2010/10/10
もし、私が星飛馬だったら・・・
今、空を見上げて5cm幅の涙を流しながら
「俺は今、猛烈に感動しているっ!」とか
暑苦しくつぶやいているだろう。
と変な前振りをしましたが・・・
今日、縁あって生前の清志郎を知る方とお会いしてきました。
その方、Tさん(仮名)とおやたが知り合った経緯は
びよーんと割愛しまして・・・・
Tさんが清志郎と初めて会ったのは2002年ごろ。
多摩川の土手で自転車をパンクさせ困っていた清志郎。
通りかかったIさんが空気入れを貸してあげて、
国立まで帰るという清志郎に「じゃこの空気入れ、やるよ」
「いえ、それは・・・」
「いーから持ってきな」
「じゃあ・・・すいません・・」
っていうような会話をしたのがなれ初め。
その後も何度か多摩川の土手で会って
川べりでなんとなくぽつりぽつりと話して。
実際には4歳くらいしか違わないTさんを
清志郎は”おじさん”と呼んでた。
当時、Tさんはロックスターの「忌野清志郎」を
全くご存知なかった。
二人でプジョーの自転車カタログを見ていた時、
清志郎が「あ、これいいなー!こういうの欲しいな」と
言ったのでTさんはなんとその自転車をプレゼントしたそうな。
オレンジ色が好きだと言った清志郎にオレンジの自転車を。
後日、お返しにイタリア製の自転車がTさんに送られたという。
(あのオレンジ号かな〜)
初めてあった時、
Tさん「いまわのきよしろー?なんだそれ?
人を小馬鹿にしたような名前つけて。で、何やってるの?」
清志郎「歌うたったり絵描いたりしてます」
Tさん「いい年してそんなことやってるのか・・」
清志郎「あ・・でも結構売れてるンですけど・・・」
みたいな会話を交わしたそうだ。
自転車のパンクで空気入れを貸してあげた縁が続いたのは
Tさんが清志郎の心の扉を開けるカギをもってたから。
それはオーティス・レディング。
清志郎を知らないTさんもオーティスは聴いてた。
それまで寡黙に座ってた清志郎がオーティスの話が
出た途端、人が変わったようにとめどなく語り続けたという。
「オーティスみたいに歌いたくって!」
メンフィスへ行く前、Tさんに会いにきた清志郎は、
ほんとに嬉しそうだったって。でも帰国後おみやげを持って
やってきた清志郎がげっそりやつれてるのを見て
元々存在感薄い奴と思っていたのが、消えそうにみえたらしい。
ステージの上の清志郎しか知らないと、素の清志郎が
寡黙で存在感ないっていうのが想像つかないかも知れない。
私だって本やインタビュー集で知ってたにすぎない。
Tさんは職場の部下が録画してくれたCSの番組で
清志郎のライブを見た。あんなおとなしい奴が
声を振り絞って満員の観衆の前で歌ってる・・・
同じ人間とは思えない。陰と陽。動と静。
ひとしきりお話を伺ったあと、Tさんが清志郎からもらった
G−SHOCKとレイバンの黄色いサングラス、
アバクロのTシャツを私にくれた。
本当は清志郎の描いたTさんと猫の絵があったんだけど
残念ながらこれはとある理由で紛失・・・
うーん、それが一番欲しかった・・・って贅沢なこと思った。
Tさんとおやたが知りあうには何人かの人の輪がある。
今日、お会いして清志郎がTさんに心を開いた理由が
分かった気がする。オーティスだけじゃない「何か」を
Tさんが持っていたから。
もしもオイラが偉くなったら
偉くない奴とは付き合いたくない
たとえそいつが古い友達でも
偉くない奴とは付き合いたくない
オイラが昔世話になった奴でも
いくらいい奴でもつきあいたくない
だけどそいつがアレを持ってたら
俺は差別しない。
Oh!つきあいたい。 RCサクセション「つ・き・あ・い・た・い」より
Tさんはアレを持っていたんだと思う。
誰とでも簡単に友達になるタイプじゃない
清志郎が何故Tさんを慕ったか。
なんとなくわかった気がする。
今日のこと、私がしてきたパンくずみたいな小規模の
善行のご褒美に神様がくれたような気がして。
帰り道、感謝、感謝とつぶやいていました。
「夢助」は清志郎の夢が現実になった頂点だったか。
MGsとの共演が今生の最後の宿題だったような。
でも、もっともっと聞かせて欲しかったよ・・


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