三役会準備と『闇の子供たち』  

今日はカミさんの診察があった関係で少し遅刻。
1月の勤務状況はズタズタです。
組合事務局では、1カ月に3回遅刻すると
1日の休みとみなす、というルールがあり、
年休が減りました。
(もともと年休は使い切っていないのですが)

マネージャーさんから聞いたらしく、
葵かを里さんからカミさんの事故見舞いの電話がありました。
ありがとうございました。
彼女、5月の新曲発売に向けて準備中のようです。

昨日の『東京カレー』のブログを見て、
類似名称カレーの商標登録についての
データを送ってくれた法律関係者もいました。
ありがとうございました。

各種会議・講習会の連絡をせっせと実行。
三役会の資料もせっせと作成。
そういう一日でした。

律儀な事務局長は、
映画や芝居のチケットをいただくと
行かないと罪悪感に捕らわれます。
今日は1月最後の平日のため、
1月まで有効の株主招待券で、
観るはずのなかった映画を観てしまいました。

それが、『闇の子供たち』

困った映画を観てしまった。
その日観た映画のために
夜中に目が覚めてしまった、というのは初めての経験。

公開は少し古く、
昨年の8月ロードショー。

梁石日の原作を阪本順治が監督。
アジアにおける人身売買、児童売春、臓器移植を扱う。
よくもこんな題材に切り込んだものだという勇気を買う。
日本映画、骨のある人は、まだ残っている。
描き方も呵責なく、
弱い者たちが虐待される現実を眼前に突きつける。

当初「ノンフィクション」と言っていた製作側は
その後、それを撤回したが、
人間に悪魔と天使の両面がある以上、
多かれ少なかれ事実に近い。
買う者があるから売る者がいる。
根底にあるのは貧困と無知だが、
買う者たちは豊かな文明国からやって来る。

日本だって人身売買も売春も
貧困を背景にわずか半世紀前まであった。
むしろ、罪悪感はなく、
日本人は文化にさえしてしまった。

繰り返すが、
人の中に悪魔と天使の両方が住んでいるから
それは性癖というやっかいなものを
通じて吹き出て来る。
ギリシャでもイエス当時のエルサレムだって、
神殿で売春がされていた。
罪悪感が高まったのは、
キリスト教が整備された以降で、
性は昔の方が奔放だったのだ。
高度文明社会になった分、
陰湿で異常度は高まったが、
こればかりは、
永遠になくならないだろう、と
事務局長は少々あきらめている。
どんな社会でも正規分布的に
異常な部分は必ず何パーセントを占めるのだから。

それにしても、
画面を通じて出て来る悪魔たちの姿は醜い。
しかも沢山いる。
もうこれを観たら、
あんのんとした気分でアジアの歓楽街を歩けないだろう。
では、何かをせよと言われれば、無力感が襲う。
せいぜいNGOに寄付するくらいのことだ。
それでも、少しでも世の中を良くすることができるなら、
しないよりした方がいい。

生まれる場所は選べないが、
たまたま豊かな国に生まれ、
教育程度の高い中で育ち、
ぬくぬくと生きている日本人は、
やはり、こういう世界の現実は知るべきだろう。

画面に力があるから、
2時間の間、飽きさせない。
観終えた後、観客に衝撃を与え、
考えさせる力を持っている。
監督が大変気を使った
タイの子役たちのあどけなさが
作品の過酷さを強調して、
心に残る。
特に、病院に連れて来られた女の子に
男が「その服、きれいだよ」
と声をかけるシーンはたまらない。
夜中に目が覚めてしまったのは、
その女の子の表情が目に浮かんだからだ。

タイでのロケは効果を上げている。
江口洋介、宮崎あおい、妻夫木聡、佐藤浩一ら
主演級を揃えたのは
動員を高める意味では評価できるが、
妻夫木の役は少々荷が重く、
他の役者でやった方がよかったのではないか。
タイの役者たちは、やはり実感的で、
特に、自身も幼児虐待の犠牲者でありながら
その仕事に従事する男の役を演じた
プラパドン・スワンバーンは大変な存在感だ。
江口洋介も好演だが、
突然のラストでのキャラ変更は困る。
意外性というより乱暴という方がふさわしい。
あれでは
「気色悪い日本人」と言われたことに奮起する説明がつかない。
その帰結も安易で、
そういう地獄を抱えながら取材する姿の方が
人間の闇を抱えた辛さで、痛切だと思うが。

ゴミ回収車のくだり、
タクシーの中からの撮影、
最後の集会の修羅場など、
演出的には無頓着が目立つ。
その結果、せっかくの力作なのに、
減点となり、
5段階評価で「4」

ここから先は映画評ではないが、
最近カミさんはアジアには行きたがらない。
「もう老い先短いのだから、きれいなものを見ていたい。
できれば、ヨーロッパの美しい町を訪れたい」と言う。
見方によっては問題発言で、
映画の登場人物の女子大生からは、
「あなたがたは見て見ぬふりをするんですか ! 」
と非難されそうだが、
それこそ、「自分の正義」しか見えていない発言。
人生には
「勘弁してくれよ、仕方ないんだよ」
ということも沢山ある。
この女子大生の描き方は、
自分の若い頃を見ているようで、苦笑した。

この現状を見て、
「神なんかいない」という方向に行く人もいるだろうが、
事務局長は、やはり、神はいてくれないと困る
この映画を観ていて、
ドストエフスキーのことを思っていた。
「罪と罰」の中に、
終末の日、一人の人を探すキリストの姿が出て来る。
「親のために身を売った、あの女(ソーニャのこと)はどこにいる」と。
神はそういう存在に真っ先に救いを与えようとする。

地上で苦しんだ子供たちには、
天上の楽園をたっぷり用意してもらいたい、
と切に願うのだ。







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