総務部会と杉原千畝  

今日は総務部会
寄贈肉の件、
理事・支部長会の件、
表彰規定の改正の件、
島嶼支部の取り扱いの件
などと合わせ、
本日の重要議案は、
相談役の任期の件。

定款には定めがあるものの、
十年前には、相談役は置かなかった。
ところが、ある役員が退任後の自分の処遇について云々したため、
相談役を委嘱。
すると、その人だけではおかしいから、
規定を作って、三役経験者は全員相談役になってもらうことになり、
更に理事長職経験者は常任相談役になってもらうことになった。

初期は簡単な規定であったものが、
実際に運用してみると、
いろいろな不都合が出て来て、
規定の改正を行う、
という
相談役を置いたばかりに派生する手続きというものが出て来るわけで、
これは、団体運営でよくあることです。

事務局長の考えでは、
職務から離れたら、
次の人のやりやすいように、ちゃんと引き下がるべきであって、
組織にぶら下がったような形で残るのは良いこととは思えません。
何より過去の功績を盾に、
特別扱いを求めるのは、どうかと思います。
尊敬なら現職時代に十分受けたはずなので、
やめてから後も自分を尊重しろ、
というのは、老化現象の一つと思いますが、
それは事務局長の考え方なので、
一般的には、そうでない人の方が多いようです。

ある全国団体では、
生え抜きの常務理事が定年後も相談役として残って、
若い事務局員の邪魔をしました。
その人がいれば、遠慮して相談する。
すると、過去の成功体験と知識であれこれ注文を付ける。
しかも、時代遅れ。
すんなり行く話が、ややこしい話になっていく。
サラリーマン川柳にありましたよ
「なぜだろう、私がいないと、うまくいく」
後継者を育てる方法で最も有効なのは、
自分が身を引くことだ、
という話がありますが、
その人がいるばかりに、下の者が伸びるのを阻害しました。
この場合、一番困るのは、
本人はそのことを自覚していないことで、
最近、その方が無理やりの形でやめた途端、
事務所の雰囲気が一変、
若い職員たちがのびのびと仕事をするようになったといいます。

ある団体では、退任した会長が常勤の相談役として残り、
事務所を訪ねた人は、
現会長と前会長が机を並べている光景を目にします。
権勢を誇った前会長ですから、
訪問者は前会長の方に心情的に近い対応をし、
現会長が嬉しいはずがありません。
「ここは、会長が二人いるんですね」
と揶揄されたりして、
これも、前会長が新会長の仕事をやりにくくしている例。

功績ある役員に対する一定の尊敬の念の表明は必要ですが、
それが長引けば長引くほど組織運営にはマイナスになります。

そこで、相談役に任期を付けることにしましたが、
問題はその期間。
総務部としての原案を作って、常務会に提案。
本日決まった期間は、
事務局長の目から見ると長いと思いますが、
逆の立場からは、それくらいほしいらしい。
多数決というか、責任者の意見を尊重してそうなりました。

このあたり、事務局長の感覚が淡白すぎるのかもしれません。

昔、若い牧師たちが集まって、
「自分たちがその教会に存在した痕跡を残さないようにしよう」
という相談したと聞いて、感心したことがあります。
まあ、それは、
「育てるは神であって、我々はその道具にすぎない。
道具が自己主張するのは間違っている」
というキリスト教独特の価値観を背景にしているのですが、
信仰を背景にしない場合は、
自分が退任した後も何らかの形で影響を残したいのかもしれない、
というのは、よく分かります。

事務局長は3年後の定年時、
もし挨拶状でも出すことになれば、
「みなさん、私のことは忘れて下さい」
とでも書こうかと思います。
もっとも、そんなこと書かなくても、
実際にすぐ忘れられますので、言わずもがなですが。

その問題については、
前に書いたので、重ねては書きませんが、
どんな内容か関心のある方は、↓をどうぞ。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20071031/archive

組合の歴史を見ると、
なんだか事務的にすごくスムーズに行った時期があった、
ということが残るなら、
それで十分、と思っています。

この感覚はもしかしたら特殊なのかもしれないので、
今日の総務部会の任期の長さは仕方ないのかもしれません。
ただ、出席理事の一人が、
「やめた後、いつまでもくっついているのは、どんなものか」
と言っていたことは事実です。

