公取準備と『黒沢明を観る』  

昨日未確定だった利率の基準為替は、
事務局長が想定してたのよりも13銭高く採用され、
その結果、19万円も増えました。
1分間の違いで19万円。
一瞬の判断により億単位で得をしたり損をしている
為替ディーラーの方が
30歳で限界が来る、というのは、よく分かります。

それにしても、昨日の3時が底で、
今日は既にあの時点より2円も上がっているとは。
これでは事務局長の尿酸値が上がるはずです。


今日は、来週の公取協の会議に向けての資料作り。
22年度の公取協の活動は、やや停滞気味なので、
気が引けます。


昨夜「癒し」をくれたクラシック音楽。
やはり、ここが自分の帰るべき音楽であったか、
と悟った事務局長は、
家にある90枚組のクラシック全集
毎週5枚ずつ事務所に持ち込んで、
1日1枚聴くことにしました。
ざっと5カ月かかる計算です。


[書籍紹介]

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前に紹介した「山田洋次を観る」と同じ、
吉村英夫愛知淑徳大学文化創造学部教授の
学内講義の記録。

「山田洋次を観る」については、↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20100405/archive

黒沢さんの遺作「まあだだよ」が1993年だから、
学生たちは誰一人リアルタイムには観ていない。
黒沢作品を1本も観ていない、
名前さえ知らない、という学生もいた。

学生たちに観せたのは、
「椿三十郎」「天国と地獄」「赤ひげ」
「生きる」「七人の侍」
の5作品。
これに比較論として、
小津安二郎の「秋刀魚の味」を観る。

「椿三十郎」から始めたのは卓見で、
黒沢明後期の頂点を、先に導入部にした方が入りやすい。
何しろ面白い。
そして、前期の頂点であるが少々古い「生きる」「七人の侍」という
対象的な作品を観せて
黒沢作品の本質を理解させるという方法は
確かにうまいやり方だ。

学生の反応の中に、
家に帰ってから「生きる」を観た、と話して、
そこで親との交流が生じた、というのがあった。
親の世代に深く黒沢作品が息づいていることをうかがわせる。
古典とは、そういうものだ。

日本映画の歴史において、
黒沢明の作品群が
光り輝いているのは事実で、
そのことを若い学生たちに伝えるという意味で
大変貴重な講義だと思う。


余談だが、
事務局長も黒沢作品に対する思い入れは大きい。
上記5作品は「生きる」を除いて、リアルタイムで観ている。
どこで、どういう状況で観たかも覚えている。

たとえば、「七人の侍」は、
伊豆の故郷の隣町の古奈 (こな) にあった「あやめ座」で観た。
あやめ座は畳敷きの映画館で、
満員の大人の中に混じって、
小学校1年の男の子には少々難しかった。

「生きる」は、渋谷の「全線座」(今のヨドバシカメラの右隣あたりにあった)で、
三番館の上映。
観て来た母親に薦められて、
一人で観に行った。
やはり小学生には難しく、
志村喬が「ゴンドラの唄」を歌う場面が切なかったことくらいしか覚えていない。
大人になって再見して、涙することになる。

「用心棒」「椿三十郎」は、もう中学生。
「用心棒」は、1961年(昭和36年)5月5日
、渋谷東宝 (今の渋東シネタワーのあるところ) で観た、と記録にある。
佐藤勝の音楽が斬新で驚いた。
この頃の映画館は封切り時2本立てで、
「社長道中記」という森繁久弥や小林桂樹、三木のり平が面白いことをやっていた映画が併映。
学生料金200円。
「椿三十郎」は記録がない。

「天国と地獄」は、
1963年3月7日、新宿東宝。
新宿三丁目にあった。
面白すぎて興奮し、
以後、何度も観て、セリフまて覚えるようになる。
山崎努鮮烈のデビュー。
併映は、またも森繁の「続・社長漫遊記」。
料金は少し上がって、学生280円。

「赤ひげ」は記録がないが、
日比谷スカラ座だった。
映画鑑賞眼は次第に出来ていたから、
黒沢明の提示する世界に共鳴できた。
「よく見ておけ、臨終ほど荘厳なものはない」
と赤ひげに命令されて、
医者登が蒔絵師・六助の死の様に立ち会う。
若い登には、癌患者の死は醜悪にしか見えない。
しかし、後に六助の娘が訪ねて来て、
初めて六助の悲惨な生涯を登は知る。
娘は「おとっつぁんの最後は苦しまなかったですか」と聞き、
赤ひげは「安楽な死に方だった」と答える。
「そうですよね、生きている時にあんなに辛かったおとっつあんだもの、
最後くらい安楽でなければ」
と泣く娘の言葉に、
登の目に臨終時の六助の姿が蘇り、
初めて「臨終ほど荘厳なもはない」と言った赤ひげの言葉の意味をさとる。
このシーンで落涙。
高校1年、事務局長がまだ純粋な時代の話です。

というわけで、黒沢明を語らせたら、
尽きることはないが、
やはり黒沢明は「赤ひげ」が頂点で、
「どですかでん」以降の作品(全てカラー)は
それほど共鳴しなかった。
あれほど沢山の感動を与えてくれた人だから、
その後も必ず封切り時に付き合ったが、
残念ながら、頂点を過ぎた創作者の作品は
往年の力を失っていた。
(その頃、黒沢さんは既に伝説の人になっており、
評論家が絶賛に近かったのは、疑問に思った。)

今でも
頂点の時代のあの5作品+「羅生門」は
DVDで繰り返し観て、そのたびに感動している。











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