筆まめな「転勤族の妻」が、書きたい時に勝手に書いてます^^;。
尚、掲載写真はすべて無断転載禁止にさせていただきます。
HPもあります。夫と2人で行った海外旅行記が主です。『暇つぶし』程度にはなると思います(^^)v
2005/11/29
銀座4丁目にあると、なんか高級店ぽく見えたりして。
中に入ると、あれぇ〜違う!
1階には、カシミヤセーターばかり。
普通は、入ってすぐの目立つ所に安いフリースとか置いてるのに。
何と、6階建てで、上のほうに1着1000円以下のシャツとかが・・・。
やはり、ここは銀座。
安いから・・・じゃダメなんでしょうね。
・・・で、1着1000円のフリースわざわざ銀座で買っちゃった^^;。

それにしても今日の東京は、コート着てたら暑くて。
北からは、雪の便りも聞こえるのにね。
でも、そこの外人さん、半袖はオーバーだと思うけどなぁ。
銀座4丁目の交差点にあるWAKO。
いつもディスプレイが素敵。
ちょっと撮影。上手く写らないなぁ・・・。
・・・で、写してる自分発見^^;。


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2005/11/29
世の中いろんな仕事があり、職業がありますよね。
でも、一生のうち、そんなにいろんな仕事って経験できないですよね。
でも昔なら、就職したら定年退職まで同じ職場が当たり前だった日本。最近ちょっと変わって来てますよね。
不況、倒産等で転職を余儀なくされる人もいれば、自分からあちこちキャリアを積みながら転職する人。人間関係や、仕事がイヤになって転職する人。いろいろですよね。
私は、転勤族の妻の道を選んだこともあって、最長で同職場5年半。
つまりキャリアなし〜。そこで選んだのは、扶養控除内勤務。
これは、年間103万円以下の収入だといろいろ税金の面で得があるっていう感じのものです。やりがいのある職場に就職したって、夫の辞令ひとつで辞めなくっちゃいけないしね。
・・・と言うのが、表向きの理由で、単にもう毎日働けない〜いろんな事やりたいもん〜です^^;。
さて、昨年夏から勤務してる某コールセンター。
いやいやながらも今年前半頑張って働いた結果、先月で今年度分働いちゃいました〜。・・・と言うことで、ここの所ボランティア活動もいっぱい出来たのですが、貧乏性なのか、お金を使うだけじゃイヤなのか、こそこそ働いてます。 コソコソする必要もないのですよ。悪いことしてません(笑。
年収には関係ない日雇い契約の派遣登録をして働いてます。
仕事は選ばなければ一杯あります。こういう時は、都会のよさも感じます。
いろんな仕事あるんですよ。条件はさまざま。ただ私が選ぶのは基本的には大体9時から17−18時まで。9時からと言っても、結構遠い場所だったりするから7時過ぎには家を出たり・・・。一日中立ち仕事。
1日中同じ作業の場合もあれば、1日のうちにいろんな事をする場合もあります。 誰でも出来る倉庫内軽作業が多いです。
やった事のある中からちょっと紹介しましょう!
その1.某有名ケーキメーカーのプチケーキの箱詰め。
完全武装(マスク・帽子・衣服支給・靴履き替え等)。
ベルトコンベヤーに「ショートケーキ」「モンブラン」とかが、流れてきてそれを指定の場所に入れていきます。
これは、かなり寒い!! 冷蔵庫の中にいるのと同じですからね〜。
でも、作業終了後、「食べていいよ〜」って(^^)v
その2.某飛行機会社のカレンダー発送作業。
ひたすら、カレンダーを巻きビニール袋にいれ箱摘め。結構筋肉痛になるぐらい腕が〜。
その3.某乳酸飲料会社の来年の手帳の「のし」かけ。
箱入り手帳の上にひたすら「のし」をかけます。
