故梅澤裕氏【大乗院勇誉修道裕心居士】『満中陰法要』の報告 南木です。
故梅澤裕氏【大乗院勇誉修道裕心居士】『満中陰法要』の報告をさせていただきます。
平成26年9月23日午後2時より、
故梅澤裕氏【大乗院勇誉修道裕心居士】(平成26年8月6日ご逝去)の『満中陰法要』は、梅澤家の菩提寺である
『浄土宗 鶴林山 慶恩院 性厳寺(中山正則住職は『総本山 知恩院』布教師です。)』の本堂でしめやかに執り行われました。
法要後、真青な秋晴れの空の下、同院境内にある梅澤家墓地に納骨が終わるまで、参列者一同、感動、感激を共にしながら、
「南無阿弥陀仏」を唱えて、故梅澤裕氏の成仏をお祈りいたしました。
終了後、別室にて、
大阪護国神社宮司 柳澤忠麿様の献杯後、一族の皆様と、私ども一般を代表させていただいた少数の参列者で、故梅澤裕様のご人徳について、多くの事を語り合いました
皆様に呼びかけて供花いただいたお花の篭で本堂のご位牌と、ご遺影、お骨を飾り、また、納骨の際も、同じく供花いただいたお花の篭を墓前にお供えして、参列者全員が焼香をすることができました。
《以下の写真を参照してください》
この供花で、本堂がにぎやかになり、墓前も大変にぎやかになったので、梅澤さんはきっと喜んでくださったと思います。
皆様、ご協力本当に有難うございました。
「(花いっぱいで)、こんだけの納骨はめったにないで。(これだけの納骨はめったにないよ。)」
と中山正則住職が独り言のように言っておられたのが印象に残りました。
中山住職は、梅澤さんの人生と、お人柄を讃え、ご自身の愛国心も吐露されながら、参列者全員の心に染み入るような素晴らしい法話をしてくださいました。
先に述べましたように、大阪護国神社宮司 柳澤忠麿様がご参列くださり、故梅澤裕氏もとても喜んでおられるに違いないと思います。
また、衆議院議員 三宅博先生がお起こし下さり、納骨まで参列されました。三宅先生は、
「本日梅澤さんの満中陰法要に参列させていただくのは国事であり、重要な仕事だと思っています。」
と私にお話くださいました。
さすが三宅先生、と思った次第です。三宅先生の深い日常の思索が、思わず吐露された一言と拝察しました。
弁護士は松本藤一弁護団長、徳永信一、大村昌史のお三人の先生方が弁護団を代表して参列下さいました。
未亡人になられた美菜子様が 「今回の法要に際して、供花他、様々な支援、応援をしてくださった皆様、お通夜と、お葬式に嵐の中お越しくださった皆様、裁判でご協力くださった全ての皆様にくれぐれも宜しく、お礼を言っていたと伝えてください、そして今後とも何卒宜しくお願いします。」
と、言っておられました。
素晴らしいお人柄の親族の皆様に囲まれてお過ごしだったこともよく分かりました。ご近所の非常に懇意にしておられた方々もご参列され、「梅澤さんにどれほどかわいがっていただいたか。」と語っておられました。
梅澤さんがどれほど素敵なご親族、ご近所の皆様との付き合いをしてこられたか、そしてこのお寺のご住職も素晴らしい方であることが再度よく認識できました。
このお寺の境内で梅澤さんはご幼少の頃育ち、父君が大阪城の練兵場へ馬に乗って出勤されるのに(梅澤さんの父君も日本陸軍騎兵隊将校)、時折ご自身も馬に乗せてもらって、付いて行ったというお話を何度もされましたが、このお寺の境内から、その蹄(ひづめ)の音と、嘶き(いななき)が、晴れ渡った真青な秋空高く、遠くまで、稲妻のように一瞬、響き渡ったような気がしました。
喪主で、ご長男の、梅澤泰裕様と先ほどお電話していたのですが、
「感謝感激です。皆様に宜しくお伝えください。」
と重ねて言っておられました。
当日の写真と、供花してくださった皆様のご芳名を以下に掲示しています。
皆様、ご協力まことにありがとうございました。
裁判中もそうでしたが、今回、お葬式から、『満中陰法要』まで、梅澤家の皆様の伴走者のようにさせていただいて、私自身がここまで、無事に終えられたのも、皆様のご支援、ご協力のおかげです。
重ねて、深く、お礼申し上げます。
皆様、有難うございました。
梅澤裕氏は8月6日にお亡くなりになりました。私事ですが、そして、お亡くなりになった直後にも書きましたが、8月6日は、私の父の命日でもあります。実に不思議なご縁を感じます。
向こう側では、このご縁は、あらかじめ定められていたようにも、今しみじみと思っているところです。 南木隆治拝
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