[書籍紹介]

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杉原千畝(ちうね)のことは、
芝居でも観たことがあるし、
エルサレムの博物館でも見たことがある。

第2次世界大戦時、
リトアニアの領事だった杉原は、

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ポーランドからナチスに追われて逃げて来たユダヤ人たちから
アメリカに行くために、
日本の通過ビザを求められる。
断れば、ユダヤ人たちには死が待っている。
本国の本省は、
同盟国ナチス・ドイツへの配慮から、
「ユダヤ人にビザを出すな」という指示をして来た。
悩んだ杉原は、決断し、本国外務省の指示にそむいて、
ビザを発給する。

↓ユダヤ人の逃走ルート。

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発行されたビザは1500〜1600、
それによって救われたユダヤ人は6500人と推定されている。
それを杉原は他の領事館職員が後で咎を受けないように、
全部自分で書いた。
不眠不休で、
本国からの命令でリトアニアを出発しなければならない
汽車の発つぎりぎりまで書き続けたという。

↓杉原が書いたビザ。

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本省からの指示にそむいたのは、外交官としては確かに失格だが、
その行為がもっと大きな立場から見て正しかったことは、
その後の歴史が証明している。
杉原は「東洋のシンドラー」と呼ばれている。

(シンドラーとは、オスカー・シンドラー(Oskar Schindler、1908〜1974)のこと。ドイツの実業家で、ナチスの強制収容所のユダヤ人の内、自分の工場で雇用していた1200人を虐殺から救った。スピルバーグの映画「シンドラーのリスト」で有名。)

戦後、杉原は「抗命」(本省の命令に従わないこと)を問題にされ、
外務省を追われる。

一方、
杉原によって命を救われたユダヤ人たちは、
杉原の消息を探すが、外務省にそんな人物はいない、という。
「ちうね」という呼び方がユダヤ人に難しいので、
杉原は音読みの「センポ」と教えており、
「すぎはらせんぽ」という外交官は
どう記録を探しても出てこなかったのだ。

やがて、杉原のもとを一人のユダヤ人が訪ねて来る。
杉原が出したビザのおかげでアメリカに逃げのびたユダヤ人の一人だ。
「あなたのことを一日も忘れたことはありません」
というその人は、
「センポ・スギハァラ領事が見つかった」
と世界に知らせ、
杉原はイスラエルに招待され、
大臣から感謝状を受ける。
その大臣も杉原に救われた一人だった。

このあたりの記述は感動的だ。

今回この本で初めて知ったのだが、
杉原以外にもユダヤ人にビザを発給したのは、
他にもオランダやトルコの領事などがいたらしい。
また、日本に流れて来た難民たちを
国から迫害を受けながらも守ったホーリネス教団(キリスト教の一派)の人たちもいたという。
ユダヤ人が乗った船が港を離れようとした時、
波止場にやって来たホーリネスの人たちが
船にいるユダヤ人たちにリンゴを投げるシーンは、
想像するだけで美しい。

戦争という異常事態の中で、
国の命令に反してでも
困った人たちの命を救った人たちの行為は美しい。
その人たちの中には、
何が正義であるかが、一本の太い柱として入っていたのだ。
そういう「知られざる正義の人」たちが、実は歴史を支えていたのだとよく分かる。
「その人を得て国おこり、その人を失いて国ほろぶ」
という言葉を初めて知った。
また、「人間」とは、ギリシャ語で
「上をあおぎ見るもの」の意であることも初めて知った。

実は、この本、児童書
文字は大きく、ルビがふってある。
子供向けと言っても、
当時の外交文書や電文なども載った、本格的なものだ。
杉原夫人から直接取材もしている。

この本を読んで、
感動した子供はきっと良い影響を受けるだろう。
事務局長は大人だが、
何度も感動して泣きそうになった。

奥付を見ると、初版は1988年で、
2008年までの間に、23刷の版を重ねている。
児童書にしては珍しいロングセラーだ。







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