しかし、結構細かいですよ。祝儀・不祝儀袋それぞれのどちらが上になるかぐらいは知ってますが、
祝儀の場合の箱の上下。不祝儀のギフトと違うんですね〜。あと、箱の重なり目も気をつけて
真ん中よりちょっとしたにたるまないように、きっちり裏にセロテープで止める。1日何千個も・・・。
その4.某100円ショップの仕分け作業。
これは、初めて知ったとき驚きました〜。
皆さん、よくご存知の100円ショップ「ダ○ソ―」。
あそこで、売られてる100枚100円のコピー用紙とか、10枚入り100円のポストカード用印紙など。
あれ、人間が仕分けしてるんですよ。500枚の1束を100枚づつに分けてビニールに入れる!
えっ〜もんでしょ!! 絶対機械がしてると思いましたよ。人件費かかってますね〜。
その5. 絵本のカバー掛け
そのまま。絵本にカバーをかけるだけ。ただ、速さがかなり要求されます。
100冊入りダンボールひと箱渡されて、同時にスタートすれば誰が早く仕上がるか一目瞭然。 あせりますよ〜。
その6. 某化粧品会社のサンプルセット作り。
みなさん、無料のサンプルとかもらったりしませんか。
いろんな小さいサンプルを箱につめたり、ビニール袋に入れたり。
・・・で、昨日は、初体験のコンビニ弁当作り!! 「1日中、小梅3個を同じ場所に入れてたら発狂しそうになった〜」
なんて言う声も以前聞いていたので、ちょっと興味もあって^^;。
結果的には・・・。
1時から6時までの5時間は、一度も休憩なし。
目しか出ないものすごい完全武装&消毒なのでトイレにも行けない・・・。
最初の2時間は、タクアン2枚をお弁当の端に入れたり、のりをちらしたり・・・。
余ったら、全部捨てちゃうんですよ〜。もったいない!!
そのあと、ベルトコンベヤーでひたすら「新発売 日本海の味」なんて言うタイトルの付いた「ます寿司」作り〜。
海なんて程遠い所でですよっ^^;。
「ます」をご飯の上に6〜8枚広げて〜だけど、大きさまちまち!
みなさん〜。コンビニでお弁当買う時は、よ〜く見て買いましょう。同じなのは、ご飯のグラム数だけです。
発狂しそうにはならなかったけど、独特の匂いが・・・。消毒薬とお酢が混じったような・・・。
一緒に働いてた人、見るからに外国人の人も多いけど、なんとみなさんポルトガル語。
殆ど日系人でした。年配の方は日本語もわかりますが、会話、怒鳴り声、全てわからず・・・。
私たち派遣は、定時で退社。他の方は、もちろん必要個数が終わるまで。
ちょっと厳しい現状を見たような感じでした。
いろいろありますが、たまにだから頑張れる〜って言う仕事が殆ど。
これを毎日続けてる従業員さん、パートさんに敬意を払っちゃいます・・・。
倉庫内は、夏は猛暑、冬は寒さとの戦いだし。
それと、あちこち行ってると、そこの従業員同士、パートさんの雰囲気さまざまです。
すごく陰険なムードでこっちにも接してきて、ど〜してそんな態度でしゃべれるんだろう・・・って不思議に思ったり。
絶対、こんな人がいる職場じゃ働きたくないな〜とか。
午前中や3時ごろにちょっと休憩をくれる所もあれば、1分たりとも休憩なしで・・・など。
でも、いろんな仕事経験できて、大変さもわかります。
すぐにゴミ箱に捨てちゃうダイレクトメール。これも、セットして封筒に入れて、宛先貼ってる人がいるんだなぁ〜とか。
バイトしながら、社会見学もって言う感じです。
デスクワークだけでは感じられないこともいろいろあります。
体は、クタクタになりますね。
「全国の働く父さん、母さん頑張れ〜」っていう感じですよ。
さて、今日は、銀座で柔軟剤のテストモニター。
久々の銀座です〜(^^)v。
間違っても、バイト代以上のものには手を出しませんよっ(笑

