橋下知事の遠吠え  

朝、キャンキャン吠える犬の鳴き声で目を醒ました。
と思ったら、
目覚まし代わりに自動的に着いたテレビの中で、
橋下大阪府知事
フジテレビ「報道2001」で
黒岩キャスターとやりあっているのだった。

知事になった途端に、
起債ゼロの公約を破ったことなどへの批判に対して
「現場を知らないからそんな机上の空論を言うのだ」
と言い返している。
随分感情的な言い方だ。

あなたも現場を知らないで当選したはず。
ならば、なって初めて知った現場の状況はこうだった
と説明すればいいのではないか。
というより、現場を知らない人間の側が府民なんだから
府民の感覚の方が正しく、
向こう側に立つのではなく
府民の側の目線で現場をただしていくべきだろう。
自分のかつて立っていた立場が正常ならば、
そこに近づけるべきだ。

いざなってみたら、
ただ批判していたより大変なことに気づき、
今度はその立場から
批判を批判するというのでは何も始まらない。

昔、ある同族会社の女社長が
資料提出を求める親戚の株主に
「何よっ、あたしたちがこんなに苦労しているのに、疑うのっ!」
と金切り声を上げていたが、
橋下知事の言い方はそれと変わらない。
「説明責任」というのは、府民に対する知事の大事な役割のはずだ。

「もう20年度予算は動いており、
車は急には止まれないんです。
地方交付税で補てんできるものもあり、
府民に迷惑かけないものは起債した方がいいし、
いずれにせよ4年間かけて
起債ゼロまでもっていきます

と言えばいいのであって、
ついでに伊坂幸太郎の「魔王」に出て来た政治家のように、
「できなければ、私の首をはねればいい」
とは言わないまでも、
「達成できなければ、私は退職金はいただきません」
とでも決意を述べればいい。
ついでに、
「太田前知事は8年間もやって借金を増やしただけだから、
退職金は返上したらどうか」
とでも言えば、
府民は拍手喝采しただろう。

起債ゼロを題材に
今の大阪府の現状を伝え、
それに対する目標と計画を述べて
改革の決意を伝える良い機会なのに。
それを
「起債ゼロはマスコミがそう言ったのであって、
私は原則ゼロと言っただけだ」
などと卑怯な言い訳をするから人間の程度を疑われる。
説明と言い訳をちゃんと区別するために、
先の目標を見せればいいのだ。

信念を貫くことと
我を張ることは違う。

海千山千の大阪府職員たちは
この知事がどの程度の胆力を持っているか
それによって改革を受け入れるか
それとも4年間じっと我慢するか
見つめていますぞ。

杉並区長が、
「人件費をただ減らすと言うと
お役人は自分のとこだけそのままで周囲を減らそうとするので、
それよりも人数を徐々に減らせばいい。
そうすると、
お役人は少ない人数で仕事をしなければならなくなることか分かるから
次第に仕事を民間に譲り渡すようになる」
と助言し、
黒岩キャスターが
「どうですか。人数を減らすという案は」
と向けると、
「そういうアドバイスがありがたい。
何でもかんでも批判するのではなく」
と切り返す。
黒岩氏は
「あなた、すぐそういう言い方をするのはよくない。
人数減らすのどうですか、と私は聞いている。
そうカッカしないで、それに答えればいい。
批判がいけないではなく、
ちゃんと説明すればいい」
とたしなめ、
「もういいです」
とさじを投げていた。
本当は黒岩さん、
最後まで無視すべきでしたね。

大体、知事などという立場は
批判を受けるのは当然で、
自分で好んでその職に着いたのだから、
批判は甘んじて受けるべき。
その中で出来ることは実行し、
出来ないことは出来ない理由をちゃんと説明
すればいい。
それを芋虫じゃあるまいし、
ちょっと突つかれただけで
ひっくり返って怒りだす。
人間の奥行きが分かってしまうではないか。
そんな態度では、
やがてアドバイスしてくれる人もいなくなってしまいますぞ。

