[代表委員]内田 伯、浜崎 均
[事務局長]末永 浩
[同次長]草野十四朗、下平作江
[運営委員]今田斐男、尾畑正勝、鎌田信子、崎田昭夫、谷口稜嘩、
中村謙一、広瀬方人、増田 馨、松尾幸子、松尾初恵、
溝口昌喜、森口 貢、山口真樹人、山田拓民、
吉田孝子、吉田桂子、吉山秀子、和田耕一
[地方委員](東京)大内要三、小野寺信吾、吉田一人
(埼玉)田中 照己
(富山)石崎千鶴子、鈴木明子
(静岡)杉山秀夫
(京都)中谷 猛
(三重)伊藤孝司
(大阪)豊後レイコ
(兵庫)石原佐記男、川崎紘平、木村良夫
(広島)篠垤 潔
(福岡)伊藤 普、森 重人
[会計監査]三浦正俊、安永美恵子
[顧問]秋月辰一郎、田口健二、横山茂樹(2003年現在)
長崎の証言の会事務局
〒852ー8105 長崎市目覚町25ー5 長崎の証言の会
PHONE・FAX:095ー848ー6879
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「原爆症認定集団訴訟を支援する会・長崎」
呼びかけ人(あいうえお順・敬称略)
池田早苗(西町被災協支部長) ...語り部
石田謙二(長崎新聞労組執行委員長)
岩本アヤ(原水爆禁止長崎県協議会代表委員)
岩本省三(長崎県生活協同組合連合会理事長)
上田喜志子(長崎県地域婦人団体連合会会長)
内田伯(長崎の証言の会代表委員)...語り部
内田保信(仁田被災協支部長)
大串嗜乗(円成寺住職)
大橋裕(長崎県平和委員会理事長)
大矢正人(長崎総合科学大教授)
鎌田信子(長崎平和研究所)
熊谷悟郎(弁護団)
黒崎晴生(日本リアリズム集団写真家)
黒崎美千子(童話作家)
小島幸満(長崎県壱岐被爆者の会)
古原進(弁護団)
小峰秀孝(長崎原爆青年乙女の会事務局長)
坂本フミエ(香焼被災協会長)
鮫島千秋(非核の政府を求める長崎県民の会代表常任世話人)
塩塚節夫(弁護団)
柴田國義(弁護団)
嶋賢治(嶋会計事務所所長)
下平作江(長崎原爆遺族会会長)
白似田幸生(全造船機械三菱長崎造船所分会執行委員長)
末永浩(長崎の証言の会事務局長) ...語り部
住徳一夫(松浦被災協会長)
高橋眞司(長崎大学教授)
田中重光(矢の平被災協会長)
谷口稜曄(長崎被災協副会長)
築城昭平(被爆者)
土山秀夫(地球市民集会ナガサキ実行委員長)
哲翁昭邦(長崎県保険医協会会長)
寺井一通(シャンソン歌手)
戸田清(長崎大学助教授)
中井満則(生活と健康を守る会長崎県本部会長代行)
中川原芳紀(いきいきコープ専務理事)
中崎幸夫(原水爆禁止長崎県民会議議長)
中溝昭二(長崎被災協理事)
中村尚達(弁護団)
野口保(三ッ山被災協会長)
迫光夫(弁護団)
濱崎均(長崎の証言の会代表委員)...語り部
葉山利行(長崎被災協会長)
原章夫(弁護団)
平野伸人(自主・平和・民主のための広範な国民連合代表世話人)
広畝百枝(西浦上被災協支部長)
廣瀬方人(広瀬訴訟原告)
深堀勝一(長崎県被爆者手帳友の会会長)
福長春二(長崎被災協飽の浦支部長)
藤澤秀雄(自主・平和・民主のための広範な国民連合代表世話人)
渕上剛幸(長崎県自治労連委員長)
保坂陽一(長崎県映画センター代表)
毎熊茂(諫早被災協会長)
前田保子(新日本婦人の会長崎県本部会長)
升本由美子(いきいきコープ理事)
松谷英子(松谷訴訟元原告)
宮本圭子(長崎を最後の被爆地とする誓いの火維持会代表)
三輪博志(長崎被災協深堀支部長)
元山寿恵子(活憲21ながさき代表)
森口正彦(長崎の証言の会)...語り部
森口貢(核兵器廃絶ナガサキ市民会議事務局長)...語り部
山川剛(核実験に抗議する長崎市民の会事務局長)
山口仙二(日本被団協代表委員)
山下兼彦(山下内科医院院長)
山田拓民(長崎被災協事務局長)
山道和則(長崎民主医療機関連合会)
横林和徳(長崎県高教組委員長)
横山茂樹(弁護団)
横山照子(中央相談所理事)
吉田勲(東長崎被災協支部長)
吉田省三(いきいきコープ理事長)
吉田良尚(弁護団)
吉次実男(長崎県商工団体連合会会長)
吉野一郎(長崎県労連委員長)
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さて、今回の、横浜市立大鳥中学校で、生徒に暴言「死に損ないのくそジジイ」を吐かれたとして、抗議を学校にした森口貢氏ですが、
この人物が会長であった頃、同会のメンバー多数で英国までわざわざ行って、「平和を乱した罪」容疑でスコットランド警察に4名が逮捕された事件のことはすでに紹介しました。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140607/crm14060713100007-n1.htm
