10月31日
24-two four-のギター、しゅんちゃんがバンドを脱退した。
昨年のドラム、ゆーぴょんの脱退を聞いた時は、心臓が一瞬止まったし、家に帰ってからワーワー泣き叫んだ。
しゅんちゃんの脱退を聞いた時は、同じように鼓動が止まったけれど、泣かなかった。
しゅんちゃんが抜けた後も、今と変わらずに突き進んでいくというバンドの決意も聞いていたし、
本人たちが強い意志を持って決定したことを、まわりが「寂しい」だの「悲しい」だの言っちゃいけないと思ったからだ。応援しなきゃいけないと。
24というバンドは、わたしにとって、何よりも影響をくれたバンドだ。
24が初めてライブハウスに出演した日の、対バンがわたしだった。
まだJONNYをやる前で、今のようにバンド中心の生活ではなかったし、自分が見てきた狭い世界が全てだと思っていた。
適当に2・3年続けれたら続けて、その間にどこかに拾われたらラッキー、拾われなかったらさっさと結婚しちまおう、くらいのつもりでバンドをやっていた。
24のライブが始まった瞬間、わたしの全てが変わった。
こんなバンドが日本にいるとは思ってなかったし、
何よりも、演奏している人たちが、ものすごく楽しそうだった。
そうだ、音楽って、楽しいもんなんだ。
わたしも、楽しいことが、したい。
当時の自分の境遇も相まって、その瞬間に、わたしは、全てを捨てた。
家族も、恋人も、バンドも、全部がなくなった。
ゼロになった。
とてつもなく孤独だったし、1秒先の未来ですら見えなくて、生きているのか消えかけているのか、不安定で、怖くて恐くてたまらない毎日が始まった。
だけど、その先が見たかった。
その時のままでは見ることができなかった、全く新しい世界を手に入れたかった。
それから8年間、今のわたしがいる。
裕福でもない、安定もしていない、バンドだって人気者と言うには程遠い。
だけど、何ら後悔はない。
だって、辛いことだって苦しいことだってあるけど、
結局、楽しいもの。
その全ての始まりが、24との出会いだった。
24が、3ピースだった時も、5人でやってるときも見てきた。
ブラッドの命日には、栄の路上で追悼ライブをし、皆でSANTERIAを歌った。
春も、夏も、秋も、冬も、栄の噴水前、ライトアップするテレビ塔。
疎遠になっていた時期もあったけれど、いつだって24は、あの4人で、変わらずそこにいるんだって信じていた。勝手に思い込んでいた。
24が終わるわけではない。
形が変わるだけなんだ。
それは寂しさも持ち合わせているけれど、その先に、もっともっと大きな可能性だって広がっているんだ。
怖いけれど、一歩踏み出すこと、それは24がわたしに教えてくれたことと全く一緒だ。
次は、24の番。そして、しゅんちゃんの番。
しゅんちゃん最後の24ライブは、とても暖かくて、24らしいライブだった。湿っぽさは一切なかった。
これから、また相変わらず進んでいくわけだけど、
ちょっと立ち止まって、自分の来た道を振り返って確認する一日になった。
11月7日
不完全密室殺人、ザ・フロイト、活動再開。
今じゃ誰よりも近しい存在ではあるけれど、正直、わたしは、
ただの熱烈ファンである。
この日わたしはロックンロールにスタッフとして出勤だったため、バーカウンターからの観戦ではあったが、出勤前からワクワク、ソワソワが半端なかった。
曲が始まる度に、アイドルのコンサートを見ているかのごとく、体が震え、黄色い歓声をあげかけた。
フロイト、このバンドが毎月ライブが出来るくらいのペースで活動していたら、間違いなく売れるだろう。
「言葉にできないことを、歌にしました」というバンドの人に、まず聞いてほしい。言葉に重きを置くのであれば、これくらいはやれよ、と思う。
この世界観は、もどかしい思春期を抱えている男子学生から、その頃を引きずったまま大人になった成年男子まで、多くの人々を取り込む絶大な魅力を持っていると思う。女子は、ひとまず置いておく。
そして不完全。
気づけばJONNYメンバーの半数を占めているこのバンド。
メンバーではあるものの、不完全で演奏する彼らは、間違いなくわたしの憧れのロックスターだ。
人気に対し、もう嫉妬もしない。
だって格好良いんだもの。当たり前だもの。
ずっと近くで成り行きを見てきたこともあって、舟橋の涙は、心の奥までずーんと響いた。
ダイブできなかったことだけが心残りだった。
いてくれて、ありがとう。
いつまでだって待ってるから、
欲しているんだから、またライブをやってくれ。
本当、良いバンドに囲まれてるなぁと、
事あるごとに再認識する。
バンドやってると、色々あるよね。
みんな、
ありがとうね。

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