ところで、杉並区長が「住民税ゼロ計画」というのを説明していた。
区予算の1割を積み立て、
その運用益で30年後位には住民税をゼロにするという。
随分先の話なので、
それだと今の住民には「関係ない」になるから
5〜6年後に10バーセント減らす。
そうすれば、杉並区に住みたくなり、移って来る。
周りの自治体もそれでは困るから、
努力するようになる。
と卓抜なアイデアを披露。
どこの家庭でも貯蓄して将来の備えにする
という家計の感覚を導入。

「政治家の使命は税をさげることだ」
という説があるくらいだから、正論。
ばらまき行政をやって
借金をして、
その穴埋めに税金を値上げするなら、
だれでも出来ることだ。
もっとも税金ゼロは行き過ぎで、
そこは鳥取県の片山さんが
「税は取るべき。
税を払うからこそ監視するのだ」
と言っていたのは正しい。
なにしろ、「納税」は国民の三大義務の一つですからね。

(ちなみに、国民の三大義務とは、
納税、勤労、教育。)

知事や区長たちには胆の座った人たちがいますね。

ところで、
米国大統領の民主党候補は
オバマの勝利で決まったようだ。
キーワードは「変革」。
日本語では変革だが、英語では単純に「チェンジ」。
みんな変わりたがっているんだね。
このままではいけない、変わらなければと。
ところが、
既得権益を受けている一部の人が変わりたくなくて足を引っ張るのだ。

ここで我田引水。

組合の転換は平成12年から13年にかけて。
理事長が代わり、事務局長が代わり、
資産の運用を本格的に始めて、
BSEのあった13年度は無理だったものの、
翌14年度から黒字転換して
既に6年度黒字を継続している。
組合員への様々な助成事業ができたのも、
50周年を盛大に祝えたのも、そのおかげ。

それというのも、
本気で変わろうとしたからだ。
変わらなければならない
変わろうという意思が
様々な改革を生んだ。

その到達点が、今度の「組合員の資格を問う」だ。
ある支部では全員一致で「反対」を決めたという。
はて。
定款通りに適用しよう、に「反対」とは、どういう理屈なのか。
聞いてみたいものだ。
定款に反対するなら、
定款を変えるか組合を脱退するしかない
と思うのだが。






千代田支部発足式  

昼頃から組合事務所に出て、
月曜の厚生部会の資料作り。
今年は団体保険の変革の年となりそうです。

昭和44年に始まったこの制度、
スケールメリットを生かして
組合に莫大な手数料収入をもたらしました。
元々組合員からの賦課金以外に収入のない生衛組合に
最大時で年間4600万円もの収益を生んだのですから、
数の力とはすごい。
生衛組合の資産約2億円はこの時期に形成されたものです。

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しかし、組合員の減少、他保険との競合、全国団体への統合等
の要素により収入は減少、
そして配当金ゼロの措置により、
今年度は最低の400万円程度となります。

更に4月からの掛金の値上げに対応して
値上げ分を組合が補助して掛金据え置きにすることから、
この事業は組合に手数料をもたらすものではなく、
逆に組合が持ち出しをする
助成事業に完全変貌
することになりました。

今まで積み上げて来た資産を運用して、
その利息収入を還元しようというのですから、
全く今の組合の太っ腹はどこまで行くのでしょう。

しかし、ならば、キャンペーンや報奨金は妥当か、
わざわざ頼んで入ってもらう性質のものなのか、
ということになります。

そういうことを月曜の厚生部会で審議していただきます。

資料をまとめ終えて、
夕方から飯田橋のホテル メトロポリタン エドモントへ。
麹町支部と神田支部が統合して
新たに千代田支部として発足する会に出席です。

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幹部だけの少人数の集まりなので、ご覧のような形。

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他の区に比べ遅れたのは、
I前支部長が病気療養中だったため。
10日に亡くなり、
訃報はハワイで聞きました。
宴席も前支部長の病状や想い出話で、
まるで、通夜のよう。
というより、
本当に同じ時刻に通夜が始まっており、
会を終えると、
支部の皆さんは通夜をしているお寺に向かいました。
前支部長の通夜と発足式の日程が重なるという
不思議な巡り合わせ。
前支部長も喜んでおいででしょう。