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2005/11/26
全国からの応募総数527曲、今年の&「軽井沢ラブソングアワォード」で準グランプリを受賞した「ウチダトモヒロさん」が出場すると言うことで「―NIPPONのうた―生きるということ」を見に九段会館に行って来ました。
ウチダさんは、軽井沢でサインダンス(聴覚障害者の方にも音楽を楽しんでもらえると言う手話を用いたダンス)付で「あい らぶ ゆう」と言う曲を熱唱した方です。
この歌をはじめて聴いた時、「いい曲だなぁ〜、何か受賞するだろうなぁ」って思ったほど、インパクトが強かったです。
ちょうど、その頃赤十字語学奉仕団で視覚障害者、聴覚障害者の研修などを受けていた影響もありますが、ウチダさんのHPを見るといろんな所でボランティア活動などもされてるようです。
今は、子ども達に歌を通して「SMILE(笑い)」を届け、楽しんでもらうような活動をいろいろ企画中のようです。
さて、今回のイベントは、戦後60年と言うことで、「靖国神社崇敬・・シンポジウム・・・」といろいろ肩書きが付いてますが、私はただウチダさんの歌を聴きたい〜で行って来ました^^;。
第1部 トークセッション NIPPONのこころ
第2部 表彰式&コンサート NIPPONのうた
全国からの応募総数231曲から選ばれた7曲で、既に今回CD化された曲の発表。
第3部 つのだ☆ひろ コンサート
第1部は、真面目な固い話しかと思ったらNIPPONの歌7曲に選ばれた方たちにその歌を作った経緯や気持を語ってもらったと言う感じで、ミュージシャンの自己紹介的な感じもかねてました。
さてさて、第2部。
この7曲は、今回つのだひろさんプロデュースでCD化されて発売日&発表日でしたが、その中で、最優秀賞1曲、優秀賞2曲、審査員特別賞4曲が発表されました。もちろん、早く名前を呼ばれないほうがいいという同じパターンで・・・・
最初に呼ばれたのは、去年軽井沢に出場していた秋田の女性。
でも名前を呼ばれても、会場にいませんでした・・・。
休憩の後、まさかすぐに始まるとは思ってなかったのかリハーサルがあったのかわかりませんが、息を切らした状態で歌ったのでちょっとかわいそうな感じでした。
私も、全員が歌ったあとで、発表があると思ってたので、歌いながらの発表で意外な展開でした。
「ウチダトモヒロさん」なかなか呼ばれません!!
もしや・・・と言うところで呼ばれました!!!
軽井沢と同じ、TOP2です。
これを「おめでとうございます」と言うべきか「又惜しかったですね」と言うべきか迷う所ですが、すごいですよね〜。
やはり、「私の見る目は正しいっ」て(笑
今回は、マント?を着て登場。会場が「あら〜?」って言う反応有りの衣装でした。 でも最終オーディションの衣装の方がもっとインパクトがありましたけど〜。
かなり今回靖国バージョンとなって応募作品とは変わってました。
因みに1位の方は、ちょっと民謡調の曲で、お祭りのお囃子をアレンジに取り入れてて、まさに「日本の歌」のイメージに合っていたんでしょうね。
まぁ、最終オーディションの中でウチダさんと、この最優秀賞の方が上手いな〜って思ったので、その通りって言う感じでした。
素人的に見れば、軽井沢の方がレベルが高いな・・と言う感想です!
第3部は、「つのだひろさんのコンサート」
さすが、プロ!と言うステージでした。
はじめは、ちょっと促されて拍手していた人も、余裕たっぷりのアクション、トークにも促され最後は拍手に熱がこもってました。

「つのだひろさん」って、「メリージェーン」の人?ぐらいの知識しかなかったのですが、プロのJAZZドラマーで、歌も上手なんですね〜。
リズム&ブルース・・・1時間たっぷり聴けて楽しかったです。
コーラス3名、バックバンドも7名。華やかでした。
この生バンドで、ウチダトモヒロさんに自由に歌ってもらったら、どんなステージになるのかな?なんて想像しました。
「あい らぶ ゆう♪」を「あい らぶ じゃぱん♪」
に変えてね〜^^;。やっぱ、ライブはいいですねっ(*^^)v

