い芸術ということだ。

そこで、この「さや侍」だが、
発想は実に面白い

何かの事情があって、
刀を捨て、さやだけを腰に差した武士が、
幼い娘と共に放浪の旅をしている。
脱藩した彼には懸賞金がかかっており、
賞金稼ぎの殺し屋に命を狙われている。
ある時、捕まってしまうが、
殿様が風変わりな人で、
母親を亡くして笑いを忘れてしまった若君を
笑わせてくれたら無罪放免、
そうでなければ切腹という
「30日の業」を課す。

こうして毎日一つの一発芸をし続ける
命懸けの戦いが始まる・・・。

なんだかアラビアンナイトにありそうな話だが、
時代劇に取り入れたのは面白い。

主人公に素人を起用し、
意図を隠して撮影するという
一種の賭も、うまくいけば画期的なものになっただろう。

だが、一人の才人の感覚だけで
様々な壁が越えられるほど
映画という総合芸術、共同作業は甘くない。

まず30の一発芸があまりに貧しい
その組み合わせ、並べ方に
緻密な計算が働いているとは思えない。
少なくとも前半と後半で良くなったり、
質が変わったり、という変化の妙が見られない。

ごく初期に牢番二人が知恵出しに加わるのだが、
せっかくそういう展開をするなら、
途中から町民や家老や藩主まで巻き込んでいくくらいの
ダイナミックな展開をしなければつまらない。
これでは30の芸を並べただけだ。
その場しのぎの、思いつきの範囲を越えない。
笑わせることと驚かすことは違う。

一発芸の反応も
時々「切腹を申しつける」の家老が
思わず吹き出したり、
藩主が含み笑いをしたり
があって、
でも若君だけが笑わない、
という積み重ねも必要だったろう。

牢から行き来する橋を渡る描写を重ねる場面があるが、
この時だって、
周囲は全く同じ。
ここで、町民の姿を入れることで変化を示せただろうに。

等々、
観客として見ている素人でさえ、
様々な提案が出て来る。

黒沢明は超一流の脚本家を集めて
知恵の集積物としての脚本を重視したが、
それがなくなった途端につまらなくなった。

北野武もそうだが、松本人志も
才能ある脚本家の先輩の力をもっと頼んでもよいと思う。
二人には小国英雄が必要だ。
放送作家クラスでは駄目だ。

それでも最後のくだりは意表をつき、
娘を持っている事務局長は泣かされた
娘を追うカメラワークなど、光っている。

ただ、そういうラストに持っていくなら、
たとえば僧との関係など、
それ以前にしっかり押さえておくべきものがもっとあったはずで、
やはりそれは、
専門職であるスタッフたちの意見を聞く必要があっただろう。

國村隼や伊武雅刀らのベテランはさすが。
それだけに牢番二人の配役は、
もっと演技の技術を持つ老練な人を配するべきだった。

野見隆明の個性は面白く、
賭の一つは成功しているが、
内輪の笑いの範囲を出ていないのが難。
素人を起用したら起用しただけのプロ集団の支えが必要だ。

だが、
松本人志、才能がないわけではない
と感じさせるものはあった。

期待をこめて、
5段階評価の「3. 5」。


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「八日目の蝉」は、角田光代のベストセラーの映画化。
題名の意味は、
7日の寿命を生き抜いた蝉が、
翌日、
たった一人で
他の蝉が死に絶えた世界を見るのは、
幸福なのか不幸なのか、の意。

「さや侍」を観たあとにこれを観ると、
しっかりした脚本、
しっかりした演出、
しっかりしたカメラ、
しっかりした演技で作られた映画の
堅固な建造物の立派さを思い知ることになる。

ある夫婦に生まれた幼児を
夫の愛人が誘拐し、育てる。
4歳の時、子供は救出されるが、
4年間の「嘘の母親」に愛された事実は、
「本当の母親」と作る
新しい家庭作りの阻害する要因となっていた。

映画は、成人して大学に通う主人公の過去の自分探しの旅を
21年前の過去と錯綜しながら描き、
なおかつ過去の中の過去も織りまぜながらも、
破綻なく進行する。
この新たな切り口の脚本(奥寺佐渡子)が見事。
脚色賞もので、
監督(成島出)は
前の「孤高のメス」も見事な脚色(加藤正人)だったから、
脚本家の起用、その能力の引き出し方がうまいに違いない。

主人公を演ずる井上真央の演技が出色で、
子供の時のトラウマを抱え、
母親とのコンタクトを上手に取れず、
自活しながら、
知らないうちにかつての親たちの事情を再現しておののく女性の気持ちを
知性と意志で乗り越えようとする決意を含めてよく演じていた。

ずるい愛人相手に
自分が普通の家庭の喜びを味わえなかった、
それを教えてくれたのはあなただったと
別れの告白をするシーンなど、
見事に深みのある演技で、
このあたりから事務局長は涙をこらえることができなくなった。

ルポライターを演ずる小池栄子は、
いかにも出来の悪そうなライターとして登場し、
姿勢も歩き方も妙なのだが、
背後の真実が明らかになるあたりから、
その演技に感心した。
しっかり役作りを研究したのだろう。

そして、何より誘拐した母を演ずる永作博美の見事さはどうだ。
不倫から犯罪に走り、
希望のない逃亡生活をしながら、
輝く4年間を得ていく
悲しい女性の姿をみずみずしく演じきる。
最後の写真のくだり、逮捕のくだりの演技は涙を誘う。

他に実の母親を演ずる森口瑤子
父親と同じ無責任男を演ずる劇団ひとり
写真館の風変わりな主人を演ずる田中泯に至るまで、
良い映画が出来る時には、
みんなが良い仕事をする

という奇跡を感ずる演技だった。

一つの不幸な人間関係を描きながら、
人間の持っている業とも言える罪と
そこからの救済を感じさせる奥深い映画


そろそろ終わるが、
もっと早く観ていれば、
みんなに紹介できたのに、と悔やまれる。

傑作

5段階評価の「5」。





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