2004/6/21
6/21朝、目を覚ますと、こんなニュースが目に飛び込んで来た。
「自動車レース、フォーミュラワン(F1)は20日、当地で今季第9戦の米国GP決勝を行い、予選3番手からスタートした佐藤琢磨(BARホンダ)が自身最高の3位でフィニッシュ。粘りの走りで1990年日本GPの鈴木亜久里以来、14年ぶりとなる日本人表彰台を獲得した。」
しまった!TV見逃しちゃったよ。
だって、アメリカGP夜遅いんだもん。(って言うか、早朝?)
ヨーロッパのレースだったらフジテレビ721で生放送チェックしてたのになあ。
14年ぶりの鈴木亜久里以来の日本人表彰台だって!
何・・・・・?。ちょっと待てよ・・・・・。
オレ、その14年前のレース、鈴鹿のメインスタンドで見てたじゃないか!
あれから14年かい?オレも歳をとる訳だぜ。
当時は、空前のF1ブーム。レースの翌日の月曜の朝には、フツーに職場でレース談議に花が咲くぐらい、世間は盛り上がっていたのだ!
オレは、1990年、1991年と2年続けて鈴鹿に行っている。
(ちなみにGUCCIさんも行ったらしい。)
真夜中の東名を疾走し、ようやく着いた鈴鹿サーキットで暗いうちからざわざわと人がうごめくさまは、異様な光景だった。
一緒に行ったY君は、スプーンカーブで場所取りのため一夜を過ごした。
そんなこんなで、もちろんオレもF1にアツくなっていた。
当時、一番オレをアツくさせた男は、音速の貴公子・セナでもプロフェッサー・プロストでも、ましてや中嶋悟や亜久里でもなく、偉大なる大英帝国の息子 「ナイジェル・マンセル」であった。そのスーパーマリオにも似た風貌と、破天荒なドライヴィングキャラは、オレの心を捉えて離さなかった。
オレたちの間で、親愛をこめて「マンちゃん」と呼ばれていたこの男のエピソードは枚挙にいとまがない。
有名なところでは、黒旗を無視し走り続け、しまいには、セナに体当たりした89年のポルトガルGPや、勝利のチェッカーフラッグ目の前で観客に手を振り、誤ってスイッチを切ってしまいエンストした91年のカナダGPなどがある。
まさに記憶に残るF1パイロット、マンちゃんの面目躍如であるが、はっきり言ってムチャクチャである。
最近のF1では、オレのハートをガッチリ鷲掴みにするような、こんなキャラを見ないのだ。
まあ、F1サーカス自体がそうしたキャラを必要としなくなってるのだろう。
しかし、そんな時にこそオレは、マンちゃんみたいなムチャクチャな男の出現を待っているのだ。
F1サイボーグよりも、髭おやじを!
てな事を、朝飯を食いながら、めざましTVを見て思ったワケです。


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