南木的随想。「国民党」も、「共産党」も滅亡する予兆。「中国」はない。南木隆治。
【門田隆将ブログ】「習―馬会談」で始まる中国の“台湾併呑作戦”を読んで。
確かにチャイナと言う英語の文脈で「ワン チャイナ」といえば、そういう事になるのかも知れないが
「中国」と言うのは漢字文化圏では、あくまで自国のことであり、
「中国」と言う思想を、自国の意味に使う国として同じであると言う点では、わが国も中国(なかつくに)であり、中国とはわが国のことです。(参照「軍人勅諭」昔神武天皇躬(み)づから大伴物部(おおとももののべ)の兵(つわもの)どもを率ゐ、中国(なかつくに)のまつろはぬものどもを討ち平げ給ひ、高御座(たかみくら)に即(つ)かせられて、天下(あめのした)しろしめし給ひしより、二千五百余年を経ぬ。「古事記」、「日本書紀」においても、葦原中國(あしはらなかつくに))
「中国」という言葉のイデアの本質によって、いわば「中国」とは「ここはヨーロッパ」と言うのと同じほどの意味しか持たないと思います。
つまりはじめから「中国」は「国家」ではない。
「中華人民共和国」は自身を中国と呼ぶとき、もちろん、亜細亜全域だけに留まらず、モンゴル帝国がかつて占領していた領域、またかつて、ほんの一時でも、チャイナに朝貢していた地域を全て「中国」と、その言葉のイデアに引きずられて、考えてしまうので、
彼らにとってはロシアも、わが国も全部「中国」が支配すべき土地となってしまいます。
つまり「中国」と言う言葉には、「自身が認識する世界を支配する」セントラルカントリーと言う以外の一切の意味は、そのイデア上なく、
世界の全ての国は、自国が世界の中心であってこそ独立国なのですから、全ての国は中国です。
全ての人が独立した主体であるように、国家も独立した主体であり、全ての人が一人の人間であるのと同じように、全ての国は一つの中国です。
「全ての国は一つの中国です。」と言う言い回しに違和感をもたれる方も多いと思いますが、「言葉の厳密な意味」つまり神仏が関わるイデアの次元から見たら、今回の合意はそういうことです。
日本も、アメリカもひとつの「中国」です。 「チャイナ」と「台湾」が一つの「中国」である事は当たり前です。日本もアメリカも一つの「中国」であると言うのと同じ意味において。
「中国」と言う言葉にそれ以上の意味を与えてはならず、
「中華人民共和国」が勘違いをして「中華人民共和国」自体が「中国」とまったく等価であると思い始めたとしたら、そのとき既に「中華人民共和国」のイデアは、地球上から消え去り、本当のことを言うとその国家は地球上にはもうないのかもしれません。
イデアが消え去っても、物質はしばらく地上に留まるが、やがてその姿は消えます。
あと、5年チャイナは持たないのではないか。と今回の件で思った次第です。
南木は何を寝とぼけたことを言っていると思われるかもしれないが、
チャイナは自身のイデアを捨て、自滅しはじめていると思います。
チャイナはチャイナであり、「中国」ではありません。
わが国に「シナ」と言う言葉遣いを禁じさせ、「中国」と呼ばせたことによって、その因果応報により、
彼らは自身が幽霊になってしまったことに気付かずここまできました。
結局のところ、わが国の王朝は永遠に続き、チャイナの王朝がしばしば滅ぶ運命にあるのは、彼らが「中国」と言う概念、イデアを、自国にそのまま重ねてしまうからです。はじめから自己認識に錯覚と誤りがあり、出発点からして現実を見ていないのだから、長く続くはずがないのです。
「中国」と言うものはイデアの中に在るもので、現時の中にはありません。
よって誰もが、つまりどの国も、現実に存在している自国を、「中国」と勘違いしたとき、滅亡は予定されると言うべきでしょう。
漢字文化圏の人以外は以上の意味は、なかなか理解しにくいでしょうが、「中国」と言う言葉を使う、恐ろしい意味に気付いたならば、未来においても、大陸に存在する国家は、永続を願うなら「中国」と言う言葉を安易に使わないのが賢明でしょう。
我々が、チャイニーズと、その国家に敬意を持つなら「中国」などと、その国家を認めないような言い方をせず、「シナ」とか「チャイナ」とか、あるいは「中華人民共和国」、「中華民国」、『台湾』等と呼んであげるべきでしょう。
