ブログで何度か病気と闘っている友人と書かせていただいたかと思います。
三年前の春八瑠奈会に来てくれた頃、胃の調子が悪いと言って検査をしたら胃癌が見つかり夏に手術をし・・・
今年、四月二日の深夜に亡くなりました。
そのYちゃんとは一度お見舞いに行った時に会ったきりでした。
短大時代の9人グループの一人で、いつも笑顔で明るく優しい人でした。
学生時代は毎日お喋りし、何度も旅行に行き、思い出は数えきれません。
9人グループと言っても、既婚未婚、OL、主婦、大阪以外に住む人もいて、私も日頃の忙しさにかまけてなかなか集まりに参加できず、それでもいつでも会えると思ってました。
そんなに病状が悪くなってると知ったのは、今年だけ年賀状がきてなかったのでメールをしたことから。
しんどくて階段も上がれず寝たきりになってると聞き、Tちゃんと2人で会いに行こうと連絡を取ったのですが、一月と言えばインフルエンザも流行ってる時期だし、Yちゃんのお母さんに「暖かくなったら会いに行かせてください。」と、Tちゃんとお花と手紙を送りました。
他の友人たちはもっと頻繁に連絡を取っていたそうで何度もYちゃんに会ってたと知り、どうして知らせてくれなかったのか、悲しくなりました。
でも今分かるのは、それも私が疎遠だったから。
いつもご縁に感謝などと言いながら、大切な友人たちとの関係が希薄になっていたのかもしれません。
四天王寺の延命地蔵に何度も手を合わせました。
結局会いたいと思い続けましたが叶わず。
三日の朝に連絡が入り、その日にお通夜でした。
私が再会できた彼女はふっくらとしていつも笑顔だった姿とは全く別人で、本人と分からないほどでした。
そして分かったことは、会えなくて辛いと言ってた私より、本人は言うまでもなく痩せていく彼女に寄り添い続けた家族やNちゃんたちが一番辛かったこと。
私はYちゃんの明るく元気な顔だけを思い出せることは有り難いのかもしれません。
きちんとお通夜でお別れをさせてもらえて、友人たちと思い出話をたくさん話しました。
仲良しだった従姉妹さんが教えてくださったのですが、「日本舞踊をしている友達」と私の話もしてくれていたそうです。
翌日はお別れ会。
Yちゃんなら「やるべきことをやっておいで。」と言ってくれると思うので、きちんと気持ちを切り替えて自分の用事に向かいました。
YちゃんとNちゃんだけは欠かさず足を運んでくれた八瑠奈会。
歴史にも詳しく道成寺を踊る時にいろんな話をしたことも思い出です。
今回、病気と闘い力尽きて逝ったしまった彼女と重なってしまいお稽古しても涙が出てしまいますが、きっと見ていてくれると思うので恥ずかしくない踊りを踊ろうと思います。

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