南木です。
まず、今回の事故で殉職された6名の自衛官の皆様のご冥福を心よりお祈りいたします。
ブルーインパルスのパイロットもしておられた方が操縦していて、それほどの荒天でもなく、操縦ミスなど普通考えられず、慣れ親しんだ地形で、山腹に激突することなど考えられないような事故がなぜ起こったのか。
ボイスレコーダーなどで、今後解明が進むと思いますが、私はとても気になる事がありました。
あまりに生々しい事故の直後に、このような論評は不謹慎かもしれませんが、思ったままを書きますと、
私は、この事故が起こった4月6日が戦艦大和の出撃記念日であること。そして事故機は同日に山肌に激突したのですが、搭乗員が6名であったこと。
6が二回重なっています。
4月7日はどなたもご存知のように戦艦大和の最後の日となったわけで、毎年慰霊祭が行われています。
しかし、特攻出撃をした6日にその特攻精神を顕彰する「出撃顕彰祭」をしておられるという話は(恐らく私的には行われていると思いますが)、あまりお聞きしません。公的には今はできないでしょう。
ふと、私は戦艦大和の海に眠る英霊の皆様は、「慰霊」だけではなく、「顕彰」を求めておられるのではないか、と思ったのです。
4月6日に死出の出撃をした、我々3600人の決意を顕彰する心を現代の貴方たちは持ってくれているか、と。
今回の事故はまさに大隈半島の佐多岬そのすぐ沖を、戦艦大和が最後の雄姿を見せて通り過ぎていった、まさにその半島中央で起こりました。
大東亜戦争英霊の皆様はじっと我が国の行く末を見ておられるのではないか。
そして、大和と運命を共にされた英霊の皆様は、その
特攻出撃の精神を顕彰してほしいと思っておられるのではないかと、今回私は、「観念的」にではなく、
何か非常に強い「生気」のようなものを感じたのです。
いずれ我が国で、4月6日は4月7日と並んで永遠に顕彰されるべき日となってゆくのではないか。
その「大和の魂」が今の我が国を根底で支えているのではないか。
我が国が完全に再建された後には、4月7日に慰霊祭をするとともに、その前日に『戦艦大和出撃顕彰祭』が盛大に行われ、
民族の魂の永遠はこの尊い犠牲の上にあることを国民全体が想起するようになってゆくのではないか。
そういう事を強く感じた次第です。
「コレヨリ敵地ニ入ル 右ニ九州 左ニ四国 シカモ制海制空権ヲ占メラル」「死ハスデニ間近シ 遮ルモノナシ 死ニ面接セヨ 死コソ真実ニ堪ウルモノ コノ時ヲ逸シテ 己ガ半生 二十二年ノ生涯ヲ総決算スベキ折ナシ」「コノ身翻弄セラレテ 紙ノ如シ 待テ ココニテ最後ノ家郷礼拝ヲナサン 絶好ノ機会ナリ コノ機を失セバ 再ビ好機ナシ」(「戦艦大和の最後」より)
4月6日に出撃した、海軍のシンボルであった戦艦大和と、4月6日に6名の搭乗員を載せて、大隈半島で事故にあった海上自衛隊基地から飛び立った自衛隊機。
事故機の皆様の御霊は、大和の英霊たちに迎えられているという思いがしてなりません。南木隆治拝。

空自U125機が墜落 入間・飛行点検隊の6人死亡 鹿児島
(2016年4月6日~8日)2016年4月13日更新
4月6日午後2時35分ごろ、鹿児島県の海自鹿屋航空基地の北約10キロ地点で空自入間基地所属のU125飛行点検機(乗員6人)43号機が消息を絶った。7、8日の捜索で鹿屋市と垂水市にまたがる御岳(1182メートル)頂上の東約500メートル付近で乗員と見られる心肺停止の6人が発見され、死亡が確認された。遺体は9日に入間基地に搬送され、身元確認を急いでいる。原因究明のため、防衛省は機体回収に向けた準備を実施している。


墜落したU125飛行点検機の43号機(昨年11月3日、入間基地上空で)
搭乗していたのは機長の平岡勝3佐(46)▽副操縦士の原口司1尉(34)▽機上無線員の白鳥博己(ひろき)准尉(52)▽聞間(ききま)祐太3曹(27)▽機上整備員の渡貫郁夫曹長(43)▽米澤鉄平2曹(34)。高度約880メートル地点でレーダーから同機の機影が消えたのを受けて海自72航空隊(鹿屋)、空自新田原救難隊の各UH60J救難ヘリなどが6日、上空から捜索に向かったが、悪天候のため発見できなかった。
翌7日も激しい風雨で上空からの捜索が難航する中、約600人態勢による陸海空自の地上捜索部隊と警察、消防などが捜索したところ、午後1時15分、御岳山頂の東約500メートル付近で心肺停止状態の1人と機体の一部を発見。同3時37分に心肺停止状態の3人を発見した。
8日は天候が回復、午前9時26分に1人、同51分に1人を見つけ、心肺停止の6人を鹿屋基地に搬送、医官により全員の死亡が確認された。
U125は6日午後1時15分に鹿屋基地にある戦術航法装置(TACAN)の電波発信状況を点検するため同基地を離陸。高度約760メートルから約915メートルで、基地から約10キロの間隔を保ち、反時計回りで有視界飛行を行っていたと見られる。
空幕は6日、監理監察官の小川能道将補を長とする事故調査委員会を設置。航空安全管理隊(立川)の事故調査団約20人を現地に派遣し、フライト・データレコーダー(FDR)などを回収後、10日午前に調査団主力は撤収し、原因解明を進めている。
杉山空幕長は8日の記者会見で「6人全員の死亡は痛恨の極み。このような辛い思いを隊員にさせないためにも事故原因の徹底した究明と再発防止策を速やかに講じる」と沈痛な表情で語った。
U125は英BAe(現BAEシステムズ)が点検機として生産した小型ジェット機で定員7人。空自は平成2年度から調達を開始し、飛行点検隊が計3機を保有していた。同機の墜落は初めて。