2004/6/26
6月26日、横浜に行ってきた。
もちろん最大の目的は、横浜国際競技場で行われるアントラーズの試合観戦の為の遠征である。
横浜あたりで「遠征」と言うかは別にして、アウェイの遠征には、その土地の観光や、おいしいお食事など、試合とはまた別の楽しみがある。
そこで、試合前に新横浜のラーメン博物館に行ってみた。
全国各地のうまい有名店がしのぎを削る、あのラーメン博物館である。
去年の遠征の時には、入り口まで来たが、あまりの待ち時間で中に入らなかったのだ。
しかし今年は違う。時間もたっぷりある。意気揚々と入場料¥300也を払い入場した。
今時ラーメン博物館かい!と、ツッコミも入るだろうが、驚くなかれオレは初めて入ったのだ。
館内は、まるでテーマパークで昭和の雰囲気そのものだ。
人気店は、どこも待ち時間が1時間以上。
いくら時間があるとはいえ、キックオフ時間を考えるとヤバイので、待ち時間が30分以内の店にターゲットを絞り、ここにするべぇと、行列の少ない店の列に並んだ。
看板には「らーはく厨房」。
オレは「横濱ちゃんぽん」を食った。
ピーナッツ味だった・・・・・。
子供たちは「逢初麺」を食った。
蕎麦だった・・・・・。
後日、聞いた話によると、ここはいつもガラガラで博物館のオリジナル店らしいって、
言うじゃない・・・・。
え〜っ地方の有名店じゃないの〜?
あっ!名前に「らーはく」って、ついてますからっ!
残念!
館内に入っただけで舞い上がっちゃって・・・・・。
らーはく斬り!

その後、横国に到着。暑い暑い!ビールが止まらん。
最前列の番長夫妻と合流し「F・マリノスに目の前で優勝決められてたまるか!」と、声の限りのサポート。それから2時間後、しっかり目の前で優勝決められました・・・・・。
試合後、ホームの横浜のみなさん、3ステージ連続優勝ともなると、流石に馴れちゃってるのか、案外大人しいのね。オレだったら気が狂わんばかりに喜び爆発させちゃうけどね。
そんな優勝セレモニーを尻目に、残念会も兼ねてもうひとつの楽しみ、「横浜中華街」へGO!
さぞかし夜の街は、マリノス優勝フィーバーでお祭り騒ぎかと思いきやマリノスの「マ」の字も無し。
所詮、横浜ではJリーグってそんなものなのね。
いや日本全国そんなものかもね。
てな事を、江戸精で買った豚まんを食いながら思ったワケです。

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2004/6/23
奥田民生(以下OT)のライブに行ってきた。
前回のEツアーの武道館ファイナル以来だから約1年半ぶりか。
場所は、市原市市民会館。家からは、ちと遠かった。
ライブの方だが、相変わらずである。
バックの手堅いサポートとOTのうたとギター。
それだけ・・・・・。
いや、それだけあれば、過剰な演出や舞台装置などは、なんも要らんのじゃ。
今回のツアーは、新曲が多い。それがまた、どれもこれもE。
早くアルバムが聴きたいのだ。
しかし、今回ライブに行って改めて思ったのだが、OTはうたがうまいね。
「いまさら何」って感じだが、声に存在感があって、説得力があって、ホントに圧倒的にうまいんだよ。
強いて言えば「上手い」よりも「旨い」ってこと。
それと、OTを聴いていつも思うんだが、塩梅(あんばい)が絶妙なのよ。塩梅が程良いのよ。グーなのよ。
ビートルズやレッド・ツェッペリン、フーなんかのブリティッシュさと、二ール・ヤングちっくなアメリカンさが、E塩梅で同居しているのよ。
さらに、ストーンズやポリスやヴェンチャーズまで顔を出して、オレみたいなROCKおやじには、たまらん訳さ。
フツーそこまでやるとパクリだ!サルまねだ!となるのだが、OTの場合は、そうはならんのよ。
逆に微笑ましくもあったりするのよね。
それは、OTのルーツの捉え方にオリジネーター達へのリスペクトの念があるからだと思うよ。
決して、お手軽さや、いい加減な姿勢は、感じないもの。
そこで、E塩梅でブレンドされて、それが、OTの個性とあいまって、誰にも出来ないオリジナルとなっちゃうんだよね。
いわゆるOTが持つ世間一般のダラダラしたヌルいイメージとは、正反対の凛とした強い意志のようなものを感じたライブでした。


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2004/6/21
6/21朝、目を覚ますと、こんなニュースが目に飛び込んで来た。
「自動車レース、フォーミュラワン(F1)は20日、当地で今季第9戦の米国GP決勝を行い、予選3番手からスタートした佐藤琢磨(BARホンダ)が自身最高の3位でフィニッシュ。粘りの走りで1990年日本GPの鈴木亜久里以来、14年ぶりとなる日本人表彰台を獲得した。」
しまった!TV見逃しちゃったよ。
だって、アメリカGP夜遅いんだもん。(って言うか、早朝?)
ヨーロッパのレースだったらフジテレビ721で生放送チェックしてたのになあ。
14年ぶりの鈴木亜久里以来の日本人表彰台だって!
何・・・・・?。ちょっと待てよ・・・・・。
オレ、その14年前のレース、鈴鹿のメインスタンドで見てたじゃないか!
あれから14年かい?オレも歳をとる訳だぜ。
当時は、空前のF1ブーム。レースの翌日の月曜の朝には、フツーに職場でレース談議に花が咲くぐらい、世間は盛り上がっていたのだ!
オレは、1990年、1991年と2年続けて鈴鹿に行っている。
(ちなみにGUCCIさんも行ったらしい。)
真夜中の東名を疾走し、ようやく着いた鈴鹿サーキットで暗いうちからざわざわと人がうごめくさまは、異様な光景だった。
一緒に行ったY君は、スプーンカーブで場所取りのため一夜を過ごした。
そんなこんなで、もちろんオレもF1にアツくなっていた。
当時、一番オレをアツくさせた男は、音速の貴公子・セナでもプロフェッサー・プロストでも、ましてや中嶋悟や亜久里でもなく、偉大なる大英帝国の息子 「ナイジェル・マンセル」であった。そのスーパーマリオにも似た風貌と、破天荒なドライヴィングキャラは、オレの心を捉えて離さなかった。
オレたちの間で、親愛をこめて「マンちゃん」と呼ばれていたこの男のエピソードは枚挙にいとまがない。
有名なところでは、黒旗を無視し走り続け、しまいには、セナに体当たりした89年のポルトガルGPや、勝利のチェッカーフラッグ目の前で観客に手を振り、誤ってスイッチを切ってしまいエンストした91年のカナダGPなどがある。
まさに記憶に残るF1パイロット、マンちゃんの面目躍如であるが、はっきり言ってムチャクチャである。
最近のF1では、オレのハートをガッチリ鷲掴みにするような、こんなキャラを見ないのだ。
まあ、F1サーカス自体がそうしたキャラを必要としなくなってるのだろう。
しかし、そんな時にこそオレは、マンちゃんみたいなムチャクチャな男の出現を待っているのだ。
F1サイボーグよりも、髭おやじを!
てな事を、朝飯を食いながら、めざましTVを見て思ったワケです。


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