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2005/11/24
1ヵ月後は、クリスマスイブ。
・・・と言うことで、このブログもちょっと変身!
でも・・・、背景のテンプレート変えたら字数まで変わって・・・。
それに、何でこんなに右があいてるのに、書くところ狭いのぉ〜?
融通利かないのねっ・・・って、怒ってもしょうがない。
たぶん、何かやり方があるんだろうけど(笑
今、セリーヌディオンが歌ったクリスマス名曲のアルバム
「There Are Special Times」を聴いてて・・・その中の、
ジョレノン作「Happy Xmas(War Is Over)戦争は終わった」
聴いたら、とっても、世界平和を祈りたくなっちゃいました。
平和とか反戦とかそんなに考える私じゃないけど、
世の中の人、みんながこの歌を聴いて、ハッピークリスマス
って言えれば・・・・って。
仏教、イスラム教じゃ、クリスマスは関係ないだろうけど
クリスチャンでなくても、この独特の雰囲気は好きな人多いと思うし。
この曲聴いたら、人に優しくなれる気がして。
インドネシアに帰国したJからのメール。
「排気ガスと喧騒とバリアの多い国に帰ってきました・・・
日本が、日本のみなさんが、日本で出逢った各国の障害者の人たちが懐かしい」と。
もちろん、I miss you too...って、返信しましたよ^^;。
いやいや、本当にもう逢いたくなっちゃったJに!!
確かに、9人の住んでる都市に比べれば、東京はバリアフリーで
周りの人たちも温かく迎えてくれてたからね。
今日のニュースで、ミャンマーの首都がヤンゴンからいきなり300km離れた都市に移転とか。ミャンマーから来てたUさん驚いただろうな。
パレスチナのRとSの車椅子2人コンビは、無事戻って、子供達に
あのコマ渡したかなぁ〜。
素敵な、歌声、クリスマスソングを聴いてたら、またいろんな事
思い出しちゃいました(>_<)。
この写真は、14人兄弟の末っ子のセリーヌが多くの家族と一緒に写ってる写真。
日本では、商業的なクリスマスが多く、若者は若者同士で・・・と言う感じだけど、海外では、クリスマスは商店もレストランも皆休み。
家族で、静かに楽しく過ごすのが一般的なんですよね。

でも、いいですね、どんなクリスマスでも。
世の中、家族が集まれる人ばかりじゃありません。
一人だけで、好きな音楽聴いて、好きな人の事考えてたっていいし、その時たまたま出逢った人と一緒に過ごしたっていいですよね。
「こんばんは。今日はイヴですね〜」
なんていう言葉が、初めて交わす会話だったらちょっとロマンティック^^;?
さぁ、来月の今頃は何してるのかな?
えっ? たぶんパソコンしてるだろうって(笑

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2005/11/22
最近、「泣ける映画」「泣けるドラマ」「泣ける本」とかが流行してるらしい。
半年間開催された「愛・地球博2005」でも、最初見向きもされなかった「国際赤十字館」が私がボランティアスタッフとして参加した頃には、3時間待ちの長蛇の列となったのも、マスコミが「泣ける館」として紹介したかららしい。
何かを見て、感動して、涙を流すことによって心に優しくなれたり、元気が出るっていうのが理由らしい。
ここ最近、「泣ける話ばっかり・・・」。
フィクションじゃない、現実にあった話だから、元気が出るわけでも人に優しく出来るわけでもない。でも、何かは感じられたはず。
涙もろい私は、そのときの光景を思い浮かべるだけで・・・(>_<)・・・。
☆自立生活センターの代表者で脳性麻痺の日本人男性からのお話☆
彼は、電動車椅子に身を任せ必死に話をしていた。
脳性麻痺の人って話すのがかなり困難だから、
そのしゃべり方を見て知的障害がある人と勘違いされやすいけれど、
知的障害は全くない。
「僕はね。こんな体に生まれたことを後悔はしてないんですよ。
生まれた時からこうだったから、あまり感じてないのかな。
ただね、僕が20ぐらいの時に母親が癌になってね。
僕は何をするにも誰かに全部お願いしなくちゃいけなくて殆どは
母親がやってくれてたんですよ。
母親ってすごいですよ。
癌で体が痛くてだるくてしょうがないのに、僕の介護を必死にやろうとして。
ハァーハァーいいながら介護してるんですよ。
僕がね、いくらちょっとほっておいてもいいよ・・・って言ってもね。
それで、介護し終わったあと、僕に見えないように、
自分のベットで 又倒れるように寝てるんですよ。
それを見てね、僕がいなければ・・・って何度も思ってね。
母親が死んだとき、僕さえいなければ、もっと生きられたんじゃ・・・
僕が母の命を縮めたんじゃ・・って思ったら、泣けて泣けてしょうがなくてね」と。
☆広島の原爆ドーム資料館での73歳の語り部と呼ばれる女性被爆者の話☆
「私は13歳の時に学校で被爆しました。生き残った人はわずかです。
全身皮膚が火傷でただれ落ち、指は全部くっついてしまいました。
服もボロボロ。
母親、兄弟姉妹は死に、家も消失。父親も被爆。
そういう状態の中で周りの人が一生懸命、頑張って・・・って言って介護してくれるんですが、つらいだけなんです。
数週間後に意識が朦朧として、これでやっと死ねる、楽になれる、みんなの所に行ける・・・って思ったんです。
でも、助かりました。
今でも、火傷の後遺症で箸を持つのがやっとです。
50年経ってやっと、この経験を知らない人に伝えなければ・・・と思えるようになり、語り部となりました」と。
とっても穏やかな口調。
その口調が余計に彼女のこの60年の悲しみ、辛さを感じさせて・・・。
彼女が語り終わった後・・・
「何故、あなたは怒りを現さないで話せるんですか?
憎くないのですか?」と研修生から。
「人を憎んで何が生まれますか? 私は、怒っていません。
ただ、原爆の悲惨さを伝えNO MORE HIROSHIMA・・・
これだけを伝えたいのです」と。
☆ラオスから来た最年少でおとなしいP。5年前に交通事故で右腕切断☆
Jから聞いた話。
僕がオーディオルームでギターを弾いてた時にPが入ってきたんだよ。
じっと聴いてくれてね。
その後でPが
「僕もね、ギター弾くの好きだったんだ。
事故にあったあと、もうギター弾けないと思ったら悲しかった・・・」と。
「だからね、Pに左手で弦を押さえてもらって僕が右手で弾いたら
喜んでくれたんだよ・・・」って。
目が見えないJと、右手が使えないP。
国や障害は違っても芽生えた友情の心温まる話なんだけど・・・。
でもやっぱり、その光景を思うと
―Don't make me cry (泣かせないで・・・)―