「中国」と彼らが、自身で自身の国家を呼ぶとき、自身の国家にある種の死刑宣告をしているのと同じだと、私は最近思っています。
大陸で平和が続かなかった理由はこの「中国」と言う言葉の本質にあるのです。
今回のことは、「国民党」も、「共産党」も滅亡する、予兆ではないですか。
なぜなら両党とも、勘違いの上に成り立っている政党であり、勘違いした意味で「一つの中国」を求め合ったのですから。
壮大で、「無意味」な、ショーは終わりつつあります。
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【門田隆将】「習―馬会談」で始まる中国の“台湾併呑作戦”
http://blogos.com/article/143394/2015.11.07
門田隆将ブログより
「ああ、ついにやってしまった」。そんな声が猛然と台湾で広がっている。来年1月16日に総統選を控えた台湾で、国民党の馬英九総統が“ひとつの中国”を全世界にアピールするために習近平・中国国家主席との会談をシンガポールでおこなった。
この会談は、多くの台湾人に怒りと失望をもたらしている。私のもとにも、そういう声が届いている。総統選が「国民党の敗北確実」と言われている情勢で、なぜ馬英九はこの時期に会談をおこなったのか。
「馬英九は、台湾を売るのか」「これは、なりふり構わぬ国民党の生き残り戦術だ」という声が台湾で上がっている理由を考えてみたい。
本日、シンガポールのホテルでおこなわれた1949年の中台分断後、初めての首脳会談は、「両岸(中台)関係の改善こそ地域の平和発展につながる」とアピールし、“ひとつの中国”を認め合うことを確認した。このことは、これから想像以上に波紋を広げていくだろう。
来年1月の台湾総統選挙で優位に立つ台湾の最大野党・民進党の蔡英文女史とその支持者、つまり多くの本省人(もともと台湾に住んでいた人々)への痛烈なパンチを外省人(戦後、蒋介石と共に大陸から渡って来た人々)の一族である馬英九は繰り出したことになる。
この会談の意味を理解するには、“ひとつの中国”を認めることが、台湾にとってさまざまな意味で大きな問題となり、同時に、いかに中国がほくそ笑むことかを理解する必要がある。
私は、今日の「習―馬会談」のニュースを見ながら、さる7月22日に来日し、衆議院第一議員会館とキャピトル東急の2か所で、台湾の李登輝元総統(92)がおこなった講演を思い出した。
李氏は、「台湾パラダイムの変遷」と題して台湾の民主化をテーマに講演した。私もその講演をこの耳で聴いた。李氏は、衆議院第一議員会館では日本の国会議員を相手に、そしてキャピトル東急では、支持者や関係者たちに対して、共に日本語でスピーチしたのである。
ここで、注目されたのは、李氏が戦後台湾を統治した国民党政権を「外来政権」だと指摘したことだ。そして、台湾は「台湾人のもの」であることを強調したことである。
李氏の訴えは、歴史を見れば、まったく正しい。台湾はこれまで、さまざまな国に支配を受けてきた歴史がある。16世紀、ポルトガル船が台湾を発見した時、ポルトガル語で「美しい島」という意味を持つ「フォルモサ」という名がつけられ、ヨーロッパに台湾の存在が初めて紹介された。
しかし、ポルトガルは台湾を植民地経営せず、その後、17世紀前半にオランダが台湾に到達した。次にスペインが進出しようとしたが、オランダはこれを撃退し、台湾の植民地支配を確立する。
このオランダ支配に終止符が打たれるのは、台湾に進出した明の将軍・鄭成功(ていせいこう)の力による。清朝に滅ぼされた明朝の復興を目指して台湾制圧をおこなった鄭成功は、福建省生まれの父と日本人の妻との間に生まれた。俗称は「国性爺(こくせんや)」であり、江戸時代に近松門左衛門が書いた「国性爺合戦」は、彼の活躍を描いたものである。
その後、鄭氏の政権を倒して清朝が17世紀の終わりから台湾支配をおこなうが、清は1895年に日清戦争で日本に敗れ、台湾を日本に割譲する。以後、日本が50年にわたって台湾統治をおこなうのである。
日本の敗戦後、台湾は、共産党との国共内戦に敗れた蔣介石率いる国民党の支配を受け、現在に至る。李登輝氏は、これら、台湾を支配してきた日本も含むすべての政権を「外来政権」と規定したのだ。