長崎被爆者に「死に損ない」 横浜の中3生、修学旅行中に暴言
2014.6.7 13:10、産経新聞
修学旅行で5月に長崎を訪れた横浜市の公立中3年の男子生徒数人が、爆心地周辺を案内していた被爆者で語り部の森口貢さん(77)に「死に損ない」などの暴言を吐き、森口さんが学校に抗議していたことが7日、分かった。
森口さんによると、被爆者らが5月27日、3年生119人をグループに分け、爆心地周辺の被爆遺構を案内。森口さんが山里小学校で説明し始めたところ、グループから離れて行動していた数人の生徒が「死に損ないのくそじじい」と大声で叫んだ。森口さんは注意したが、この数人は周りの生徒にも「拍手しろ」などと言って妨害、暴言を続けたという。
森口さんは翌日、手紙で学校に抗議。さらに学校に電話したところ、校長は「大変申し訳ない」と謝罪したという。森口さんは取材に「こんな経験は初めてで悲しい」と話した。
http://www.peace-wing-n.or.jp/taiken/top_5.html
ピースウィング長崎
講話者プロフィール
――――――――――
森口 貢(もりぐち みつぎ)
男、被爆時年齢8歳
1945年7月末から8月初め、家近くの造船所が激しい爆撃を受けた。
避難した防空壕近くでも爆発した。
ここは危ないとして6年生の姉と1年の弟と3年だった私、子ども3人を母は連れて、8月4日佐賀の田舎に疎開した。
5日後原爆が投下された。
父の工場は消失し、姉兄は学徒動員中だったが、奇跡的に生き延び、引き返した母と共に私達の所に戻ってきた。
20日爆心地を抜けて長崎に戻った。
戦争は本当に怖い。
平和は尊い。
――――――――――
原子爆弾による被害の実相を広く国の内外に伝え、永く後代まで語り継ぐとともに、歴史に学んで、核兵器のない恒久平和の世界を築くことを誓う。
http://home.hiroshima-u.ac.jp/heiwa/cons/kyoiku/nagasaki1.html
長崎平和研究講座第1回 「平和とは何か、平和学入門」
(一部抜粋)
森口(貢):私は小学校の退職教師で、広島でも同様だと思うのですが、長崎ではいわゆる8月6日、9日を中心とした平和に関する教育、というものをやってます。そのようななかで私たち組合に入っている者は、特に戦争体験、原爆体験、そのものずばりのいわゆる反戦という点から平和教育を強くやってきたのです。
http://tomura.lolipop.jp/pead164/164-1.irakukouchoukai001-010.htm
2004年10月10日.イラク世界民衆法廷(WTI)広島公聴会
長崎から来られた森口貢さん
在韓被爆者訴訟で1審敗訴の長崎市が控訴したことを批判
http://web.archive.org/web/20070212180745/http://www.kinyobi.co.jp/KTools/mokuji_pt?v=vol615
週刊金曜日 第615号 2006年07月21日
(一部抜粋)
小泉首相最大の罪は、靖国に市民権を与えたこと(森口貢)
http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2006/kiji/01/2101.html
被爆語り部の「政治的発言」自粛を要請 長崎平和推進協
2006年1月21日長崎新聞
長崎市の外郭団体「長崎平和推進協会」は二十日、修学旅行生らに被爆体験を語る「継承部会」の臨時総会を市内で開き、イラクへの自衛隊派遣や憲法改正など「国民の間で意見が分かれている政治的問題」について、被爆体験講話の中で言及しないよう要請した。部会員の一部は「被爆体験以外は話すな、と制限するのは理解できない」と強く反発している。
関係者の話を総合すると、臨時総会には部会員三十八人のうち三十三人が出席。要請について協会側は「被爆体験を基に核兵器廃絶と世界の恒久平和を求め、市民の平和意識を高めるのが協会設立の理念」とした上で、「(協会は)市の補助金で運営されている公益法人で、国論を二分する問題には中立の立場。部会員は協会を通じて派遣されており、趣旨を理解してほしい」と説明した。
(以下略)
http://wind.ap.teacup.com/people/940.html
イラク派遣、靖国、天皇責任、憲法…
被爆講話「政治抜き」で 長崎平和推進協が要請
語り部猛反発
(『東京新聞』2006/4/14)
