城北ブロック総会と60年の回顧  

夕方から大塚へ。
城北ブロックの総会を取材のため。
会場は有名な「寿し常」。

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なかなかの店で、
座敷の一角で板前さんが寿司を握ってくれるのがなかなかいい。

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総会そのものは、
なごやかに進みました。


浦安の図書館が
今だに再開していません。
「図書館職員が、災害復旧活動に従事しているため」
だそうですが、
図書館の方が下水工事に参加しているとは思えません。
今だに道路は直っていないところが多く、
片づいていない泥は市内の随所にあります。
おかげで砂ほこりがひどく、
朝、出勤時には、
ウェットティッシュを持っていって、
自転車のサドルにうっすらと積もった砂を拭くことから始まります。
1カ月もたったのに。

浦安の図書館といえば、
かつて「市民一人当たり貸し出し冊数日本一」を誇り、
全国の自治体から視察が大挙して訪れました。
(その大部分が、ついでに東京ディズニーランドを視察した、
という説があります。)

ライフラインの復旧を最優先、は分かりますが、
下水がまだ通じない家は数十軒になったはず。
1カ月たっても図書館が再開できない理由がよく分かりません。

おかげで、事務局長の読む本が枯渇してしまい、
1年前の雑誌を読むはめに。
↓は、昨年の「文芸春秋」で組んだ1960年特集

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そういえば、昨年は60年安保から50年だったんですな。
この特集は、安保だけではなく、
「それぞれの60年」という感じで、
集団就職で古書店員になった元旦に東京タワーに登った出久根達郎
「アカシアの雨がやむとき」を歌ッた西田佐知子、
「雅樹ちゃん事件」の犯人を雇っていたハンドバック工場の経営者、
浩宮さま誕生に立ち合った医師、
ローマ五輪で活躍した「体操ニッポン」の小野喬、
「潮来笠」でデビューした橋幸夫、
チキンラーメンとインスタントコーヒーの思い出を語る椎名誠、
他に中曽根康弘、小林信彦、中村紘子、宍戸錠、
北杜夫、草笛光子、アントニオ猪木、堺屋太一、
岡田茉莉子、朝倉摂、大鵬、伊東四郎、                      
らの思い出が語られています。
(ほとんどが聞き書き)

中でも出色なのが、
当時東大教養学部自治会委員長だった西部邁
首相官邸突撃の体験談で、
その冒頭に次のように書いています。
(読みやすく改行してあります)

五十年前からオツムの回転がストップしてしまい、
それゆえ五十年後の今にあって
「全学連同窓会」のようなものを
喜び勇んで開催して、
「懐かしく麗しきあの日々」
とやらを思い起こしつつ、
皆して「我々は闘ったぞお」と叫んでいる
中期高齢者の一群がいるのだという。

それを聞くと私の背に悪寒が走る。
彼らの多くは、その後、
まず、高度経済成長に馳せ参じたり
飲み込まれたりし、
次に、経済大国日本のおこぼれにあずかって
小市民としての安心立命を覚え、
さらに、ポストモダンのお遊びや
不動産バブルの高まりに煽られて
是非もなく興奮し、
おまけに、社会主義の大崩壊に直面するや
暴力共産革命の主張を
五十年前に引っ込めておいたことに安堵しつつも、
この列島に引きもきらずに轟きはじめた
「改革」の響きに革命幻想の余韻を聞いて、
ひそかに愉悦を感じてきたのに違いない。
で、「我々は闘ったぞお」という
思わず知らずの合唱が
同窓会の会場に大きく鳴り響いたのであろう。

私にできるのは、
そうした愚者たちの
小さな極楽の様子を想像して、
「莫迦は死んでも治らない」
と呟くことのみである。


まさに正鵠を得た、見事な論旨。
このように本質的な断罪を歯に衣着せずに語るから
西部邁は嫌われる。
これは、嫌う方が悪い。


事務局長は当時、中学1年だから、
安保がなんたるものか、まるで知らなかった。
その後「70年安保」なるものがあるかと思ったら、そんなものはなく、       
学園紛争(闘争とは呼ばない)の波に飲み込まれ、
放水を浴びる安田講堂も見て、
最後は「連合赤軍」事件も目撃してしまう。

まあ、いろいろありました。
その安保から、
去年は50周年だった、
ということを今頃、この特集で知った次第。






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