台湾は「台湾人による独自の国家」であるというのが、李登輝氏の見解だ。しかし、その台湾の総統である馬英九が、「台湾は自国の領土」として“ひとつの中国”を主張しつづけている中華人民共和国のトップとわざわざ会談し、“ひとつの中国”を認めてしまったのである。
言うまでもないが、中華人民共和国は、1949年に成立した新しい共産主義国家であり、これまで台湾を支配した歴史的な事実はない。台湾を自国の領土と主張するなら、これまで台湾を支配したことがあるオランダも、そして日本も、同じ主張をしていいことになる。
少なくとも、中国共産党が台湾を支配する根拠は見当たらない。つまり、台湾は、李登輝氏の言うように、「台湾人による台湾人の国家」というのが、最も妥当で、根拠があるのである。
では、なぜ、馬英九総統は、いわば“台湾を中国に売る”ような行動に出たのだろうか。その目的は、国民党が敗北確実の来年1月の総統選の前に、“ひとつの中国”を既成事実化し、新たに総統となる蔡英文女史の手足を縛ることにあったことは明白だろう。
中国と台湾の指導者同士が一度、“ひとつの中国”で合意した意味は大きい。なぜなら、今後、それに反するどんなことをおこなっても、それは「中台のリーダー同士のコンセンサスを破る」ことになり、「許されない」からだ。
つまり、そんなことをおこなうリーダーは、たちまち“排除される”ことになる。これは中国にとって、はかり知れないメリットである。中台の指導者が一度、“ひとつの中国”で合意したという事実さえあれば、それでいいのである。
「馬英九は台湾を中国に売り渡したのか」と非難される所以(ゆえん)がそこにある。大陸との一体化、つまり大陸への復帰こそ、外省人を代表する馬英九が隠し続けていた“本音”だったのである。
まさに「第三次国共合作」が、馬の悲願だったことになる。「それほど大陸と一緒になりたければ、自分たちだけで大陸へ帰れ!」という抗議デモの声もまた、本省人の偽らざる本音だろう。
中国と台湾の交流窓口機関が1992年に話し合った、いわゆる「92年コンセンサス(92共識)」の長年にわたる論争が、どうしても私の頭から離れない。中国側は「これで“ひとつの中国”を認め合った」と主張し、台湾側は、「その“中国”が何を意味するかは、それぞれが述べ合うこと、としたものだ」と主張して、“ひとつの中国”の原則を確認したものではない、としてきた。
それから23年が経過した今も、李登輝氏が「そのような合意があったとは、総統だった私も報告を受けていない。当時、会談に出席した人間に聞いても、合意はなかったと言っている。これは2000年以降、国民党に都合よく利用させるためにつくり上げられたものだ」と繰り返し発言しているのは周知の通りだ。
この「92年コンセンサス」問題を見ても、“ひとつの中国”を認めるということは、台湾にとって、そして本省人にとっては、許されざることなのである。
それを支持率10%台しかなくなり、退任寸前の馬英九総統が、これを全世界に向かってアピールしたのである。すでに会談の前に、台湾では、プラカードに「馬は台湾を中国に売るのか」「恥を知れ」と書かれた抗議デモが起こっていることが報道されている。
南シナ海での問題でも、常に“既成事実化”を基本とする中国共産党の戦略に、今回の会談は大きな「根拠」を与えたことは確かだ。中国にとって、馬英九は、これ以上はない“愛(う)い奴”となったのである。
アメリカの「航行の自由作戦」によって、南シナ海全域を自分の領海と主張する中国は冷水を浴びせられた。国内的にも窮地に陥っている習近平にとって、そんな折も折、大きな“成果”を馬英九がもたらしてくれたのである。
「台湾関係法」によって、台湾を守る義務があるアメリカにとっても、習―馬会談は、ショックだっただろう。なぜなら、“ひとつの中国”を互いが認め合っていることが既成事実化されれば、台湾への軍事侵攻すら、今後は「国際社会が“国内問題”に口を出すな」と、中国に言ってのけられるからである。
蔡英文女史の民進党政権にとっても、この習―馬会談の結果に、長く縛られていくに違いない。蔡英文政権が誕生する前のこの「駆け込みコンセンサス」が、中国による台湾「併呑(へいどん)」の第一歩にならないことを心から祈りたい。
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