長崎での被爆体験を修学旅行生らに話す「語り部」たちに、財団法人長崎平和推進協会が、イラクや靖国などの問題を講話で取り上げないよう要請し、語り部側が不快感を示している。
協会は長崎市など官民が一九八四年に設立。三十八人の被爆者が語り部として所属している。
発端は一月だった。語り部たちが集まった協会の「継承部会」臨時総会で、舩山忠弘副理事長が「イラクヘの自衛隊派遣」「靖国神社」「天皇の戦争責任」「憲法改正」など八項目を「国民の中で意見が分かれている」として、発言を慎むよう求めたのだ。
協会事務局によると、一部の学校から「被爆体験の話はほとんどなく、個人的な政治的意見ばかりだった」と指摘があったことがきっかけ。永田博光事務局次長(四月一日付で市に異動)は「協会は長崎市からも運営費が出る公益団体で、不偏不党の立場。聞き手に誤解されては困る」と説明した。
(以下略)
長崎の「被爆以外…」問題
「話すな」撤回へ 語り部「伝える」
進む高齢化 継承も課題
(『東京新聞』2006/7/16)
長崎市の外郭団体「長崎平和推進協会」が、修学旅行生らに被爆体験を語り伝える「語り部」に対し、憲法改正など政治問題への言及を控えるように求めていた文書を一転、撤回することになった。
(中略)
元小学校教諭の森口貢さん(六九)もこう話す。「非常に厳しい被爆体験は、その人にしか分からないかもしれないが、平和を追求する姿勢、核兵器を絶対に使ってはいけないという教訓は、未来につなげていくことができる」
http://www.asahi.com/articles/ASG673RG9G67TOLB001.html?iref=com_alist_6_01
修学旅行生5人、長崎の被爆者に暴言 横浜の中学校謝罪
2014年6月8日00時17分、朝日新聞
(一部抜粋)
校長は取材に、暴言の前に森口さんが、態度が悪い男子生徒1人に「出て行け」と言って叱った経緯があったと説明。「(暴言は)逆恨みをして言ったのだろうが、許される言葉ではなく反省を促したい」と話した。今後、生徒の感想文と校長の謝罪文を送るという。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140307/wlf14030715060033-n1.htm
“荒れた中学”変えた「特攻隊」、非行生徒らは明らかに変わった…3年生210人が演じた「特攻劇」、教師も親も泣いた
2014.3.10 07:00、産経新聞[大阪の教育は輝くのか]
花園中の3年生が制作した特攻隊をテーマにした劇「青空からの手紙」の1シーン。会場の体育館のあちこちで嗚咽が漏れた=平成25年9月
荒れた中学校が特攻隊をテーマにした劇を契機に大きく変わろうとしている。大阪府東大阪市の市立花園中学。現3年生は入学時、髪を染めたり、ピアスをしたりといった生徒が「普通」で、暴力、喫煙など非行が絶えなかった。それが、熱血教師らの指導もあって、バラバラだった学年が劇制作などを通じて一つにまとまり、下級生にも「いい影響」が広がりつつあるのだ。卒業を控えた3年生と教師の軌跡をたどる。
■体育館を包んだ嗚咽
昨秋、開かれた文化祭。3年生210人全員参加で作り上げた劇「青空からの手紙」が終わるころには、会場の体育館のあちこちで嗚咽が漏れていた。
テーマは第2次大戦末期の特攻隊員の悲劇と生き方。結婚して子供が生まれたばかりの主人公・中村正は、海軍で出会った友人の坂本から「お前には家族がいる。ここは俺に任せろ」と志願を止められたが、「自分だけが生き残るわけにはいかない」と先に志願した友人に続く。結局、先に出撃したのは中村の方で、そのまま終戦を迎えることに。終戦後、生き残った坂本が遺族の元に届けた遺書には、家族の幸せを願う中村の思いがつづられていた…。
ロングラン公開中の映画「永遠の0」を思わせる内容だが、劇を制作・上演したころはまだ映画は公開されていない。指導・監修にあたった福島哲也教諭(32)は「まだ中学生ですから、原作の本も読んでいない者がほとんどだったでしょう。図らずも、話題の映画と同じテーマの劇を学年全体が一丸となって制作できて、教師も生徒もみな感動しています」と話す。
感動したのは3年生と教師だけではない。「いつもはざわざわと私語が絶えない1、2年の生徒も静かに劇に見入っていました」と福島教諭。保護者の多くも目を真っ赤に泣き腫らし、後日、劇を収録したDVDを見た付近の高齢者の中には「号泣される方もおられました」という。
学年劇の合唱のシーン。3年生全員が何らかの形で参加した=平成25年9月
「どうせ私…」を変えた奇跡“平和学習”…ヒロシマ・ナガサキでなはく特攻館
