遠藤周作『沈黙』
『海と毒薬』しか読んだことはなかったが、遠藤さんの文章は好きだ。
だから、そんな遠藤さんが宗教的テーマについて書いている作品を読むのには、抵抗があった。
語弊を招く言い方になってしまうかもしれないが、
わたしは日本人が書くキリスト教関係の著作が苦手なのである。どうしても、文学作品として受け止められないのだ。自己啓発本的な印象を受けてしまうのである。
日本人と言う人種的風土において、神道以外の宗教は、仏教であれ、少々都合良く捻じ曲げられた、純粋ではないものに思えてしまう。
真理を追究しようという芸術世界において、表現すべきは根底にある信仰心ではなく、そこから派生した個々人が抱く疑問や思想であってほしいという、わたし個人的な好みなのだが。
とにかく、遠藤さんの作品を読んで、気持ちが覚めてしまうのは避けたかったのである。
と、思いながらも、読んでもないのにとやかく言うのはいけないなぁと意を決し、ページを開いてみた。
あぁ、無知とは本当に恐ろしいものだ。
わたしが上記に述べた懐疑について、遠藤さんはとうに到っていたのだ。
カトリック教徒が、棄教について物語を書く、その作業には、無宗教のわたしなんかには想像もつかない程の苦悩が包括されていたことだろう。
神の存在を否定する、ということは、自身の思考の大部分を否定することになる。
どんな結論を導き出すのか・・・それはわたしには想像など微塵もできない境地であった。
鎖国時代のキリスト教迫害について、わたしは多くを知らない。
作中で書かれていた井上筑後守の言葉は、実際に発せられた言葉なのであろうか。
事実だとするならば、やはりわたしには、当時日本へ渡ろうとした宣教師たちの気持ちは理解し難い。筑後守は、全くの真実を語っている。ロドリゴの怒りも、その通りだと思う。
それでも危険を冒して日本へ渡ってきた宣教師たちの心理を、この作品はとても上手く描いている。
殉職とは何か。
人の命とは、信念とは、信仰心とは何か。
国とは何か。
人種とは何か。
思考とは何か。
読み終えたのが、未曾有の大惨事をリアルタイムで目の当たりにした直後であったこともあり、この作品から訴えかけられることは、数多くあった。

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