さて、この千代田区の統合をもって、
いよいよ残ったのは、
江東ブロックの4区のみとなりました。


仕事再開とハワイ  

本日より職場復帰
さすがに職場に3日いなければ、仕事が溜まっており、
10時までかかってしまいました。

新聞の編集は終了
ハワイの写真は
昨日のブログに載せた集合写真を1枚だけ掲載。
詳細は次号です。
編集は終わりましたが、
曜日の組み合わせが悪く、
発送は来週明けとなります。

「平成の改革」の反応がちらほら。
他の業種の方から
この種の団体は多かれ少なかれ同様の悩みを抱えている、
よくぞ着手した、
というお褒めの言葉もいただきました。
ある県肉連では、
肉屋さんではない人が会長を務めている例があるそうです。
ある支部からは「脱退届を4,5枚送ってくれ」という電話。
まだその作業までは入っていませんが。
その中に
「実はあの人(組合の要職)の営業許可書は5年前に切れている
という話も。
営業許可書なしに営業しているのを保健所が見過ごしているとは
思えないのですが、
不思議な話が聞こえてきます。
まあ、営業許可書を提出していただけば分かるので、
これは時間が解決する問題です。

では、ハワイの様子を。

↓40人の団なので、VIPルームを取りました。

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↓近藤理事長の挨拶。

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↓成田発の最終便です。仕事を済ませてから駆けつけた人もいました。

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ホノルルでは、一人の方の指紋が取れずに留め置かれ、
1時間の待ち時間となりました。
携帯電話が仕えず、往生。
(このことは今度書きます)

まず、免税店の場所を教えて、徒歩でホテルへ。
↓台湾で使った旗が役に立ちました。

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↓ホテルは一流のシェラトン・ワイキキ
免税店へは3分の距離で、奥様方には最高のロケーションです。

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部屋の準備が出来るまで、
隣のロイヤル・ハワイアンの↓海の見えるテラスでサンデーブランチ

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↓さすがハワイ。シーフードが豊富です。

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↓フルーツも満載。

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↓で、こんな感じ。

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チェックインまで↓浜辺を散策。

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↓こんな景色や

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↓こんな景色や

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↓こんな景色で目の保養です。

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↓通常より1時間早くチェックイン。
部屋はウォーターフロント

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↓これがベランダから観た眺め。

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シャワーを浴びてさっぱりした後、サンセット・ディナー・クルーズへ。

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↓ごらんのような室内。日本人が7〜8割です。

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↓卓上には、「奥様孝行」の文字が。

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↓カンパ〜イ。

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↓料理はオマール海老がメイン。

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↓この嬉しそうな顔をご覧下さい。

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↓もう一つのメインがテンダーロイン・ステーキ
純国産(アメリカ産)。
肉屋さんの団体に出すとは不敵な。
もちろん「こんな肉」でした。
アメリカでは普通なのですが、
舌の肥えた日本人、ましてお肉屋さんには。

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食事の合間はエンターテインメント。
↓ハワイアンとジャズ。

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↓新婚さんのダンスタイム。

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↓ポリネシアンダンスショー。

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↓最後は数珠つなぎに踊りの輪。

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↓「Y.M.C.A」も踊らされました。

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苦手な人には苦痛の時間。

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しかし、何と言っても最高のエンターテインメントは夕陽

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雲の具合もちょうど良く。ラッキーでした。

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日本では観れないスケールの大きな夕焼け

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刻一刻と色合いを変えて、

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徐々に沈んで行きます。

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水平線に消えた瞬間には拍手がわきました。

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↓ワイキキにも夕闇が迫っています。
中央の大きなホテルがシェラトン・ワイキキ。

