子どもたちが汽車の玩具で遊べるように、
線路をつなげていきました。
作っているうちに、
だんだんと凝り始める私。
ここと、あそこをつないで、
ここは立体交差にして、
分岐してこちらがわにも線路を伸ばして・・・
当初の目的は子どもたちが遊ぶコースを作るはずだったのに、
いつの間にか巨大な作品づくりが目的となっています。
作った後、子どもたちがどう遊ぶかではなく、
いかに自分が満足できる線路が作れるか。
そして、長い時間をかけ、ありったけの線路を使って、
部屋いっぱいに広がるコースが出来上がりました。
いくつもの分岐点、
いくつもの立体交差、
そして全ての線路が途切れずつながっている。
実に美しく、立派な作品が出来上がった。
大きなものを作り上げた時の、
男ならではの満足感を感じる私。
・・・ここでふと思ったのですが、こういう感情が、
多くの政治家の胸にもあるのではないでしょうか?
使うことよりも作ることが目的となってしまった、
無駄なダムや道路や新幹線などが、
こんな満足感を得たいという、個人の感情的起因によって、
巨額の税金をつぎ込まれた公共事業で作られているのではないのか?
保育中に一人で夢中になったあと、
一人で深く考えこむ私。
この間、子どもは眼中にありません。

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