新聞とちょっといい話・その2  

今日も一日新聞にかかわりました。
複数の年頭の所信を並べ、
内容が重複しないように配慮し、
かつ長さを同じにするという編集作業。
人の文章に手を入れるのは苦痛ですが、
紙面の統一感も大切なので、
しかたなくやっています。

その間、今日は電話で話すことが多く、
かなり時間が取られました。
「幼稚」とか「愚か」ということを
何が重要であり、何が重要でないかが分からないことだ
と定義した方がいますが、
幼稚で愚かな人の行動に付き合わされるのは骨が折れます。

まあ、事務局長にしても、
ものごとの本質がすっと見えるようになったのは、
ようやく50歳を過ぎた頃で、
人の話を聞いたり、
資料を読んだり、
情報を得たりした時に、
何がポイントかが、不思議に分かるようになりましたが、
その前は相当愚かだったのでしょう。

ただ言えるのは、
その本質を見る目を曇らせるのは、
我欲で、
そうなると、高い見地から見れなくなります。

今の政治や経済の状況を見ても、
結局は、私利私欲や党利党略、省益などで
正しい道筋が見えていないのではないでしょうか。


さて、昨日紹介した、ちょっといい話
好評につき、
同じ岩見隆夫さんのコラムに載っていた話を書きます。


青年はある時、「布施」(ふせ) の大切さを聞かされた。
布施とは、仏教用語で、功徳を積むこと。
お釈迦様は、万人が布施行 (ふせぎょう) が出来るように、
三つの布施を説いているという。

体を使ってやる身施 (しんせ)
財産を使う財施 (ざいせ)
仏法の大切さを説く法施 (ほうせ)

青年は貧乏だったので、財施は出来ない。
勉強したわけではないので、法施も無理だ。
自分にやれるのは、身施だけ。
そこで、路地の鋪装を思いついた。

というのは、
青年の住んでいる長屋は、
雨が降ると前の路地がぬかるみ、
住民は大変困っていた。
青年の勤めている町工場には、
石炭を燃やした後に出る不用のコークスが沢山ある。
そこで、
青年は毎日、
会社の帰りに、
家から持って行った風呂敷にコークスを詰めて持ち帰り、
路地に撒き始めた。

長屋の人たちは、
「風呂敷一杯分撒いたって、役にはたたないよ」
と笑った。

ところが、3ヶ月も続けると、
風呂敷百杯分のコークスで、
路地の水はけがよくなり、
雨が降り続けても
長屋の住民は安心して歩けるようになった。
長屋の人たちはいたく感心した。

話には続きがある。

見違えるようになった路地を見て、
長屋の家主がびっくりした。
それが青年の奉仕によるものと知った家主は、
ゆかるみの路地を放置していたおのれの不明を恥じ、
私財を投じて、
コークスの道の上に簡易鋪装をした。
青年の身施が、
家主の財施を呼び起こしたのだ。

この話には、
布施の妙味が語られている。
青年のした身施は、
周囲の財施に変わり、
同時に法施になっていたのである。







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