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↓こうして、第1夜は過ぎていきました。

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続きは後日。


ハワイから無事帰国  

組合創立50周年記念行事の一つである、
「奥様孝行ハワイの旅」3泊5日の一行40名が
本日午後4時15分、成田空港に到着
無事帰国いたしました。

盛り沢山のスケジュールでしたが、
大変喜ばれ、大成功のうちに終わりました。

とりあえず、写真を一枚。

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モアナルア・ガーデンの
日立の木」前で。
(写真をクリックすると、大きくなります。)

報告は明日以降のブログで紹介します。
お楽しみに。


組合員の資格  

本日は3時間ほど組合事務所に。
昨夜の勉強会で使ったプロジェクターとパソコンを
コインロッカーに預けておいたので、
それを出して、事務所へ。
行けば行ったで仕事はありますので、
明日の成田でのお願い事を専務にFAXしたりしました。
いよいよ明日からハワイの奥様たちのお世話役に出発します。

さて、常務会で審議した
「より堅固な組織を作るために」が各支部長に届いたと思うので、
一番重要な「組合員の資格」について
もう少し詳しく書きましょう。

読者が組織外の人でしたら、
「ああ、こういう団体は、
こういう問題を抱えているのだな」

くらいの乗りで読んでもらったらさいわいです。

「組合」というのは、人が集まれば全部「組合」を名乗れるのですが、
労働組合を始め、法律で規定されたものが多々あります。
わが組合も
生衛組合の方は「生活衛生関係営業の運営の適正化及び振興に関する法律」を根拠にしており、
生衛組合を名乗れるのは、16業種に限定されています。
事業組合の方は、「中小企業等協同組合法」を根拠にしており、
協同組合を名乗るには、認可が必要です。

法律で規定されているのですから、
義務も権利もあり、
生衛組合の組合員は、
公的金融機関から安い金利でお金を借りることができます。
最近の低金利では、あまりメリットがなくなってしまったのですが、
長いこと組合員は金利の優遇を受けてきたのは事実です。
また、安くて有利な団体保険に加入できる、というメリットもあります。

事業組合の方は
団体として税制の優遇を受け、
株式会社より安い税率が適用されています。

このように、一応の優遇を受けるので、
当然、定款において組合員の資格を規定してあります。

生衛組合の方は定款第7条に
「本組合の組合員となる資格を有するものは、
組合の地区内
(注:わが組合の場合、東京都のこと)において
食鳥肉のみを扱う食肉販売業以外の
食肉販売業を営むものとする。」

と規定しています。
食鳥専業と区別しているのは、
法律が適用される16業種において、
食鳥と食肉は別業種とされているためです。

事業組合の方は、定款第8条に、
「本組合の組合員たる資格を有する者は、
次の各号の要件を備える小規模の事業者とする。
(1)食肉の小売販売業を行う事業者であること。
(2)組合の地域内に店舗又は事業所を有すること。」

と規定されています。
小規模事業者とは、
従業員が50名以下、
法人の場合は資本金1000万円以下のことです。

生衛組合の定款第9条には、
「組合員は、次の事由によって、脱退する。
(1)組合員たる資格の喪失
(2)死亡又は解散
(3)除名」

と規定され、
(1)(2)の場合は遅滞なく届け出ることと
自由脱退出来ることも記されています。

事業組合の方は
第12条に自由脱退の規定、
第13条に除名の規定があり、
第18条には、休業、廃業の時は届け出なければならない旨の規定があります。

そこで、この二つの定款を総合して、
組合員とは、
東京都全域に存在する
@食肉小売業
(店舗を持って、消費者対象に営業している、いわゆる町のお肉屋さん)
A食肉卸業者 (主に小売店に部分肉を下ろす業者)
B食肉納めの業者 (学校や保育園、飲食店に納める業者)
としています。
もちろん@ABを兼ねている店も沢山あります。

