2020/6/28

四つ葉のクローバ  

 家から下の畑に行く途中の庭の一画に、2メートル四方くらいの場所が、何と四つ葉のクローバの密集地になっています。

 以前からですが、ここだけ四つ葉の遺伝子?でもあるのかなと思える位です。

 誰でも10分ほどで少なくとも3、4本の四つ葉のクローバを探し当てることができています。

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 それこそ、何か悩んでいる人がいたら、ここに連れてきて、四つ葉のクローバを探させてあげると救われるかな?と思ってしまうくらいです。

 
 ただ、畑作業の日、僕がそのクローバの園に足を引きとめられてしまい、その先にある畑になかなか進んでいかないので、女房に畑から呼びかけられてしまいます。

 そう、運 頼みだけでなく、自分達で作物をちゃんと育てて、その幸運を得なくちゃね・・・・

 ・・・・くちゃね、くっちゃね、食っちゃ寝 のこのステイホーム、てか。
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2020/6/26

オンブラ・マイ・フ  

 前回に引き続き、もう一つ僕の貧しい音楽話ね。

 “P.P.M”のカセットと一緒に棚の奥から出てきたのが“オンブラ・マイ・フ”というキャスリーン・バトルの素敵な曲でした。もとはヘンデルのラールゴと言われている曲で、邦題は“なつかしい木陰”です。当時はカストラートが歌っていたのだとか。

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 この曲もカセットで、この信州に移って来た頃、しょっちゅう聴いていましたね。

 そして初夏の頃には、「オンブラ」はイタリア語で「影(陰)」という意味ですので、その木陰の心地良さを歌ったものだと実感しました。
 今日の梅雨の晴れ間のまわりの木立の風景を見ても、まさにこのオンブラの美しさを感じることができますね。

 僕はこの歳ですので、死のことも時々以上に考えますが、自分のお別れの時には、この“オンブラ・マイ・フ”の曲を流して欲しいなと女房には話してあります。前のP.P.Mも。(そしてビージーズと何故かアリスの曲も)
 
 でもこれだけはどちらが先に逝くかはわかりませんので、ただ思い願うだけの話ですね。もちろん、女房からの希望の曲も聞いてありますが。(それが例え実現できなかったとしても、何かその時の人生最後の楽しみ?と思えるではありませんか・・・ナンテ???)

 ・・・と少し湿っぽくなりましたので、皆さんには下の緑のボタンを押してみてくださいな。
 そのキャスリン・バトルの高音の美しい声で“オンブラ・マイ・フ”が流れます・・・

 と、言いたいのですが、これは冗談! 僕の能力では無理です。どうぞパソコンなどで聴いてみてくださいな・・・・

 ・・・・さいな、さいな、さいなら、さいなら は淀川長治でしたね。
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2020/6/24

P.P.M  

 この自粛、引きこもり中は絵のことだけでなく、音楽も昔に引き戻されますね。

 仕事場でガサゴソしていると、これまた古いカセットテープを見つけ、どんな曲だったんだろうと、半分壊れかけてまだ捨てずにあったカセットデッキにそのテープを入れて聴いてみました。

 高校生の頃からよく聞こえてきた、あまりに懐かしい“P.P.M”、そう“ピーター、ポール&マリー”。

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 何曲か立て続けに聴き、全て覚えてる曲でした。もちろん英語の歌ですので、歌うのは僕には無理。カセットに入ってる“レモントリー”という曲を長いこと”ラーメントリー”と思い込んでいましたし・・。

 中でもその頃僕は“悲惨な戦争(Cruel war)”という曲に心打たれ、何度も何度も聴いていましたね。
 
 当時は、今の若い人は知らないかもしれませんが、まさにベトナム戦争の真っ最中。それに日本もまきこまれていた時代でした。
 
 大学生になって、東京にいる頃、甲州街道を走ってる米軍の車に血糊がベッタリと着いていたことを思い出し、今でもゾッとします。

 また、半世紀以上も昔、自分が田舎の高校生の頃でしたが、何年生かの時に学園祭で、クラスのだしものとして、このP.P.M の曲で“500マイルも離れて”という曲を皆で歌ったことを思い出しました。

 かたや僕が入ってた部活の美術班(長野県の公立高校では部と言わず、伝統的に班と言う)では、その学園祭にワイルドワンズの“思い出の渚”を歌い、それにも乗り、当時の心情の二つが浮かび上がってくる思いがしますね。(もしかして学年がずれてるかも?)

