さて、金はどこにあるのだろうか?
前述リンクをみると、日本の95%の川にあるという。
しかし、闇雲に掘っても出ないのも又、事実。
そこでここでは3つの観点から考えてみたい。
1.地質学的観点
産総研では、
地質図をネット上に公開している。
地質図をみれば、だいたい金がありそうな所が
見当がつきそうだ。さらに、元素別の分布もある。
しかしながらAuはなかった。近しいCu、Zn等の
他金属もみてみたが、地質図を無視した分布で、
どうもしっくりといかない。
(これらの精度はどの程度のものだろうか?)
ここでは地質のみに絞ってみていくこととする。
(ネット上に公開されたデータを使い単なるフィルター
をかけただけなので、ポリシーを鑑み公開可と判断した。
問題があれば、ご指摘いただきたい。)
金は融点が1000度ちょいある。金鉱床を形成するに
は、火山のマグマ、又は深層中の摩擦熱等によって、溶
けた金が凝縮される必要がある。(※高圧、酸性化で
あれば低温でも金は溶ける)おおざっぱにいうと、
堆積岩でできた関東平野には金山は存在しない。
おそら
くは温泉もでない千葉、特に房総半島では金は産出しな
いだろう。(鴨川に僅かに蛇紋岩の層があるそうだ。)
玄武岩を代表とする火山岩(1000番台)
と、深成岩辺りをメインに産出されそうだ。そこで
それらだけの色を残してフィルターをかけてみると
下の図のようになった。だいたいイメージとあっている。
唯一、意外だったのは西丹沢。ここら辺にも鉱山の匂い
がする。
2.歴史的観点
昔、掘られた金山の周りには、まだそのかけらぐらいは
残っているかもしれない。古くは平泉、佐渡、そして
近年は菱刈金山。日本でも多くの金山が数100年以上
に渡り掘られてきた。近場だと、伊豆、甲州辺りの金山
が有名だろうか?1の観点を含め、甲州の史跡をピック
アップしてみることにした。
・黒川金山
花魁淵の伝説で有名な黒川金山。信玄の膨大な軍資金の
財源となったと言われる甲州有数の鉱山。
・大月金山鉱泉、金山峠
甲州街道沿いの代表的な金山。
・青梅街道落合、高橋周辺
金山衆と呼ばれた金を採掘していた人達の子孫が住む
と言われる青梅街道沿いの集落。
さらに甲州盆地に目を向けると、盆地東部、及び北部
にも、これら金山と同種の深成岩(赤で示す花崗岩)
がみられる。
・広厳院
江戸時代に、境内の金山という所から鎌倉時代の鐘が
出土したらしい。
・積翠寺(要害)温泉
武田神社(躑躅ヶ崎館)の裏庭。
これらから類推すると、どうもマグマが深層で固まった花崗岩
では、金が沈殿し、別の地層との境界面に凝縮しているように
思える。さらに大胆な推測をすると、由緒あるお寺、温泉は、
元々金山の採掘跡地に作られているのかもしれない。そもそも
至る所にある「信玄の隠し湯」は、鉱山採掘の副産物として
排出した湯の名残りだと考えれば、ロマンを感じるではないか。
3.ダム、堰等の河川構造物の観点
金の比重はとてつもなく重い。ゆえにパンニングで選別できる
のだが、現在の河川の多くはダム、砂防用の堰があり、そこか
ら下には重い金が流れにくい構造になっている。時々近くに
流れる多摩川や、秋川で砂金が採れたという話を聞くが、おそ
らくはダムができる前に流れた砂金が、砂防ダムにより土砂の
供給が止まり、金の上に溜まっていた泥が流されて露出したも
のか、あるいは、秋川だと大きな堰がないと思われる五日市よ
り上流部(ゴーグルマップの衛星写真で確認)での採取なので
あろう。いずれにしろ、新たな金の供給は少なく、下流部での
採集は困難なのではないか?
又、上流部の都の水源林では採集がNGという話もあり、そう
すると、都内から気軽に行ける砂金採りの場所は、極めて限ら
れてしまう。漁業権等と異なり、法との兼ね合いもグレーで
ある。
まぁ、そうそう簡単に採れるものではないので、それらは
余計な心配なのかもしれない。