つまり、
組合員とは、
食肉を取り扱っている事業者
のことです。
「食肉」を謳う組合なのですから、
当然です。

では、その「資格」を厳密に適用しているか。
実際は、そうはなっていませんでした。
閉店・廃業した人や
弁当屋や飲食店(焼肉屋やとんかつ屋)に移行して
今は肉を販売していない人も
そのまま組合員として内包している現実があります。

長い付き合いの仲間ですから、
「やめました」・「はいさようなら」
というわけにはいかず、
仲間として付き合う、
日本的な温かみがあったからです。
もちろん、お店を閉めた途端に
あっさりと組合を脱退する方もいます。

閉店しても組合に留まるメリットとしては、、
健康保険や団体保険、更に共助会を継続するという点があります。
地域の人間的繋がりをそのまま継続したいという人情的な面もあります。
一方、そのやめた方が世話好きな方の場合は、
余った時間を使って、
支部の役職を引き受けてくれている、
という面もありました。

そういう現状が分かっていてなぜ放置して来たかというと、
地域(支部)で受け入れているならそれでよし、という点と、
組合員が減ることへの本能的なおそれが
そのまま継続することを許したわけです。

おそらく全国のあらゆる同業組合、
商店街なども同じではないでしょうか。

しかし、最近になってその弊害も出てきました。
閉店してひまだからと支部長をはじめとする支部の役員を引き受けていても、
やはり自分で店を営業していないから
どんどん感覚がずれて来ます
肉を自分が扱わないから
共同購入を積極的に勧めることができません
従って、本部からの伝達事項が支部長や役員止まり
などということが起こります。

これは商店街などでも同じで、
ある駅ビルでは、
建設当時の権利を持っている会員が
廃業してその所有面積を他の人に貸し、
しかし、時間の余裕があるので
役員をして、
今では役員の半分がお店をやっていない、
という例もあるそうです。

商店街でも、
自分のお店はやめて、
それを人に貸し、
でも商店街の役員はやっている
という例も沢山あります。

となると、ビルや商店街の運営にもずれが出てきます。
片方は商売で儲けようという人。
片方は家賃収入で儲けようという人。
これでは売り出しや抽選セールなどにも
取り組みの濃淡が起こってきます。

曖昧にしたままで組合もやってきましたが、
最近では、
閉店して組合から脱退しているのに支部長をしているという
極端な例さえ出てきました。
組合員でない人が支部長をしていて、
どういう気持ちで組合とのパイプ役になったのか不明ですが、
その人は組合の大方針である支部統合に反対しており、
組合員でない人が組合の方針に反対するという
まことに不思議な光景も出現しました。

そこで、このままでいいのか、
正規の組合員の権利が侵されてはいないのか、
という議論になりました。

昔は組合が事業への協力を組合員にお願いする
という形でしたが、
この数年、すっかり様変わりしました。
「組合内助成事業」で組合員に沢山の補助がなされており、
組合事業に参加すればするほど
組合員のメリットが増大
する形になりました。

決定打は保険に対する補助を開始したことで、
組合員の資格のない人が組合からの援助を受ける
というの妙だ、という意見も出てきました。

そういうわけで、
組合員の資格を改めて問う内容が
素案 → 総務部会 → 三役会
と審議を重ねるに従って
内容はどんどん精鋭化。

最終的には
組合員の資格は
食肉小売業、食肉卸売業、食肉納め業
と少なくとも食肉を取り扱う者に限定
し、
更にその確認は
保健所の出す営業許可書でする
として、
その提出を求めて、整理をする、というところまでいきました。

営業許可書というのは、
食品衛生法に定められたもので、
この許可がないと営業することができません。
中でも組合員たる資格は、
「食肉販売業営業許可書」
「食肉処理業営業許可書」
を持つ者
と明確にしたのです。

