車椅子のトゥーランドット  

本日、芝浦では「獣魂慰霊祭」というものがありました。
これは、生き物の命をいただいてなりわいとしている者たちの、
牛豚に対する鎮魂の行事。
市場の一角にある碑の前に
行政関係者、業界関係者、現場作業員の代表等が集まって、
慰霊の時を持ちます。
組合からは近藤理事長欠席のため、島田副理事長か出席。

その後、
香港旅行の時に撮った写真をパソコンでスライドショーし、
プロジェクターで投映して島田副理事長と共に見ました。

香港旅行の参加者のアンケートが続々集まっています。
これだけ皆さんが喜んで、
今後の仕事の糧としていただけると、
またやらねばなりません。
場所はソウル、ハワイと夢はふくらみます。

報告を忘れていましたが、
香港では参加者の複数の方から、
「昨夜テレビで新宿イベントのことを放送していた」という話があり、
ホテルのチャンネルにNHKの衛星放送があって、それで見たようでした。
そこで、帰国後、該当番組を探してもらったのですが、みつかりません。
どうやら、NHKの衛星放送には、
「BSワールド」というのがあって、
その中でのことで、日本ではビデオは取り寄せられそうになく、残念です。

さて、プライベート。
本紙は映画サークルCCSの月に1度の会合の日
映画好きが集まって、
「M:i:V(ミッション・インポッシブルV)」、
「スーパーマン リターンズ」
「パイレーツ・オブ・カリビアン/デットマンズ・チェスト」

について語り合いました。
この手の娯楽映画では事務局長は本領を発揮せず、基本的に静か。
こういう映画だと言葉が沢山になる人がいますので、
活躍の場を譲ります。
このブログの映画感想文は
CCSの会報に転載されているので、
既に読んでもらったものだし、という遠慮も少し。
映画について一生懸命話している人の姿を見るだけでも楽しい会合です。

さて、お約束の「車椅子のトゥーランドット」
昨夜のNHKホールには沢山の著名人が集まったようですが、
開演前に、主催者・日本舞台芸術振興会の佐々木忠次さんが、
やや緊張した面持ちで登場。

リュウを演る予定であった、バルバラ・フリットリは
「ファルスタッフ」のアリーチェ役を3回快調にとばしたが、
今朝の発声練習で不調を訴え、出演できなくなった。
そこで、新進のソプラノ、ノラ・アンセルムが今夜のリューを演じます。


とのこと。
今回の3公演では、ノラが2回、バルバラが1回なので、
全部ノラが演ずることになったわけです。

これはよくあることです。
問題は、その次。

トゥーランドット役のアレッサンドル・マークさんには
出演交渉中、行き違いがあって、
あやうくご出演いただけないところでした。


という、本筋に関係ない話があった後、

マークさんは足を傷めており、歩けません。
そこで、本日、マークさんは車椅子で登場します。


何っ、トゥーランドットが車椅子 ?!

まわりを6人の侍女が固め、
ストッパーを付けて、安全にしますので、
みなさまご協力をお願いいたします。


少々意味不明ですが、上記の説明がありました。

今回の事務局長の関心は、
チャン・イーモウがどんな演出をするか
チャン・イーモウは中国の映画監督で、
「初恋の来た道」「HERO」などで実績のある人。

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中国人が中国の話を演出するのですから、
日本の映画監督が「蝶々夫人」を演出するようなもので、
どんな違いがあるか、期待が高まります。

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舞台は、ご覧のように豪華絢爛。
問題の車椅子ですが、

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たとえば、上の場面で、
左側の人が車椅子だったら、
と想像してみて下さい。

変でしょう?

終始トゥーランドットは中央の車椅子で歌います。

いくらなんでも想像力で補う範囲を越えています。

オペラというものは、音楽 + 演劇 なのですから、
歌はいいとしても、
演劇の部分が損なわれては、興ざめです。
舞台において、役者の立ち位置というものは重要な意味を持っており、
その配置によって緊張や対立や融和が表現されます。
ですから、演出家は、人間の配置を
造型的なものを含めて必死に考えるわけです。
なのに、主役が動けないわけですから、
演劇的には無理。

また、3幕では
中央に妙な青い部分があり、
ここで舞台の動きは半分に分断されます。
池かな、と思っていたのですが、
これは、装置を覆っていた布で、
リュウの死んだ後、ここから白い巨大な扇が現れ、
リュウの魂の昇天を現すかのように、
上に昇っていきます。
こんなつまらない思いつきのために、
舞台に池と誤解されるものを置き、
その上、人間の動きを不自由にするとは。

このように、チャン・イーモウの演出は、
舞台を空間的に満たすことに腐心していても、
そこからドラマを生み出すことには成功していません
群衆のコーラスはほとんどが直立したままで歌って、
演技をしておらず、
このオペラの特色である合唱によるドラマ高揚が全く生かされていません。

いけない。
また大金払って文句たれてる。

良かったところといえば、
第2幕第1場で、
ここは3人の大臣が、中国の現状や故郷への憧憬を歌う、ややコミカルなシーン。
ちょっと退屈で、事務局長はここは無くてもいい、とさえ思っていますが、
背景に沢山の工夫をして、
視覚的に面白く見せました。
今までの他のプロダクションに比べ秀逸な部分です。

しかし、
声が出せない者はオペラの舞台に登ってはいけないように、
立てず、演技をできない者を舞台に登らせてはいけないと思いますがね。
今回はトゥーランドット役はダブル・キャストではなく、
マークさん一人。
そういうわけでこうなりました。

今回の歌手は全体的にピンと来ませんでした。
どんなひどい演出の時でも
いつもリューの死では泣くのですが、
今回はその場面でさえ泣けません。

いずれにせよ、
事務局長が愛してやまない
ニューヨーク・メトロポリタンの
フランコ・ゼッフィレッリの最高のプロダクションを観たら、
やはりそれ以上のものを求めるのは無理なのか。

ならば、もはや「トゥーランドット」は観ることができなくなります。




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