■グレる生徒、まじめな生徒…互いに疎外感
3年前、現3年生が入学してきたとき、花園中はかなり荒れていたという。
1年のときから現3年を担当している福島教諭は「この子らも、喫煙、夜遊びは当たり前で、上級生に暴力をふるったり、学校のものを壊したり、教師に暴言を吐いたり…。それほどグレてない子でも髪を染めたり、ピアスをつけて学校に来たりしていました」と振り返る。
「もちろん、まじめな子も多かったのですが、いわゆるサイレントマジョリティーで、グレている生徒とは距離を置き、非行を目にしても教師に伝えることをせず、関わり合いになることを避けていました」
当時、同校に赴任したばかりで、学年主任となった福島教諭は、まず校則違反から正していった。ピアスや髪染めなど目に見える違反は、保護者も交えて話し合って改めさせた。またサイレントマジョリティーのまじめな生徒に、非行やいじめがあれば教えるよう依頼した。
生活指導を受ける生徒は当然、反発したが、「彼らは、どうせオレなんて、私なんて、という疎外感をどこかにもっている。教師の側が腹をくくって接していれば、自分たちは見捨てられていないということを必ずわかってくれると信じていました」。
■きっかけは特攻資料館
そして、次に打った手が1年時から計画をスタートすることになっている修学旅行。平和学習ということで長年、定番旅行先だった長崎ではなく、福岡県の特攻資料館「大刀洗平和記念館」に決めた。
教師たちの英断「原爆、空襲だけが戦争でない。命を犠牲にした若者の存在を」
「原爆投下や大空襲だけが悲惨な戦争体験ではないでしょう。家族のため、国のために特攻に志願せざるをえない状況に追い込まれ、尊い命を犠牲にした若者がたくさんいたことを生徒たちに知ってもらいたいと思ったんです」と福島教諭。
事前に特攻に関する資料を調べるなどの学習をさせ、迎えた昨年6月の修学旅行当日。生徒たちの多くは、命を散らせた特攻隊員らが出撃前にしたためた遺書や遺品、特攻関係の資料を前に無言のまま釘付けになった。「生徒は特攻はおろか、戦争のことをほとんど知らなかったでしょうが、彼らなりに何かを感じ取ったようでした」
■劇制作通じ固い絆…教頭も「闇まぎれ感涙」
旅行後、その「何か」が具体的に形になっていく。「特攻をテーマにした劇を文化祭でやりたい」。教師たちが助言したわけではなく、自然発生的にそんな声が上がり、キャスト、ナレーター、道具係、衣装係、音響、照明、パネル、合唱など、学年全員が何らかの役割を負った。夏休み中には、オーディションで選ばれたキャストの生徒9人が稽古を重ね、2学期が始まるころにはすべてのせりふを覚えていた。
制作委員の一人である生徒は「現代では考えられないような悲惨なことが、そんなに遠くない昔に実際に起きていたということにショックを受けました。そして、そういう人たちの犠牲の上に、今の自分たちの平和があるんだ、と強く感じました。そんなメッセージを伝えられたら、という思いで劇を作りました」と話す。
そして迎えた9月の文化祭本番。劇の完成度は高く、榎本欣弥教頭は「私も泣きました。生徒たちに見られたら恥ずかしいので、暗闇に紛れて…」とそのときの感動を語る。
挨拶、清掃…友情を惜しみ“冬の運動会”も自主開催…卒業式にサプライズ
「1年のころはツッパリだった生徒も喜んで裏方の仕事をやっていました。どの子も自分が自分が、というのではなく、それぞれの役割を黙々と果たし、学年が一つになっていました。こいつらすごい、と思いましたね」
■校長にも元気よく挨拶…そして卒業
3年生の影響を受け、他学年も変わりつつある。赤壁英生校長によると、校内ですれ違ってもあいさつどころか、目を合わせようともしなかった生徒たちが「あいさつをするようになりました」。また、以前は委員会活動に生徒が参加することはなく、実質、教師だけで行っていたが、最近は積極的に生徒も参加するようになってきたという。
「まじめにやったら損する、悪いことをして正直に言ったら怒られる、という考えが改まってきたように感じます。今の3年が作ってくれたいい雰囲気を全生徒にもっと広げ、引き継いでいくことがわれわれの仕事だと思っています」と赤壁校長。
受験のまっただ中にある3年生は2月末、自分たちで実行委員会を立ち上げ自主的に「冬の運動会」を実施した。「少しでも勉強する時間が惜しいでしょうに、まるで名残を惜しむかのように取り組んでいました」と福島教諭。
固い絆で結ばれた3年生は14日に卒業式を迎える。学年主任の福島教諭は旅立つ彼らに「サプライズ」を用意しているという。
花園中の3年生が自主的に開いた「冬の運動会」=平成26年2月