大使館のお役所仕事と曽野綾子さんの本  

今年度初の共同制作で、人造竹皮の募集を開始。
今日入稿の新聞に発表しました。

というのは、1月の手提げ袋の募集の時、
価格決定までの数日のずれで新聞に載せなかったら、
支部での伝達漏れが多く、
締め切り後の注文が多かったような気がしたからです。
新聞に載せれば、
読んだ組合員が地区長さんや支部長さんに
問い合わせて来ますからね。
それで、新聞に合わせて実施した次第。

総代会の資料 (議案集) は無事に印刷屋に。
来週出来上がって来ると、
発送作業が始まります。

夕方は珍しく定時で飛び出しました。
ビザの発給を受けるためです。

先日、「南アジアの小国」のビザ発給の件を書きましたが、
今度は「南アジアの大国」。

大使館というところはどこもお役所仕事らしく、
「小国」の方は申請は9時30分から11時30分までで、
時間が過ぎると、
大使館のドアに「本日のビザ申請は終了しました」という
紙が貼られます。
パスポートの受領は午後2時30分から4時まで。
つまり、普通のサラリーマンの場合は、
会社を半日休んで、2回行かなければなりません。
午前中受け付けて、午後発給すれば1日で済むと思うのですが、
そういうサービス精神はないらしい。
本国との照会でもしているのかと思いましたら、
入国時に空港でも取れるようですから、
そんなことでもないようです。
旅行会社に代行してもらうことも出来ますが、
5千円も取られます。

で、先日、午後休みを取って、
東急大井町線の尾山台駅から徒歩で15分もかかる
不便な場所にある「小国」の大使館まで行って、
需給を受け、
大井町、東京経由で、
今度は丸の内線茗荷谷にある「大国」のビザ申請センターへ。
さすが大国で、ここには5つも窓口があって、
銀行にあるような番号発行機で番号をもらい、
やがて掲示板に番号とA〜E窓口の指示が出ますので、
そこに行って受け付けてもらいます。

時間までに着いて、番号をもらっても、
11時30分までに窓口に呼ばれないと、午後回し。
2時間どこかで時間をつぶして、
1時30分にまた来い、となります。
12時から1時30分まではセンターそのものが閉じられ、
1時30分から4時まで、午後の受付。
土曜日は午前中だけ。

午前中に受け付けた分は翌日、
午後受け付けた分は翌々日以降の発給。
やはり2度手間です。
(昔は午前中の人は夕方には受けられたようです)
発給は毎日午後5時30分から6時までの間。
これなら都内のサラリーマンは
申請時の半日休暇で済みますが、
地方の人は無理。
旅行会社に頼むと、やはり5千円くらい取られます。

このセンターは申請者が多いのか、
ベンチのような椅子が50脚ほど用意されています。
受付番号で見ると、毎日100人くらいは来るようで、
発給料1935円で収入は毎日20万円。
25日間で月500万円がビザ発給料収入になります。
年間だとざっと6千万円。
これだとビザなしにはできませんね。

とにかく、お客さんの便利のために
昼休みも交代でやろうとか、
発給は夕方30分間以外でもやろうとか、
そういう発想はないようです。

[書籍紹介]

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13篇の短編集で、どの作品も初めて読むものばかりなので不思議に思ったら、
それもそのはず、
「小説新潮」など新潮社系の文芸誌に載った作品を
8年分もまとめてようやく短編集にしたものです。

曽野綾子さんの本を読むと、
覚めた崇高な精神
高い視点、
卓越した人間観に裏打ちされた
透明感のある文章に触れて
ほっとします。

甘い世界観による、緩んだ文章に比べ、
心地よい緊張感に包まれて
頭の中が整理されたような気がするからです。

表題作の「二月三十日」は、
アフリカの教会を見学した作者が
神父に勧められて、
その土地に最初に宣教に来て死んだ神父の日記を読む話。

イギリスから来た7人の宣教グループは、
病気にかかったり、
土地の人に憎まれて殺されたりして、
わずか80日間で全滅する。
その最後の日記の日付が2月30日。
現実にはありえない日付です。

まさに報われなかった人生の記録。
しかし、
アフリカに宣教に行く神父たちは
「報われることを期待してはならない」
と言われて派遣されたといいます。
報われなくていい、と覚悟した人生
報われたい、報われたいと思っている人にとっては
想像することもできないでしょう。
だが、そういう人生を選ぶ人も現実におり、
その覚悟の前にわれわれはおののく気がします。

