頑張りきれない脱力系駆け出し占い師の
まったりサブカルブログ。
亀さんもいつかはゴール!
のそのそ♪
2011/9/26
今日Oh!と思わず膝を打って喜んだニュースがありました。
なんと、スペインのカタルーニャ州で闘牛が禁止になりました。
スペインと言えば闘牛。闘牛と言えばスペイン。
観光の目玉で長い伝統もあり、闘牛士組合の反対とか
きっと紆余曲折あったことと想像します。
金儲けに動物愛護の精神が勝った!
ただし、カタルーニャはスペインからの独立をめざす
組織もある独自文化のある地方。
うちはスペインとは違うんだもんね!という主張も
入っているのかもという穿った見方もあるそうです。
そんな人間の黒い?思惑なんかどうでもいいです。
この動きがスペイン全土に広がっていきますように
いわずもがなですが、世界は動いていますね。
アッバス議長の国連加盟申請のスピーチ、
会場は大盛り上がりだったとか。
アラファトさんがテロリストと呼ばれた頃から
世界は変わっている。村上春樹さんのスピーチが
記憶に新しいように、「卵」をサポートして
初めて対等な和平の土壌ができるのでは?
政治がらみで複雑なアメリカが拒否権だすぞーと
すごんでるみたいですが、それで加盟が
認められなかったら国際世論が黙ってないのでは
ないでしょうか?
もう、アメリカがKINGの時代も終わりです。
国内ではKINGメーカーと言われた民主党小沢一郎さんの秘書3人に全員有罪の判決がでました。
小沢さんという政治家には功罪入り混じる印象があり、
絶対的ワルともいいきれないのだけれど・・・
日本の古い政治を牛耳ってきた人達には、ここらで
すっきり辞めていただいて刷新しましょうよ。
なんでも代替わりの時期って大事。
そこで古株がふんばって席を譲らないと
組織も腐ってしまいます。
腐った組織を正常に戻そうと頑張っていた
経産省の古賀茂明さんがついに退職に追い込まれました。
古賀さんと一緒に某番組に出ていたみんなの党の
渡邊代表が「経産省だって、課長補佐以下の若手は
改革の気に燃えている。課長になった途端、取り込まれる」
と言ってました。
取り込まれていない人たちが前面にでてこれるよう
一般ピープルの私達も政治に無関心ではいられませんね。
原発の二の舞をおこさないよう、メディアの偏向報道にも
踊らされないよう、ちゃんとウォッチして物言わねば。
日本でも世界でも、地面の振動である地震だけでなく
人々の意識も激しく振動し始めていて、これからの
10年とんでもなくいろんなことがおこりそうな気がします。
変化を拒む人には厳しく痛い時代だろうな
「ねこのきもち」の付録、キューブハウスに
入ってみた”たらちゃん”


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2011/9/17
どんな人も逃れられないのが親子関係。
一つ屋根の下に暮らしている面子と
いがみあってるのは精神衛生上非常に悪い。
一緒に住んでる限り仲良しに越したことはない。
しかし、どんな関係も時とともに変化する。
親子関係も同じ。
だいたい中学生くらいかな、親も欠点だらけの
人間であることに気付き反抗し始めるのは。
いわゆる反抗期。
でも実際には金銭的に親掛かりでいるうちは
何を言おうが「いやなら出て行け」となる。
精神的へその緒をパツンと切るには、
親の経済的庇護から抜け出す。
家を出て自活すること。
そこではじめて大口を叩けるようになる。
ところが、昨今の経済事情。
東京は家賃は高いし給料は下がる一方。
社会人になっても結婚しても親の家に
住み続ける人達が少なくない。
親は孤独にならずにすむし、老後を看て
もらえそうだと期待して同居を歓迎。
子供世代は余計な出費をさけ、いざというとき
たかることができるので同居を選択。
これはWIN-WINなのか?
一見、得な選択をしたようで
これでは、生涯、親離れ子離れしない。
したくないのかも知れないが。
親というのは金のあるなしに関わらず
「出してあげる」ことで、いい大人になった
息子や娘をいつまでも「子供」扱いして、
「まだまだ私らがいないと」などと
満足されて・・・いるとしたら、やってらんねえ!
