ロバート・A・ハインライン(訳:福島 正実)『夏への扉』
久々にSFを読んだ。
何の予備知識もなく、古本屋でたまたま見つけて何気なく手に取っただけだったため、そもそもあまり期待もしていなかった。
SF作品は、世界観に慣れるまでに少々時間がかかる時がある。
“非現実”を容認するまでの時間だ。
「ありえない」という疑念を持ったままでは、物語がいくら進もうとも、その世界に浸りきることが困難なのである。
『夏への扉』の設定は、他のSF作品に比べると、幾分か現実的なものであった。
作品が書かれたのが1957年、作品の舞台となるのは1970年〜2000年の時代である。
作者にとっての未来を描いた作品を、その未来からさらに10年も経た時代のわたしが読んでいる。
先に言ってしまえば、予想ははるかに外れている部分が多々ある。
進歩がないというのではなく、要するに、未来はいつの時代も予測不可能なものであるということを、認めざるを得ない結果となった。不思議な経験だった。
しかし、年号をうやむやにしてしまえば、そんなに非現実なものでもなかった。
この作品に出てくるSF的事実は、「冷凍睡眠が実用化されている」ということだけだ。
もっと時間が経てば、実現する可能性だって十分にある。
ハイラインが亡くなったのは、1988年。
ハイラインからすると、完全に“未来人”であるわたしが、彼の夢見た“未来”の世界に浸り込む、
とにかく不思議な感覚であった。
物語自体は、フィリップ・K・ディックやクラーク博士、アシモフやウェルズらのと比べれば、それほど哲学性に重点を置いたものではなかった。
ハリウッドの娯楽映画を見ているがごとく、スリリングで、小気味良い気分で読み終えることができた。
(映画化するとして主題歌を当てるならば、Foo FightersやNickelbackが似合う感じ)
物語から感じ取ることよりも、
作者が当時描いていた未来の世界観と現実とのギャップを考える方が、個人的には盛りあがれた。
主人公の性格も、よくある内向的で懐疑的な人物ではなく、
興味がある事象以外には全て否定的、もしくは完全に無関心であり、
わたしとしてはとても新鮮であった。
意図せず、作者の子供っぽさが反映されていたのかしら??変に人間的で、放っておけない部分も多くあった。
物語の本当に最後の最後、
読み進めるうちに忘れかけていた「夏への扉」という概念への主人公の結論を読んだ時、
思わず「イィーーヤッホォーーーーーーーウ!!!」と片腕を突き上げたくなりました。

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