硫黄島と栗林中将  

昨夜は珍しく12時前に寝たら、5時半に目覚め、もう眠れません。
そこで、また自転車でふらふらと
因果な性分ですね。
今回は北へ向かい、旧江戸川にぶつかると川沿いに下り、
舞浜大橋を渡って葛西へ
このあたりの景観はなかなかのもので、今度写真で紹介しましょう。
今度は旧江戸川沿いに北上
犬の散歩をする人や自転車で子供二人を連れたお父さん、
ウォーキングする人など、日本人は早起きで、平和です。
空模様が怪しかったのであまり遠出はせずに、
浦安橋を渡って浦安市に戻り、
やってるかな、と思って魚市場をのぞくと、盛況。
ぐるりと回って結構な買い物をしてしまいました。
後で買ったものを調べると、
まぐろのなかおち、ホタテの貝柱を煮たもの、アワビの煮もの、
黄金イカ、あさりの佃煮
と、
どう考えても前世は猫ですね。
他に、ふき豆、べったら漬け、カブの漬け物と、
日本人に生まれて良かったなあ」と思うものばかり。
というわけで、
炊きたてご飯に上記のものが日曜の朝食となりました。
幸福。

最近読んだ本で、感銘を受けたものを紹介します。
大宅壮一賞を授賞した、梯久美子「散るぞ悲しき」

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硫黄島でアメリカ軍と闘い、敵を驚嘆させた名将、
栗林忠道中将(戦死後、大将に)の半生の記録。
硫黄島と聞いてぴんとこない人も、
下の有名な写真は見たことがあるだろう。

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上陸作戦開始後4日目に硫黄島で一番番高い摺鉢山に星条旗が立てられた瞬間を撮影したもの。
というのは事実ではなく、
最初の掲揚の時の旗を記念に持ち帰るために、
別の旗に付け替えてした2度目の掲揚の写真。
どういう幸運があると、
こんな劇的な写真か撮れるのかといぶかるほど、構図、人物の配置がぴたりと決まっている。
あまりにの見事さにポーズをつけたのではないかと疑われたそうだが、
現場に居合わせたAP通信のカメラマンがたまたま撮ったもので、
記念切手にもなり、
ワシントンDCのアーリントン国立共同墓地には
世界一背の高いブロンズ像となっている。
こんな写真を1枚でも撮れたら、
カメラマンとして本望だろう。

それはさておき、
硫黄島の闘いはアメリカ軍にとって最も被害を与えた戦闘で、
「5日で落ちる」と言われたものを36日間にわたって持ちこたえた。
荒くれ揃いの海兵隊をして
「史上最悪の戦闘」「地獄の中の地獄」と震え上がらせた。
その指揮を取った栗林中将の名前は
「アメリカ軍を最も苦しめた指揮官」として有名になった。
本書は栗林中将がどんな気持ちで硫黄島に赴任し、
どんな思いで部下たちを動かしたかを探ろうとする。

硫黄島は火山の島で、水は全て地面に吸い込まれて川も泉もない。
水分は雨水を溜めて飲み、
兵士たちは飢えよりも渇きに苦しめられながら
装備に勝る米軍と闘った。
なにしろ硫黄島に落とした爆弾の総量をならすと、
島全体を1メートル鉄で覆うほどになるというからすさまじい。
大本営はじきに硫黄島を見捨て、
2万の兵士は確実な負け戦を闘うことになる。
その心情にあったものは、
自分たちがここで踏みこたえることで、
少しでも米軍の本土上陸を遅らせ、
敵に損害を与えることで、
和平交渉が少しでも有利になるように、
という願いによるものだったという。
戦争末期だから、中年の応召兵も多く、
栗林中将が故郷への手紙を奨励したので、
沢山の家族宛ての手紙が残っている。
妻や子供からの手紙を何度も読み、ポケットにひそませることで
くじけそうになる心をふるいたたせ、
国に残した家族たちのために戦った兵士たちの姿は涙なしには読めない。

