バンコクに住んで日常、目にしたり体験したこの国の音楽事情/情報の覚え書きです。
ルークトゥンからT-Popsまで幅広く。
但し、守備範囲は私個人の好みに合わせますので、アシカラズ。
2005/10/25
このアルバムに付いての言及ではありません。たまたま、モーメーのいい写真をと選んだだけです。
例の歌姫シリーズで何時、取り上げようか、何時?と考えているうちにロース騒動に巻き込まれて、放置したまま数ヶ月が過ぎてしまったモーメーの登場です。一時はRSの女王の座をパーンと分けあうかという位の位置に居た筈ですが、いつの間にか隅の隅の方へ追いやられてしまったかのような現在の状況。。。(はい、ニュースは最後に!)アレだけこき使われて?のこの状況はどういうことなんでしょうか?というのが感想なんですが。。。
モーメーと言えば、その最初期の事は良く知りませんが、何しろ一時の勢いが凄かった頃のモーメーは、これはもうなんと言いましょうか、何処を切ってもモーメーと言う様な、金太郎飴状態のもう、バラード、バラードの嵐。もう、堪らなかったです。もちろん、こういうのまったく受け付けないと言う方も沢山居たでしょう。私は金太郎飴状態っていうの割と好きで、いや好きというか 正しいと思う性質で、一生涯そのペースでやっている芸人と言う見方で、支持してしまうわけです。
そのバラードはもう典型的なタイ・ポップス・バラードでアレだけ量産したことにより、その後の新人歌手の模範/見本となったと言えないでしょうか。モーメーの様に歌いたい、なりたいと夢見る少女が沢山居た事は容易に想像できます。
Four+Modが出てきた時に『หายใจเป็นเธอ』/ハイ・ジャイ・ペン・ターの方ではなく、もう1曲のバラード曲『บีบน้ำตา』/ビープ・ナム・ター、この曲を聞いた時に、嗚呼、モーメーと思い出してしまったのです。このFour+Modの歌、モーメーの『 สักนาที (ช่วยเป็นคนเดิม)』/サック・ナー・ティーを大いに模範とした様な曲だったから。。。F+Mの録音時にスタジオにモーメーも居たんじゃないでしょうか?モーメーお姉さんが、こう歌うのよっ!て歌唱指導したんじゃと、夢想してしまいました。
ピチピチ、ピカピカだった頃のモーメーというの確かにありましたが、時代の流れと供に、もうすでに過去の人と見られてしまったのでしょう。しかし、突然、昔のモーメーのバラードに街のどこかで再会すると、とてもやるせない想いになります。あぁ、あの頃と。。。
ところが、そんなモーメーがI-Babiesのヴォーカリストとして、再登場してきたというニュースにはホント、ビックらこいたものです。しかも、見た目が随分お変わりになって。。。夢が少し壊れたかな。。。
いやいや、そんな事言っちゃーいけない。
再出発のモーメーのI-Babiesも応援していきます!

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