 そしてクラスのかクラブのかの結果で、賞品のカリントウをもらったことも懐かしい思い出です。・・・何故かカリントウなのですね。

 このP.P.M の頃はアメリカはベトナムで戦争をやってましたが、こんなにも美しいメロディやハーモニーの曲が生まれてくるなんて、まだアメリカが今ほど腐ってはいなかった時代なんだろうね・・。

 昨日は6月23日、かつては6.23と呼ばれた日、沖縄慰霊の日ですね。奇しくもそんな頃に、またこんな曲に巡り会うとは・・・。その大学生の頃は沖縄からパスポートで来ていた学生もいましたね。


 皆さんの思い出の曲て、何ですか・・・・

 ・・・・すか、すか、スカ、スカイプは確かに便利ですね。こんなに人と直接会えない時には特に。
 
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2020/6/21

発電所  

 この時期、こもって仕事場の片付けをしていて、たまたまある画家の展覧会の図録をみつけました。

 皆さんもその名前を聞いたことがあるかもしれませんが、昭和に活躍した超有名な画家“岡鹿之助”です。こんな点描の絵が彼の特徴でしたね。

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 2008年に彼の大きな個展が、ブリジストン美術館(現在は名称が変わっていますね)で行われていて、見に行き、求めた図録でした。

 その図録をめくっていくうちに、何か懐かしい気持ちがよみがえってきました。それは、その中に僕が美術をやろうと思った原点のような彼の作品があったのです。

 それは当時とても美しく輝いているように思ったことを覚えています。そのブリジストンでの展覧会図録の表紙にもなっていた絵です。彼の代表作なのでしょうね。

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 この絵をもう50年以上も昔の、僕が高校1年生の時に何かで見て、自分の出身の和田村(現在は長和町となっている)に全くそっくりな風景があるよなと、岡さんはそれを描いたんだと思いました。

 その感動と刺激で自分も発電所を描いてみようと思いたち、高校に入って初めて求めた油絵の具とキャンバスを持って、村内にあるもう一つの発電所(当時、村内に4つの水路式発電所がありました・・・どんなに山奥かがわかりますよね)を描きに行ったことを思い出したのです。

 その絵はどんな風に描いたのか、今ではその絵もどこにいったのかわからず、描いたことさえ実はすっかり忘れていました。50年以上も前のことですものね。

 さて、今回発見?したその図録に戻ると、一つビックリしたことがあります。その作品解説を改めて見ると、僕が自分の村の発電所だと思っていたその絵は、実は同じ県内の違う町(山ノ内町)のものだったのです。・・・軽いショックでした。

 さらに気がついたのは別のページに、まさに思い込んでた発電所(長和町、青原)も描かれてあったのです。(この絵は初めて見た気分です)・・・何だ、雪景色だとはいえ、こんなにも暗かったのかーと、ちょっとガッカリもしました。

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 いづれにせよ、僕は大人になってその出身の村(現在は町)を出てしまったので、現在もそのまぼろし?の発電所が(4つの発電所)が今もあるのだろうかと、ふと思いました。

 この自粛のこもりの日々は何故か自分を過去に戻してもくれますよね・・・・

 ・・・・よね、よね、米、米倉涼子のドクターX はもうやらないのかなぁ・・
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2020/6/18

こんな生け垣?が・・・  

 久しぶりの朝の散歩の折、写真の生け垣?を見つけました。

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 ここら辺でもこんなにたくさんのニッコウキスゲに出会えるとは・・・。

 そこのお宅が育ててきたものだと思いますが、これまで霧ヶ峰高原などでは見かけてきたニッコウキスゲです。コロナに関係なく見事に咲いています。

 素敵な黄色です・・・・

 ・・・・です、です、デス、デスカバー・ニュー・ジャパンてか・・?! 
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