(通勤電車の中で読みながら、
落涙しそうになって
あわてて本を閉じることが何度もありました。)

栗林中将も故郷の家族に筆まめに手紙を出しており、
その中には遅く生まれて溺愛した娘・たか子に対する次のような手紙もある。

たこちゃん! 元気ですか? お父さんは元気です。
ゆうべも寝てすぐと明け方との2回、空襲がありましたが、お父さんは面白いゆめを見ました。
それはたこちゃんがおふろから上ってめそめそと泣いていましたから、
お父さんは
「どうして泣くの お風呂があつかったからかね?」
と尋ねていると、お母さんが笑いながら出て来て
「きっと甘いものがほしいからでしょう」
と言うてお乳を出して飲ませ、
二人して寝ころがりましたが、
その時、たこちゃんはほっぺたをふくらしてスパスパおちちを飲んで、
とてもうれしそうにしていました。
そこへまたねえちゃんが出て来て、
「たこちゃんはこんなに大きくなってオッパイ飲むとは、あきれたあきれた」
と言いながら、たこちゃんのほっぺたをつつきました。
それだけですが、お父さんはみんな顔がはっきり見えたので、
会ったも同じようでした。
どうです、面白い夢でしょう。


当時、軍人の手紙というのは、
必要最小限のことしか書かない簡潔なものが多く、
それが軍人の美学、とされた中で、
異色だが、
ここからうかがえるのは、
戦地の兵士たちの「普通の生活」「普通の幸福」への希求だ。
戦争がなぜいけないかというと、
そういう、人間の普通の幸福を求める道を阻害するから
なのだ。

栗林中将はアメリカに5年の留学経験があり、
その視野の広さから、
日本軍、特に大本営のやり方には批判的であったようだ。
「玉砕」という言葉に端的に表れているように、
リアルな現実から目をそむけて、
欺瞞する日本的為政者の姿は昔から変わっていない


最後に総攻撃をかける前に、栗林中将は大本営に宛てて訣別電報を発する。

戦局、最後の関頭に直面せり。敵来攻以来、麾下(きか)将兵の敢闘は真に鬼神を哭(なか)しむるものあり。
特に想像を越えたる物量的優勢を以てする陸海空よりの攻撃に対し、宛然(えんぜん)徒手空拳を以て克(よ)く健闘を続けたるは、小職自ら聊(いささ)か悦びとする所なり。
然れども飽くなき敵の猛攻に相次でたおれ、為に御期待に反し此の要地を敵手に委ぬる外なきに至りしは、小職の誠に恐懼(きょうく)に堪へざる所にして幾重にも御詫申上ぐ。
今や弾丸尽き水涸れ、全員反撃し最後の敢闘を行はんとするに方(あた)り、熟々(つらつら)皇恩を思ひ粉骨砕身も亦(また)悔いず。
特に本島を奪還せざる限り、皇土永遠に安からざるに思ひ至り、縦(たと)ひ魂魄(こんぱく)となるも誓って皇軍の捲土重来(けんどちょうらい)の魁(さきがけ)たらんことを期す。
慈(ここ)に最後の関頭に立ち、重ねて衷情(ちゅうじょう)を披瀝(ひれき)すると共に、只管(ひたすら)皇国の必勝と安泰とを祈念しつつ永(とこし)へに御別れ申し上ぐ。
終りに左記駄作、御笑覧に供す。何卒(なにとぞ)玉斧(ぎょくふ)を乞ふ。

国の為重きつとめを果たし得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき

仇(あだ)討たで野辺には朽ちじ吾は又 七度生まれて矛(ほこ)を執(と)らむぞ

醜草(しこくさ)の島に蔓(はびこ)るその時の 皇国(みくに)の行手一途に思ふ

しかし、硫黄島玉砕を報道する昭和20年3月22日の朝日新聞には、
「徒手空拳」は削除され、「散るぞ悲しき」は「散るぞ口惜し」と掲載されている。
大本営が改竄したのである。




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