数年前の雑誌で「失われた日本、築き上げられた日本」
のタイトルでイサム ノグチさんの事を取り上げていて
とても共感がもてたので一文を紹介させてもらいます。
彫刻家の巨匠であった彼は日本の造形を形にしました
「
あかり」シリーズなど彫刻にかぎらず多方面で活躍しました
第二次大戦後、日本に長く滞在するようになってからは、
桂離宮、銀閣寺、円通寺などの建物や庭園、陶芸、土偶
などの日本の伝統的な美術作品を精力的に観て周り、
鈴木大拙「禅文化と日本」や岡倉天心などの著作を読み
直していた。それは、日本美術の表現形式を修得し、自分
が利用できるような手引きといったような物を「つくろう」
という決意に導かれたものようだったようだ。多くの知人が
証言するところによると、ノグチは「失われた日本」を取り戻す
ために、限りない集中力を発揮していたとも伝え聞く。
ただ、これらの事実を表面的になぞっていくと誤解が生じる。
芸術史家アシュトンは、ノグチの伝統的な日本美術へのアプローチ
を「伝統、常に新しくて常に古いもの」と評しているが、それは
時代や地域性に左右されないノグチなりの「物事の心理」を
そこにも見出したということだったのだろう。
イサムノグチの作品を「何となくはかない」と言う人は多いが
おそらくそれは彼の作品と現実に距離が感じられる事による
のだろう。宮崎駿の有機的な風景ではなく、手塚治虫が描く
地球外惑星のような風景。一方、職人の世界観は、明治維新
第2次世界大戦という歴史の中で日本から失ってしまったから
現代では理解できないものになっているとも言う。伝統的な
日本美とイサムノグチの世界は、個々の要素は似ていても、
まったくその本質は異なる。そこに横たわっているのは、
「既に失ったユートピア」と「予め存在しないユートピア」との違いと
いっていいのかもしれない。しかし、だからこそ、こうも
考えられないだろうか。″地球を彫刻した男″と呼ばれる
イサムノグチの作品からは、失われたものを嘆くのではなく
それを築き上げる可能性を読み取る事が出来る、と 。終
長くなりすみませんが、ここからは私の意見です
日本の伝統美は圧倒的にすばらしく存在感があります、
しかしそこを「なぞる」ではなく尊敬し新しく構築する
現代に生きる我々が出来る事はそうして次の数十年
数百年後に精神を受け継いでもらう(受け継ぎたくなる)
ものを造っていく必要があるのではないかと思います。
長々と読んで下さりありがとうございます。

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