土曜出勤と『聖灰の暗号』  

本日は土曜出勤。
座談会の内容をAさんが文字起こししてくれたので、
これを読みながら、特集記事として構成しなす作業です。

人間の話言葉は、あまり論理的でないので、
そのまま文字に起こすと、実に分かりにくい。
それを整理整頓し、
7人の人間が2時間話して、
あちらによれ、こちらに迷い込んだものを
削ったり、磨いたりして読みやすくしていくわけです。

話してもいない内容を付け加えることだけはできないので、
その唯一の縛りの中で、話の筋道を立てなければなりません。

ただ意味が伝わればいいものではなく、
話している人間の
ニュアンスも再現しなければなりません。

この数年間の座談会記事を読んでいただけば分かりますが、
大変読みやすく、分かりやすく、
かつ、ちゃんと流れが出来ており、
まあ、一種の職人芸

その「芸」にこの連休は取り組みます。
音楽をかけながら作業すると、
あっという間に時が過ぎ、
あとは家で。

会社で読む人の多い、このブログ、
土曜日はアクセス数が半減するのですが、
今日は土曜日にしてはアクセスが多く、
どうしたのか調べてみたら、
「オリンピック」や「開会式」で検索して、
初めて訪れた方が多くいたと分かりました。
面白いものです。

[書籍紹介]

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帚木蓬生は「ははきぎ・ほうせい」と読む。
姓も名も源氏物語から取ったペンネーム。
この人、事務局長と同期の同窓生で、
医者をしながら、
年1本位のペースで
外国を舞台にした小説を書く。

読み始めて10ページあたりで、
これは並々ならぬ小説だぞ、と気付く。
ヨーロッパの歴史、中でも中世キリスト教の歴史、
フランスの文化、中でも南部フランスの文化に対する
相当な造詣がないと書けない作品だと思われる。

主人公は日本人の歴史学者・須貝。
須貝はフランス南部アリエージュ県のトゥルーズの市立図書館で
羊皮紙に書かれた14世紀の古文書をみつける。
そこには、火刑にあう殉教者たちの絵や地図と共に、
一篇の詩が書かれていた。

空は青く大地は緑。
それなのに私は悲しい。

鳥が飛び兎がはねる。
それなのに私は悲しい。

生きた人が焼かれるのを
見たからだ。
焼かれる人の祈りを
聞いたからだ。
煙として立ち昇る人の匂いを
かいだからだ。
灰の上をかすめる風の温もりを
感じたからだ。

この悲しみは僧衣のように、
いつまでも私を包む。
私がいつかどこかで
道のかたわらで●れるまで。

(注:●は、文字がみつからなかったため。要するに、死ぬまで、のこと。)

この詩を書いたのは、
カタリ派の異端審問に同行した
ドミニコ派の修道士らしい。

須貝とフランス人女性医師とナイフ職人が
一緒になって、
残された修道士の手稿を求めてピレネー山中に入っていく。
これに手稿が公表されては困る勢力(ヴァチカン)の追跡がからみ、
殺人事件まで発生する。

フランス南部キリスト教にカタリ派という「異端」があり、
この討伐のために十字軍が派遣され、
過酷な審問と処刑が行われ、
ついにカタリ派は2世紀かけて滅亡した、
というのは全然知らなかった。
関連する「薔薇の名前」などは観ているのに。
フランス人でも知らない人が多いらしい。

ローマカトリックの恥部に属する歴史的事実であるようだ。

まあ、「中世暗黒時代」と呼ばれるように、
カトリックが人間性の抑圧をしたことはよく知られています。

この小説は、少しずつ発見される手稿により、
当時の異端審問官に対してオキシタン語(フランスの地方言語)の通訳をした
修道士の苦悩が描かれる。
その部分は小説全体の20パーセントを占め、
その手稿そのものは創作だが、
本当にあるのではないかと思うほど、
臨場感あふれる描写が続く。
小説家の想像力恐るべし。
修道士が通訳をしながら
カタリ派の人々の原始的で真摯な信仰の姿勢に惹かれていくあたりがなかなかいい。

上下2巻の長編だが、
ヨーロッパ文化、キリスト教文化に興味のある人にはおすすめ。
上巻を読んだ段階で、
これだけ香りが高く、面白いのに、
昨年7月の発行にもかかわらず、
前年下期の直木賞の候補にさえならなかったのは何故かと疑問を感じた。

後半になって、その理由が分かった。
ミステリー仕立てにしたため、
そのミステリーの部分が平版で、
ひねりも意外性も驚愕もないからだ。

むしろ、そういう構成ではなく、
せっかく日本人を主人公にしたのだから、
「踏み絵」という特殊な
キリシタン迫害と連動して、
一種の文化論、異文化衝突のところまで話を広げてほしかった気がする。
聖フランシスコと一遍上人との対比なども出て来るのだから。

題名からしても、
「ダ・ヴィンチ・コード」風のものを目指して
うまくいかなかった、ということだろうか。

それにしても、
キリシタン迫害は異なる宗教間の迫害で、
かつ日本の置かれた戦略的位置と時代背景の産物だが、
カタリ派迫害は
キリスト教がキリスト教を迫害したもの。

いろいろ考えさせられることが多く、
いたく知的刺激を与えられる小説だった。






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