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2005/11/19
ある日の会話。
「Jじゃなくていいよ、Jackで」
「写真だって、僕が話した話も秘密じゃなくていいよ」と。
事後承諾でm(__)m・・・とか、言いながら写真とかもHPに載せちゃうことが多いけど、やっぱり、海外から・・・障害者・・・JICAとかいろんな事考えたら、誰が見るかわからないインターネットには勝手に載せられないじゃない。
だから「今ね、JACKの事、Jと言う名前で、ブログに書いちゃってるんだんだ〜」って言ったのよ。
「僕たちはね、障害があることを隠したりしないし、海外の障害者の事も状況も知ってもらうために日本に来てるんだから」と。
そうだよね・・・。各国代表して来てたんだものね。じゃぁ、みんなの写真も紹介しちゃうよ!みんなの活動も。
別れがさびしいこの感情は、昔味わった感情と同じ。
そう、はるか前、大学卒業して新卒で某企業に入社して1年後の春。
1年間お世話になった先輩の転勤を知ったとき。転勤なんてサラリーマンにつきもの。
でも、その時はとってもさびしくて・・・。
社会人になってはじめてのお別れだったから。
そのうち、しょっちゅう異動辞令があったからだんだん、「お世話になりました〜。お元気で。」で終わり。
今回の新鮮な気持、忘れないようにしたいな。だって、海外から日本に来る障害者にとって、たぶんこれが最初で最後の訪日。
めいいっぱい、日本の事、日本人の事好きになって欲しいし。
一期一会を大切にしたいから。
閉講式が終わって、ちょっとホッとした表情の9人。

FAREWELLPARTYは、予想より豪華!
「おいしそうなフルーツだよ!!何食べる?」
「え?海老の天ぷらないかって?」
「あるよ〜。海老天ぷらも、海老フライも!」なんて。
こうやって世話できるの最後だね。

でも、とてもうれしかったよ。
Jが挨拶の時いろんな人の名前を呼んでインドネシアから持ってきたプレゼントを渡した時、一番最後に
「最後に僕の大切なボランティア」って紹介してくれて。
パーティが終わってから、JはJICA研修生でインドネシアから来てる大勢の人とカラオケ。健常者の中でも人気者だったんだね。みんな先に帰国するJの為に集まってくれてて。
「ジャカルタで、今度は僕がmadokaにショッピング案内したいな」とJ。
そうだね。Jには「GOOD−BY」じゃなくて「SEE YOU AGAIN!」でいいね。
パレスチナ、ペルー、トンガとかだとあまり現実的じゃないけど、ジャカルタなんて成田から直行便もあるものね!
インドネシアの首都ジャカルタ。バリ島に行く時に乗り換えだけしたことがある都市。
本当に行っちゃうよ〜。その時はまた一緒に手をつないで案内してね。
ただ、気にしないでね。
楽しそうに話しながら歩く私たちの後ろに、白髪まじりのおじさんひとりいると思うけど・・・(笑
The end?... maybe no....

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