後編の2人は
元いた職場の上司にあたる方
3人目は
指揮官の方です。
砂押川沿いを車で走行中、前方から津波!あわててUターンしたものの右側の川からも津波が押し寄せてきて、車を乗り捨てちょっとでも高い場所へ逃げたところがフェンス。
この金網に必死で喰らいついていたそうです。
どんどん水かさが増して流れも勢いよく、途中足に何かぶつかり怪我をしたようですが、全てを流す津波に必死で耐えて金網につかまっていたそうです。
全身ずぶぬれになり、更に雪にも耐えて生き残り自らの足で職場まで辿り着いたそうです。
最後4人目は
これまた元いた職場の上司
この方も非常勤務態勢の登庁中に津波に巻き込まれました。
この方は幸い近くの歩道橋に登り難を逃れたのでした。
これまで4人の行動を述べましたが、津波に巻き込まれないためには
高台に避難する…これしかないのだと思います。
たまたま、
私は地震後すぐに多賀城市から仙台に向けて避難したので津波には遭遇しませんでしたが、あの時道路は渋滞し、津波の第1派が30分後に到着したころには結構離れていたので難を逃れる事ができました。
この津波が少しでも進路が変わっていたなら、海沿いの低い地域を移動していたのできっと今は生きている事はなかったのだと思います。
私は、今生きています。
きっと津波の犠牲になった方々の代わりに生かされているんだと強く感じました。
生きたくても生きる事がかなわなかった10,000人を超える人々のためにも私達は復興を成し遂げなければなりません。
きっとこれからも被災地では苦労が絶える事はないでしょう。
でも!
私達は頑張っていかなければなりません。
それが今回の震災で生き残った私達の使命なのかも知れません。
宮城から。頑張ろう東北!
皆様の応援と共に頑張っていきます!


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