と思う私はパラサイト反対派。
結構こういう親の囲い込みにはまってる人たち
&その予備軍が見受けられる。
ママと二人三脚でお受験を勝ち抜いた息子や娘たちも、
どっかで気が付かないと一生「おかあさんと一緒」
マザコン増殖。
私は若い頃から武士は喰わねど・・タイプでした。
親のスネが細すぎたせいもあるけど、当てにする気は
さらさらなかったし。
30歳で家を出たのは遅すぎたけど、一人暮らしの
快適さは自分勝手な私には捨てがたいほどの快適さで
そのせいもあって恐ろしく晩婚になったかも。
いいたいことを言い、やりたいようにやるには
人の金を当てにしてはいけない。
子供がいたら、人生訓としてそれだけを
伝えたい。
うーん、これ専業主婦にも言えることでした。
PS.しかし、同居をパラサイトと言い換えると・・・
「寄生虫」ですがな。

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2011/9/1
ツリー・オブ・ライフと聞くと、カバラの生命の樹がぱっと
頭に浮かびますが、今日は映画の方のお話。
水曜、久しぶりのレディースデイを利用して
テレンス・マリック監督の「ツリー・オブ・ライフ」を
観てきました@丸の内ルーブル
思っていた通り、実に実に思索的、観念的映画で
ブラピとショーン・ペンが出ていても、娯楽のかけらもなし。
最初の20分くらいは、”ネイチャー”とか”命の起源”
みたいなタイトルのイメージビデオみたい。
ここから物語はどう展開するのだろう?
と思いながら映画は始まりました。
2時間半の長丁場、私は飽きることなく鑑賞したけれど、
うちの旦那なら10分で爆睡まちがいなし。
興味ある方は早く行かないと上映終了も近いかも。
ラストはわかりやすくしてね〜というアホな私の願いは
むなしくスルーされ、ショーン・ペンの表情のアップで終了。
そこに答えがあるということです。
この映画はアメリカ映画というよりヨーロッパ映画的。
見る側に問いが投げかけられ、どう考えるかを
観客に委ねるタイプの映画。くどい説明はない。
主人公たちはナレーションでさかんに神に問い掛ける。
人生に災いが訪れた時、あなたは私達のそばにいてくれるのか?
神の恩寵は常に私達にそそがれるものではないのか?
どんなに信仰のある人にも災いは訪れる。
何故?救いはないのか?
占いをやっていて特に感じるようになったのは、
人は人生に意味を見出さないと生きていくのが辛いってこと。
宗教も占いもスピ系も「起こることには(災いも含めて)意味がある」
「生まれたことには意味がある」って言うけど、
それは人間が少しでも楽に生きて死を受け入れやすいようにする
ための方便だんべ、と最近は考えるようになりつつある。
そういう考えを採ると、意味探しとか自分探しとか天命探しは
時間の無駄なのかもしれないと。ずっとそれを探求してきたので、
これは今までの自分を否定することになる考え方。
よって現時点では100%は飲みこめないでいます。
でもこの映画が語ることは、じわっと心に浸透してくる。
人生に意味などないのだ。生まれて生きて死ぬ。
キリスト教が説くように、善人のために天国が存在する
わけでもなく、善人も「神」の手によって無情に間引かれて
しまうことも起こる。
膨大な宇宙の営みの中で、人智を越えた時の流れの中で。
「神」は人が期待するような恩寵深き存在ではなく
セリフの中にあるように「神は与え、かつ奪う」
「それが自然の歌なのさぁ〜〜〜」と喜納昌吉の歌を
思い出しました。「泣きなさ〜い、笑いなさ〜い」
泣き笑いして、もがいたりもだえたり、死ぬ日が来るまで
意味なくそれを続けていくだけの存在。
・・・って言い切ってしまうと虚無に落ちてしまいそう
になるので、やっぱり「生まれたことには意味がある」
と信じていたい気持ちもあります。あ、堂々巡りになった
主人公の母親のセリフ、「愛がなければ時はあっという間に
むなしく過ぎてしまう」←正確ではありません
無情の世界で生きていく力になるのは、言葉にすると陳腐に
聞こえるけれど愛なのだ、と。
世俗と神の恩寵。弱者と強者。支配するものとされるもの。
対立するいろいろなテーマを含んだ作品でした。
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