ほろ酔いで電車に揺られながら、ただただ必死に活字を目で追う。
途端に文字が宙へ舞い踊り、わたしは見送るように頭を垂れる。
次の瞬間、駅員がわたしの右肩をそっと叩く。
「すみません、終点ですよ」
びっくりしたわたしの手から、文庫がするりと床に落ち、カバーが外れ、奇怪な表紙が露わになる。
何の気なしにわたしは文庫の表題を呟く。
「ドグラ・マグラ」
駅員は一瞬驚いたような顔を向け、そして再度語りかける。
「すみません、終点ですよ」
「結局、ドグラ・マグラなんですよ」
わたしは頭の中で講釈を続ける。
例えば、今日という一日ですら、ドグラ・マグラであったとする。
特に理由と言うものがあるわけでもなく、朝からわたしの心は浮かばれなかった。
何をしようにも頭がぼうっとし、次第に息をすることすらままならなくなった。
煙草を吸いに行くフリをして、社屋の外に出て、ただただ深呼吸を繰り返した。息をすることすら、ままならない。
鬱病というものは、本来原因などというものは、あってはならない。あるならば、それは病気ではない。そう、わたしは聞かされた。
ならば、この状態をどう解釈しようか。たまには、浮かばれない日だってある。それだけのことだ。なんだかくだらない。
そう思いデスクに戻るも、その後も息苦しさは続いた。
「人恋しかった」仕事終了後友人に会った瞬間、わたしが言った言葉だ。仕事中、何十人もの人たちの声を聞き、数人とも会話をしていたにも関わらず、友人の顔を見た瞬間、最初に出てきた言葉がそれだった。
高校時代以来の友人、時間で言えば、もう10年近くの付き合いになる彼女とは、先月初め、共通の友人の結婚式にて、2度目の出会いを果たした。高校卒業以来も連絡は取り合っていたし、幾度か顔を合わせることもあったが、それでも、あれは2度目の出会いだったとわたしは確信している。
彼女の留学を挟み、約1年ぶりに顔を会わせた二人は、すぐに以前の感覚を取り戻し、いかにもななりゆきで、お互いの恋愛話に華をさかせた。まさに、「いかにも」な展開だ。
女性であるが故に思う。女性であれば、それで充分事は足りる。正直な話、ほとんどの人に対して、それほど他人の恋愛話などに興味はない。自分に話を振られた際も、おおまかな粗筋は伝えるも、事の真意など語る気にもならぬ。それで充分だと、本意に思う。
その後だ。わたしが心眼を持って興味を向けているのは、そんな在り来たりな会話の裏側に腰を据えている、経験、そして、
意見だ。
他人の経験をそのまま感じ取ることなど、不可能だ。ならば、どうしたい。その経験をふまえた、その人の、意見が聞きたい。
哲学だの思想だの、そんな難しいことを日常から求めていては、自分の考えをまとめる前に、頭がパンクしてしまう。
物を見た、音を聴いた、何かに触れた。その上での、その人の意見というものに、わたしは興味がある。
彼女は、わたしの興味を存分に満たしてくれた。彼女だけではない。今わたしの身近にいる人は皆、常にわたしに刺激を与え、感動を与えすらする意見を持ってる人ばかりだ。
彼女は「あなたが心配だ」と言う。「期待している」とも言う。
そっくりそのまま、わたしは彼女にその言葉たちを返す。
周りから聞けば恥ずかしさ極まりない会話を、延々と繰り返した。
最後には「わたしの方が」「いや、わたしの方が」と、子供のようなやり合いをしながら、笑顔で手を振って別れた。すぐにまた会えることなど解っているのに、背中を向き合わせて歩き出す瞬間は、これ以上にないほど、寂しいと思った。例えまた明日会えるとしても、わたしは寂しいと思うに違いない。
「さて君、この話の結論を、どうまとめる?」
駅員は、居眠りを続ける乗客を起こすべく、右往左往している。
「この話に、結論などはないのだよ」
真理が隠れているかと疑えど、見えるのは、そう、例えるならば透明な空気のみだ。
結局、浮き沈みを繰り返す日常など、幻想だと言い切ってしまえば、それはそれで事実なのだ。
そこに自分はいるのか?いるはずだ。いや、いなくたって、日常は日常のままなのだ。
真実など、刹那を埋める空論でしかない。
真実など、追い求めれば求めるほど形を変える、狂人の戯言でしかない。
そんなことを考えることですら、よもや心の余裕を認めている証拠にしかなり得ない。
ほらね、やっぱり、ドグラ・マグラだ。
みなちゃん、明日あきは、もし水野先生に「佐藤はどうした?」と聞かれたら、何て答えるんだろう?
「知らないです」で、やっぱり正解だと思う。
そしてその後、ココナッツミルクを飲みながら、「出会えてよかった」なんてセリフを言ってクスクス笑えればいい。
やっぱりみおは人より足りないものがたくさんあるけれど、
それでも、恵まれていると思う。確実に、恵まれている。
おかんは、いると思う。いや、みなちゃんのおかげで、思えた。
過去には戻れないし、戻りもしない。
これが、みなちゃんとバイバイしてからみおが考えたことです。今日の二人、いつもながらくさかったね!!
あ、OASISが鳴った。

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