焼肉屋やとんかつ屋、弁当屋に転進した人には、
「飲食店営業許可書」はあっても、
上の二つの許可書は持っていません。
閉店した人は、
昔の営業許可書はありますが、
5〜8年で更新しますので、
期限切れのものは提出できません。

当然組合員は減ります。
「組合員の減少」が30年来の組合の悩みだったのに、
あえて組合員の減る措置をするのですから、
相当思い切った改革です。

しかし、実際は簡単ではありません。
今まで組合員として認めて来た歴史があるのですから、
突然組合員の資格を問われた方は不満を抱くでしょう。

更に、現場レベルでは、
時間の余裕があるからと
閉店後の人に支部の役員をお願いして、
そのボランティア精神に頼ってきた面もあるのですから、
それを唐突に「資格を問う」というのも一方的です。

更に、支部に貢献して来た長老級の人
閉店後も組合に留まってもらって交流してきたのですから、
そういう人に言うのは
忍びないものがあります。

先の常務会でも
支部運営の停滞を危惧する声、
言うに忍びない心情の吐露
もありました。
それで常務会はかつてない長時間のものとなったのです。

しかし、最後は
「いつかはやらねばならないことだ」
「今まで放置してきた方が問題」
「減ることをおそれず断行しよう」
「そういう人たちとの交流は支部の中でしていただこう」

と意見がまとまり、
全員挙手という全会一致で可決したのです。

素案から総務部会、三役会との議論の積み重ねの中で
審議事項を文章化する立場の事務局長は
どんどん尖鋭化していく内容に
「波紋を呼ぶと思いますが、いいですか」
と何度も確かめました。
そのたびに
「でも、やらなければならないことだ」
「定款の規定にあいまいにそむくことの方が組織にはマイナスだ」
「今のように組合員であるメリットが大きくなった時こそ、すべきだ」

という意見で、
胆力を感じたからこそ、
的確な表現の文章を捜し、
その決意を反映するようにしました。

組合の将来を考え、
堅固な組織を作るためには、
今やらなければならない、
反対や波風が立ったからといって
やすやすと後退しない、

という姿勢は、
終始一貫しており、
それが常務会での全会一致の決議となりました。

もちろん、激しい改革です。
放置しておけば放置したまま、
なあなあで行くことも出来たはずです。
あえて波紋を呼ぶ必要はないのかもしれません。
十年ほど前の常務会なら、
まず間違いなく先送りの継続審議になったでしょう。

国も同じです。
関係業界や利益関係者が反対すると、
問題先送りのオンパレード。
国や自治体がこれだけの借金を抱えているのに、
だれも本気になってやらない。
反対があっても信念を貫く胆力がないからです。

50周年記念の最後に随分なことを、
と思う人もいるかもしれません。
しかし、これも50周年事業の一つかもしれない、
という声も一方であります。
50年前の組合創立の時、
構成メンバーは全員食肉販売業の方
でした。
その後、時代の波を受けて廃業や転業した歴史を
組合はそのまま抱えてやってきました。
この50年という区切りの時に
原点に立ち戻ろう
ということかもしれません。
常務会で「50周年を機会に」という声が出たのも、そういう意味なのでしょう。

こうして、食肉を取り扱う人だけの組合に純化した時、どうなるか。
かえって組合の事業は円滑に流れるかもしれません。
組合事業に参加し得る立場の人たちだけになりますから。
特に食肉共同購入事業は
今までは食肉を取り扱わない、該当しない組合員が沢山いたのですが、
案外組合員あげての事業になるかもしれません。
少なくとも、取り扱い重量が減ることはないでしょう。

やらなければならない時に
やるべきことの決断をする役員会。
「減ることをおそれず」
と痛みを覚悟した役員会。
これこそ、
組織の上に立つ人たちの姿だと
事務局長は少々感動しています。







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