前川が闘将と呼ばれたのは、1931年の設計競技において
あらかじめ平面図が指定され、外観のデザインのみを
競うものだった、その上「建築様式は内容と調和を保つ
必要あるを以て日本趣味を基調とする東洋式とすること」
(そうしないと落選しますよ)、と規定をしていたコンペに
モダニズム建築バリバリの計画を提出した、
コンペは規定に違反しても「自分の主義主張を戦わせる
唯一の壇場である」 と その後文章を発表した。
1985年の新都庁のコンペの説明会には80歳の車椅子に
乗った前川本人が登場して、まさに闘将と感じさせたそうです
残念ながら両コンペとも落選でした。
写真は前川設計の東京文化会館
ル コルビジェ〜アントニン レーモンドとモダニズムと世界を
学び前川が造った自邸は和の装いでした、中は広い居間に
吹き抜けと開放的なダイナミックな空間、質実な見せる階段
と大窓、そのまま「なぞる」のでなく、飲み込み日本に合った
形に表現しなおした居心地のよさそうな空間でした。
コルビジェ〜前川國男〜丹下健三(前川事務所に勤務)〜
と日本でのモダニズム継承を担った前川國男 その言葉
「もしも建築が芸術であるならば 建築家というのは
骨身を砕いて存在感を求め続ける人間の事だ!
そこに多くの人たちのコミュニケイションがある」
山梨にも前川建築があります−山梨県立美術館

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