ネットという媒体を使って、長い長い、自分本位な独り言。
時間というのは、あくまで可変的な物質である、というのが前からの持論。
簡単に要約すると、時間の軸が外側に向いているときは、速く流れる。内側に向いているときは、遅く流れる。
いわゆる“神頼み”をしている時間というのは、どちらかと言うと、長い。祈って祈って、さらに祈って、上昇してみたり、さらに焦燥にかられたり。
だから、神様というのは内証的な存在として、確実に存在するのだ。少なくとも、わたしには。
最近の自分は、本当につまらない奴だと思う。
バイトでテナント内を動き回ってるときは、気の合う仲間に囲まれて、ほとんど深く物事を考えず、いかに自分がイライラせずに目の前の仕事を片付けていけるかということに集中しているだけで、あっという間に時間が過ぎる。
人が仕事をしている姿は、ある程度その人の本質を具体化していると思う。人を思いやりながら、やるべきことさえやっていれば、他人との間に確執が生まれることはないと思う。
今の自分にとって、仕事中が最も愚痴愚痴せずにすみ、後をひかない気楽な時間だ(体の方は日に日に衰弱しているが)。
その代り、それは夢中になるべきことではなく、日々を重ねたところで、経験として積み重なる部分は少ない。
考えてみると、今、夢中になれることがない。
自分にとって音楽も恋人との時間も、できるだけ執着しないでいれる存在であってほしい。
しかしそれらに反映させたい成長というのが、今のわたしにはどこからも生まれてこない。
だから、軸がぐらぐらと不安定に揺れ続けて、音楽に過度な期待や責任を負わせてみたり、恋人との適度な距離感を見失って、異常に執着してしまったりする。
自分から何も与えていないのに、見返りばかりを期待している。
なんてつまらない奴。
だからといって、無理やりに新しい趣味を見つけてみたり、未経験の場所に身を置いてみたり、人との深い関わりを求めてみたり、今はそういうことをしたい気分ではない。今までそうしてきたからって、毎回同じことをするのが得策とも思えない。ノリや気分は重要だ。やりたくないことは、やらなくてはいけない状況以外では、やりたくないのだから、やらなくたっていいはずだ。
決めました。
わたし、小説書きます。
ぐだぐだ言い訳をして、逃げすぎた。
書きたいんだから、書くべきだ。
今までにも何度か書いてみたことはあるけど、どれも途中で投げ出してしまい、一度も完結させたことがない。
自分の音楽をたくさんの人に聴いてもらい、認められたい。それは、今も昔も変わらぬ、わたしの目標です。
そして、自分の文章でお金を稼ぎたい。これは、ずっと抱き続けてきた、夢です。
中途半端に聞こえるでしょうか。
わかる人にだけ理解していただければ良いです。
ベクトルなんて、一方向に向かってる必要はないのです。少なくとも、わたしにとっては。
混沌とした理想や煩悩が互いに作用しあって、大きな大きなハリボテを作り上げることができれば良いのです。
わたしは、他人の目の中で自分を構成することしかできないのです。それがわたしなのです。
音楽に対する軸は、内側に向いていてほしい。文章を発するべき方向は、外側に向いていてほしい。恋人や家族や友達は、共にその軸となっていてほしい。
きっと同じようなモヤモヤとした不安定な時期が、これからもしばらくは続くと思います。
でも、言っちゃった。
言っちゃった限りには、やらないと気がすまないのがわたしの性格でもあります。
小説の作品を作ろう。
10月は間に合わないので、一番近いのが小説現代の新人賞か。
ダメだったら、ブログに載せちまえ。処女作だ。拙くて当たり前でしょう。拙くたって、自信を持ってれば公表できるはずだもの。
うん。やろう。
時間ないけど、そんなんは言い訳だ。
何かに夢中になって忙しくしてないと、どうも自分に自信が持てないみたいです。
自分を取り戻して、愛をとりもどせ。
YouはShockだぜ。

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