「ジョアナ」は、
ブラジルの修道院にある託児所に引き取られた
ジョアナという薄幸の少女の話。
その子は主人公のシスターのスカートを掴んだまま離さない。
物語の最後にシスターが託児所を去る時のことを、こう書いてあります。

ジョアナは三角形の顎を少し傾けてモトイを見たが、
手を差し伸べようともしなければ、
他の子供たちのように別れのキッスもしなかった。
この人も私を棄てて行く、
とジョアナは言っているようだった。

子供ながら過酷な人生を受け入れた人の
透徹した覚悟がやはり感じられます。

中でも胸を打ったのは、
最後の作品「光散る水際で」

母一人息子一人で暮らしていた主人公は、
息子・治人に見離されます。
ある日、家に帰らず消えてしまったのです。
電話がかかって来て、こういう会話をします。
「母さん、僕はもううちには帰らないからね」
「帰らない、って母さんのことをどうするつもりなのよ」
「母さんはいつもそういうふうに利己主義なんだよ。
人はまあ、誰でも一人で生きるものでしょう。
だから、母さんも一人で生きてください」
「あんたは私に育てられたんだよ。その恩を考えないつもりなの?」
「考えてますよ。
だけど、恩を売り物にするのは最低だよ。
僕はもうそれに耐えるのはよすことにしたんだ」

母は半狂乱になって、
息子の行方を探すが、分からない。
しかし、何年もたって、
全くの偶然から
息子がアフリカのマダガスカルで釣り人のガイドをしていることが分かり、
ツアーに参加して、息子を訪ねていきます。
旅の途中、参加者の一人、鴫(しぎ)という男性に事情を話してしまうと、
鴫は、こうアドバイスします。
「息子さんの安否を確かめたら、声をかけずに帰られたらどうですか」
驚く母に、鴫はこう説明します。
「あなたの話を聞いていると、
息子さんは恋人みたいな存在に思える。
あなたは今、
彼にとって恋人になれるか、
それとも敵になるかの瀬戸際にいるのかもしれない」

「どうしたら恋人になって、どうしたら敵になるんでしょうね」
「簡単なことですよ。
息子さんの運命の前に立ちはだかってその行く手を妨げれば、敵になるんだな。
でも相手の運命をじゃませずに見守れば、恋人になりますよ」


曽野さんの小説には、
こんな風に人生の真実を見通している男性が時々登場します。

ホテルのテラスから桟橋でガイドの仕事をしている息子を発見した母は、
桟橋に駆け寄りたい衝動と闘い、
そんな母の脇に、鴫は付き添ってくれます。
息子の乗った船が桟橋を出て行こうとする時から後の描写は、こうです。

「出ましたね。こっちに近づいて来ます」
鴫さんは言いました。
「私、隠れた方がいいでしょうか」
私は救いを求めるように尋ねました。
船は、私たちのいるサンデッキの前の水路を通って入江を抜け、外海に出て行くのです。
「いや、そんなことはしない方がいい。
堂々とここで見送りましょう。
二人で手を振ってやりましょうや。
知らない人にだって船にだって、
旅に出ればわれわれは子供に還って手を振るんだから。
彼があなたのことに気がつくかどうかわからないけど、
運よく気がついたら、あなたは恋人になるんだ。
あの船がここに帰って来た時、
彼は当然あなたを探すだろうけど、
あなたは手紙一枚残さずに出発してしまっているんですからね」
鴫さんは笑っていました。
船はやや狭い水路を、私たちの前に接近しようとしていました。
水面が小さな光の破片になって躍っていました。
船が動いてもまだ出港準備の残りがあって、
治人は岸の方を見向きもしないままに通り過ぎるかと思いましたが、
一瞬彼はこちらを眺め、それから棒立ちになって動きませんでした。
まさかと思ったでしょう。人違いだろうと自分に言い聞かせたでしょう。
私は鴫さんと並んで、
赤の他人のように、無邪気な観光客のように、
見知らぬ船に向かって手を振りました。
そしてその瞬間、
私は泣きながら息子への怨みをきれいに忘れ、
光に包まれて訣別できたように感じたのです。

電車の中でこの部分を読んだ時、
事務局長は泣きそうになりました。






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