バンコクに住んで日常、目にしたり体験したこの国の音楽事情/情報の覚え書きです。
ルークトゥンからT-Popsまで幅広く。
但し、守備範囲は私個人の好みに合わせますので、アシカラズ。
2005/5/17

『コー ジャイ ガン ナーオ』のVCDの1シーン。コンクリート壁に生える雑草を見つけるターイ
私『運転手さん!今喋っているのターイ オラタイ チャイマイカップ?』
運『知ってるの?今喋っているのは、ターイ オラタイとその先生であるサラー 何タラカンタラでフニャ、フニャ、ニャー。。。。。』
丁度、『キン カーオ ルー ヤン』が発売された頃、タクシーに乗って居た時にカー ラジオから流れてきた放送を耳にした時の話です。殆ど話している内容は解らなかったけど、いきなり“キン カーオ レーウ ヤン。。。”とアカペラで歌いだしたときにはびっくりしたものです。作詞・作曲家でターイの師匠でもあるサラー クンヌウット氏と彼女がスタジオ生出演していたんですね。いやー、また更に歌巧くなったなと思い知らされたものです。それと、喋り声のターイもなんとも魅力的です。すごーく、しっとり話すんですね。なんか、歌っているときの顔、しぐさ、そして歌声、それからその喋り声から彼女の性格が見えてきます。
その、サラー クンヌウット氏。もう、こんな真面目を絵に描いたような人、居ないんじゃないかと思うくらいの雰囲気の持ち主で、すごく、優しそうな人。そんな彼がターイ オラタイを手塩にかけて育てたということです。グラミーの専属ルークトゥン作曲家ということなんでしょう。(2002年のIPコンサートのルークトゥンの日に女性ルークトゥン歌手・オラウィーとステージを供にしているのが、アノVCDにのこっていますね。この時はまだターイはデビュー前。)そして、彼の作曲家生活うん十年を記念したCDが2枚(1枚はルークトゥン歌手だけ、もう1枚がポップ/ロック歌手で)リリースされ、更にそれに合わせたコンサートがインパクト アリーナであり、それもVCDで出ました。話がそれますが、この最初のスタジオ録音ものは買わなくていいです。しかし、コンサートVCDのほうは一家に一枚ものです。スッゴク、いいです。最初から飛ばしてくれます、マイ ピロンポンとイートが歌うオハコ『プレーン ヤー ジャイ コン ジョン』、マイ ピロンポンのオリジナルよりイイ出来だし、ターイは緊迫感一杯の歌いだしで始まる、『トー ハー ネ ドー』。シリポーンとべテランポップ歌手ナンティダーのドュオも泣かせるし、そうそう、最大の発見、女性ルークトゥン歌手のワラヌチ プットチャートのコレでもかというルークトゥン歌唱に鳥肌。ゴッド チャカパンは何時ものように言う事なしに、素晴らしいし、その他、皆、点数の高い歌を聞かせます。ロック・ポップ歌手の方は、タイ タナウットがいいかな。タクシー、パラポンはいつも道理うまい。しかし、総じてロック・ポップ歌手はルークトゥン歌手の前では、ただただ、恥ずかしくなる事の方が多し。。。。いやいや、それで、この時のルークトゥン歌手のシリポーン、マイ ピロンポン、ゴッド チャカパンというビッグな存在に、ターイ オラタイが顔を連ねたという事なんですね。まだ、デビューして1年経つか経たない位の小娘ですよ!しかも、全然負けていないんだから、大変な事です。やっと、話がターイ オラタイに戻った!
2枚目のCDですね。ヒットとしては『キン カーオ ルー ヤン』が圧倒的でした。もう、どこへ行ってもこの曲だらけという状況を作り出しました。が、『ドーク ヤー ナイ パー プーン』の続編、『コー ジャイ ガン ナーオ』がいいです。それと、またまた、VCDの映像がよく出来ています。
夜、仕事から疲れてアパートのあるソイを一人帰ってくるターイ オラタイ。
途中、男たちが酒を飲み交わしている側を通るとき、『ネェーちゃん、一杯付き合って行けや!』
『イヤー』と逃げるターイ。無事、安アパートに戻るも、一人ぽっちの寂しい部屋。想いは、田舎のポー、メーの事。元気でやっていて欲しい。。。
今日も、仕事に大学に忙しい。。。
ある日、仕事から帰ってくると、住んでいる地域が立ち退きになるべく、張り紙がしてあり、住人達は右往左往。仕方なく、新しい部屋探しに行きます。
月3700バーツ。。。うーん、高い。次も高い。そうこうして、1200Bの部屋を見つけ、ここに移る事に決める。
引越しはトゥクトゥク1台に全部乗っけました。
ポットやバケツはトゥクトゥクの支柱にくくり付けて。。。
新しいアパートの前に下ろした荷物を前に途方にくれるターイ。
そこへ、『何か手伝いましょうか!?』と優しそうなお兄さんが登場する。。。
コンクリート ジャングルの中に生えた雑草はまた新しい生活を始めるのであった。
まだ、続きます。。。

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