2008年1月29日(火)
西彼杵半島の西海町大瀬戸の伯母の見舞いに行くことになり,母を乗せて出発。諫早から長崎自動車道で終点まで。そこから先はまだ工事中なので,下の道を女神大橋まで。長崎自動車道はゆくゆくはこの女神大橋に繋がるらしい。長崎湾口に架かる大鳥居のような女神大橋は新長崎漁港まで繋がる迂回路だ。渋滞の長崎市内を通らなくてもいいので,新長崎漁港まで時間短縮になることだろう。
旧外海町の三色橋は南から青・白・赤とフランスの国旗の色。ド・ロ神父にちなんでいる。そこを抜けると旧大瀬戸町。遅い昼食を魚荘という食堂兼民宿で。
伯母は在宅で,伯父は自宅隣の病院の看護で。伯母は84歳。父の兄弟の中で唯一存命中。戦前満洲に住んでいたことがあり,新京の道路が広かったことや児玉公園で遊んだ記憶などを話してもらった。チチハルは新京に比べて寒かったことなども。
帰りは,母が大島大橋を渡ったことがないというので,大島まで。懐かしき大崎高校までドライブ。以前住んでいた町営団地や町中を廻って,再び大島大橋を渡り,佐世保方面へ。
第二西海橋ができたというので,有料道路へ。『釣りバカ日誌』の佐世保ロケの時に開通し,三国連太郎が開通式に出たらしい。
ハウステンボスを横に見て,川棚町を通り,東彼杵町から長崎自動車道へ乗り,諫早インターから島原まで。200キロ超のドライブだった。
女神大橋・三色橋・大島大橋・第二西海橋と1日で廻ったわけだが,長崎県は橋の宝庫である。これを教会巡りと結びつければ新たな観光資源になるかもしれない。
画像は,新中国。遼寧/1978年8月22日/瀋陽。中国共産党第一次全国代表大会会議の絵葉書。


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