原理原則  

今日も一日、済州島での研修資料にかかりました。
昨日近藤理事長に読んでもらったものに
自分で入れた赤字をせっせと直し、
足りない部分を補い、
添付資料にアルファベットの番号を付け・・・
気付いたら資料は22点に。
ここまでやる必要があるのか、
と思いつつも、
これは性分なので。

今日ある方の訪問を受けて話をして、
少し熱くなりました
と、同時に、あるテレビ番組を思い出しました。

一週間くらい前のこと。
ふとテレビを見ると、
世にも情けない顔をした女性が泣いています。
彼女は60歳の演歌歌手で、
スナックなどで歌うと、
そのブスい顔でさんざ笑われます。
「こっちを見ると、歌が台無しだ」とか、
「歌はうまいんだけど、顔がねえ」とか、
「ポスターの写真とあまりに違う」とか。
それで、その番組に来て、美しく変身したい、といわけ。
メイクアーチスト、ヘアドレッサーなどが総出で、
一人の女性をきれいに仕立て上げる番組のようです。
すみません、つまらん番組の話で。

番組の意向だと思いますが、その女性は
スッピンで出てきて、本当にこれでは辛かろう、
という顔をしています。
だから、この番組に恥を忍んで出て来た、
それもうなずけます。

ところが、番組、奇妙な方向に行ってしまいます。
彼女の「キレイになって、歌を聞いてほしい」という願望に
イチャモンを付け始めます。

スナックの場面の録画を見て
思い出して泣いている彼女に
あの大女が言います。
「泣くほど辛いんですか」
泣いてる人を前にアホな質問です。
「はい。よくババア、ババアと言われまして」
すると、この大女、
「でも、歌は心でしょう。外見じゃないでしょう
他のタレント(俳優、お笑い芸人など)もそうだ、そうだ、と同調し、
お笑い芸人は「ぼくらだって下積みの時、スナックで罵倒されましたよ。
面白くない、帰れって。そうやってのし上がっていくものでしょう」
と、若手のお笑いの修行時代と、60歳のあとがない女性の苦衷を同じにする発言。
「でも、やっぱり、キレイになった方が歌を聞いてもらえるので」
と言うと、
「それは違う。歌に心がこもっていれば、人の心をうつ。外見じゃない」と俳優。
「でも、まずみんなからブスだとかババアとか言われて、聞いてもらえないんです」
と言うと、
「違うね」とばっさり。

ここからきれいになりたいのか、歌を歌いたいのか、の分析に入ります。
こんなのすぐ分かるわけで、
キレイになりたいのは、女として当たり前、
彼女の場合は歌を人前で歌いたい、というのがもう一つ付いて、
でも容姿を笑われて、歌を聞いてもらえないので、
キレイになって人前に出て、歌を聞いてもらいたい、
というごくわかりやすい内容。

ところが、このタレントたち、
よってたかって、そのことが間違っている、
と言います。
まず、歌だ、歌をうまく歌えば、人は聞いてくれる、というのです。
しかし、毎日人前でブスだと笑われて辛い思いをしている人に
そんな原則論を言ったって無意味でしょう。

あげくの果てに大女はその女性をどなりつけて、
「いいかげんにしなさいよ。
女としてキレイになりたいって言うんだったら分かるんだよ、
こっちだって。
それで歌聞いてほしいっていうから
こういう風になっちゃうんじゃないの、あんた。
もっと素直に、
女としてキレイになりたいって、そう言えばいいじゃない。
あんたより若くたって、誰にも聞いてもらえない歌手だって一杯いるよ。
私だってコンサートのたんびに
客が来てくれるかどうか不安だよ、今でも。
ちゃんと歌ってりゃあ、
みんな泣かせもできる、
拍手だって自然と起こりますよ。
あなたの今の言い方じゃ、歌は後ですよ。
キレイになりたいのが先でしょう。
若返りたいって、
そこに歌、くっつけないでよ。
自分を正当化しないでよ。
ちゃんと歌えば、
泣く人は泣く、拍手する人は拍手する。
外見じゃないですよ」

バカだねえ。
キレイになりたい、歌聞いてほしい、
二つを分けて心理分析してどうする。
「歌が良ければ、ひとの心をうつ。外見じゃない」
そんなきれいごとを言ってどうする。
ブスの辛さに泣いている人に
人生は顔じゃないと励ましてどうする。

病気で苦しんでいる人に、
「病は気から、根性根性」と言っているようなもの。
痛みで苦痛の本人に
健康な人が
「ダメだよ、そんなことで悩んでちゃ」と言っているのと同じ。
功成り名を遂げた人が
失敗した人生の人を叱咤するほど滑稽なことはありません。

「えらそ〜な態度の人、威張っている人は大嫌い」
は我が家の家風。
ますます和田アキ子が嫌いになりました。

ところで、その演歌歌手、プロの技でキレイに変身、
まるで別人になりました。
これで歌も聞いてもらえます。
よかったよかった。
終わり良ければ、全て良し。

などというくだらない番組のことを思い出したのは、
今日来た方が、まさに原理原則の方だからです。
東京の組合に対して誹謗発言をしたある全国団体幹部のことを言うと、
「そんな、誰が何を言った、彼が何を言った、
と、そんなことにいちいちひっかかっていたらいかんのだ」
と言います。
言っていることは正しいですが、
それは、足を踏まれた人に
「そんなことを痛い痛いと言っていてはいかんのだ」
と言うのと同じ。
足を踏まれた痛みは踏まれた本人にしか分からないんですから
そんなことを言っても何にもなりません。

他にも、この人の言うことは
ことごとく原理原則。
挫折したことがないのか、
その原則論が通用する官僚機構のような権威の中にいたのでしょう。
しかし、ここは民間ですから
痛みを抱いた人と目線を同じにして、
その痛みを知ろうとすることから始めなければ、
民間では通用しません。
まず人の意見を聞かなければ。
現場を知らなければ。
まさに「事件は会議室じゃない、現場で起きてる」です。

前にも書きましたね、マリー・アントワネットの話。
「お妃、民はパンがなくて飢えているのです」
「バカねえ、パンがなければ、ケーキを食べればいいじゃないの」

もっとモノの分かっている人だと思っていましたが、がっかりしました。
チラホラ入っていた
「あの人は人の言うことを聞かない人だ」
の噂のとおり。
こんな原理原則ばかりでは、
きっと部下は辛かろう
この人には都肉連の全肉連脱退に関わる熾烈な苦しみなんて分からない。
別に分からなくてもいいのですが。
ただ、もうこの話はこの人とはしないことにしました。





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